自己啓発をやめて哲学をはじめよう

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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784866800271

作品紹介・あらすじ

あなたはどう生きる?
”成功”という言葉に踊らされて自己啓発に洗脳されていないか?
人生がうまくいかないときこそ「哲学」が人生を変えてくれる!

人間は悲しいことを哲学によって克服できたときに成長が与えられます。
しかしそれを、自己啓発によって克服しようとすれば狂気から抜けられなくなるのです。

自己啓発にハマる危険性を警鐘し、
哲学こそ必要であると説いた著者渾身の作!

感想・レビュー・書評

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  • 立派な自己啓発本とも言える『はじめての課長の教科書』の著者が書く『自己啓発をやめて、哲学書をはじめよう』というタイトルの本。「自己啓発と哲学は表裏の関係にあります。その意味では、自己啓発にハマってしまう人には、哲学の素養もあると信じています。だからこそ、本書は自己啓発と哲学の違いに注目しています」というスタンスから入る。ここで「自己啓発」の定義が必要になる。そうでなければ、本書で最も重要な概念であると思われる「自己啓発」について著者と共有できずに本を読んでしまうことになる。
    著者は、「この不思議な世界に対して、不思議な理由を付けて、他人を利用しようとするのが自己啓発の立場です」という。明らかに人をだまして、お金を巻き上げる悪徳商法という位置づけだ。一般に「自己啓発」を、そのような定義で使う人はあまり多くはなく、単に自分で進んで色々なことを勉強して身に付けようとする姿勢や行動、だと思うのだが、この本ではそうではない。ここまでは定義の問題であるのでよしとしよう。

    著者の論理がどこかずれてしまっていると感じるのは次のような記述だ。
    「かつて、飢えている子供の写真を見て「外国は大変だな」と感じたことがあるかもしれません。実際に現在の世界では、およそ8憶人の人々(9人に1人)が飢えています。人類は、飢えのない世界の構築に失敗し、こうして飢えている人口はむしろ増えています」
    ベストセラーとなった『FACTFULNESS』を読まずとも、上記の記述は感情優先の非論理的な議論の典型になっている。世界の食料事情はかなりのペースで改善されていることがデータでも示されている。『FACTFULNESS』から引用すると、「極度の貧困の中で暮らす人々の割合は、20年前には世界の人口の29%だったが、現在は9%まで下がった。...飢餓という、人類の苦しみの根源が消え去るのも時間の問題だ」となっているのが現状だ。
    さらに続く次の記述もひどい。
    「ここで、今の世界では、先進国と発展途上国のフラット化(先進国の既得権益が減り、発展途上国との差が小さくなる現象)が進んでいるという事実を忘れるべきではないでしょう。つまり、こうした飢えは、どこか遠くの外国の話ではなく、今後の日本にも確実にやってくるのです」
    「フラット化」を先進国の貧困化と捉えるのは決して一般的ではないし、進行している事実としても正しくない。そもそもフラット化という言葉が流行するきっかけとなったトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』を読めば明らかにわかるように、この場合の「フラット」の意味はグローバル化に近く、経済状況が平均的になるということではない。逆にフラット化により格差は拡大しているが、貧困は少なくなっている、と捉えることがデータから示されることであり、一般的な認識だ。

    進化論の援用もやや見苦しいほどに恣意的で、我田引水である場合が多い。哲学を薦めると謳い、学問の価値を語るのあれば、なおさら慎重であるべき進化論の引用において不用意にすぎる点が多い。
    「進化論が事実であれば(これを否定することは困難ですが)運が悪いだけで、誰もが脱落者になり得るのです」と書くが、進化論が事実であってもなくても運が悪いだけで、誰もが脱落者になり得るし、進化論が示すところは過去の自然淘汰により現在の生物相が存在するということが言えるだけで、これを運が悪く環境に順応できなかったと言ったとしても、あなたが運が悪くて脱落するかもしれないことにはほとんど関係ないことである。また、人工知能の登場を、「人類から生活の基礎を生み出す仕事を奪うばかりで、(人類の)収容能力を減らす方向に貢献してしまいそうです」と結論づける。どうしたら、こういう考え方になるのだろうか。人工知能は明らかに生産性を向上する方向で(そうでなければ浸透しない)、その進化の速度が速いことによって混乱は起きる可能性はあるが、地球環境の収容能力の観点からはプラスになりこそすれ、マイナスになることはないだろう。「少子化もまた、子供が欲しくないという頭痛ではなくて、人類が滅亡しつつあるという脳卒中に注目することを訴えるものとして認識する必要があるのです」と書くに至っては、著者の方が「自己啓発」や新興宗教の方向に走っているのではないかと心配になる。

    どこかがおかしいと感じながら読み進める。特に、自己啓発の例として「紙に書くと実現する」が不自然なほど頻繁に挙げられる。あまりにも繰り返されるので、読んでいるときから著者はこのセミナーに恨みでもあるのではないかと想像できたのだが、あとがきで、著者の友人が「紙に書くと実現する」セミナーにはまってしまったという事実が明かされる。論理ではなく、感情で書いているのか、と合点した。


    最後に著者は、友人でもある山口周さんの本にインスパイアされてこの本を書くことになったと告白する。「哲学」ということでは、体系的にも学問として身に付けてきた山口さんのものとは厚みが違う。また一方、「自己啓発」については、友人がはまった例をあまりに一般化しすぎていると感じる。学問として一定の競争環境とレビューを経て評価された「哲学」には優れている点はある。しかしながら著者が「哲学」を薦める説得力のある議論になっていないし、進化論の解釈なども含めて「哲学」の良さを説明するに至っていないと感じる。

    それにしても、酒井穣らしくないし、どこか危うさも感じる。『はじめての課長の教科書』だけでなく、その後の『あたらしい戦略の教科書』、『英会話ヒトリゴト学習法』、『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト』、『これからの思考の教科書』、『リーダーシップでいちばん大切なこと』、『ご機嫌な職場』、『君を成長させる言葉』など多作だったが、それぞれ素敵な本だった。どうしてしまったのだろうか。
    著者は、一定の社会的評価を受けて、こうやって本を出版できていることを「運がよかった」と言う。それは哲学的な幾多の考えの末に辿り着いた境地なのかもしれない。著者の苦悩と達観(とその境地への静かな熱望)が透けるようだ。しかしながら、昔の本からは滲み出てきた自信や自負までも否定しているようで納得がいかない。初心に戻るという意味も含めて、同じテーマでは本を書かないという著者だが、そういった縛りからは自身を解放してもよいのではないか。



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    『はじめての課長の教科書』 のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4887596146
    『あたらしい戦略の教科書』 のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4887596448
    『英会話ヒトリゴト学習法』 のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4569703461
    『「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト』 のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4334035426
    『これからの思考の教科書』 のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4828415904
    『リーダーシップでいちばん大切なこと』 のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4820718150
    『君を成長させる言葉』 のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4534049080

  • まず自己啓発の「啓」という文字は漢文由来の言葉で、「開く」という意味があります。
    また「発」は、「弓を射ること」で、当たって何がか生まれるという意味です。
    なので、「啓発」とは、「開いて、わかった」、もっと意訳すると、
    「すぐに、わかる」という意味です。
    つまり、自己啓発とは、「自分ですぐにわかること」のことです。

    本書には、もちろん、以上の説明はされていません。
    「自己啓発」という定義が、そもそも書かれていません。
    これは、おそらく、意図的にやっていると思います。

    「自己啓発」という言葉の意味は、
    たぶん、多くの日本人はわからないだろうという前提で、
    説明せずに、論を進めるのは、哲学的には「あり」です。

    自己啓発をせずに、哲学しましょうというのが、
    本書の中核となる主張ですが、自己啓発がすぐにわかることなら、
    その対比としている哲学は、すぐにわからないということになります。

    これは、「自分の頭で考えられるようになる」ということは、
    どういうことかにもつながる話しですが、自分が何を必要しているのか、
    自分で探り当てられるようになる手段として、哲学の必要性が実感できるように本書は、
    「自分ですぐにわかる」ように構成されています。
    もちろん、これは、著者の皮肉です。

    個人的には、日本で出回っている自己啓発(書籍やセミナーやプログラム)は、
    その機能と役割でいうのなら非常に宗教に近いと思います。

    宗教とはなんぞやと話しになると、これまた厳密に定義することは、
    非常に難しいことですが、マックス・ウェバーの説を採れば、宗教とは、
    エトスのことです。つまり、行動様式のことであり、そのパターンです。

    なんで、自己啓発が上記の意味でいう宗教に近いかというと、
    自己啓発(書籍、セミナー、プログラム)は、宗教社会学でいう所の啓典宗教ではなく(絶対となる行動指針を書いた教典がない、○○が言いましたと、適当な引用で何とも言える)があり、個人救済を主に考えていて、
    それは、因果律(こうすれば、こうなると、わかりやすくのべられている)で構成されているからです。

    多くの日本人は、宗教としての信仰心は持っていません。
    何が良いのか、悪いのか、その時の状況や空気で変わることを、
    良く知っています。明確な行動基準も、倫理観もないので、
    ある一定の状況下になると、平気で自殺します。

    こういう状況下に、ビジネスとして、うまいことやっているのが、
    自己啓発だと思います。ビジネスとして成立しているということは、
    そこに市場があり、需要があるということです。

    自己啓発の教えは、
    ○○すると、△△になる。という、
    信じられないぐらい、わかりやすく、論理が構成されています。
    この論理は、「あっ、わかる、わかる、そうだよな」と、
    思いやすい。この状態の時、実は、脳は、ほとんど、活動していないみたいです。

    この論理に付随する奇跡、つまり業績を上げただの、
    同僚との関係が上手くなっただの、営業NO1になれただの、
    それらを提示すれば、なるほど!なと、すぐに思ってしまいます。
    もちろん、現在、より、巧妙になっています。最近は、科学的根拠(引用論文)など、
    わけのわらない「わかりやすさ」で、多くの日本人を魅了しています。

    多くの大卒の日本人は、大学時代ほとんど勉強という勉強はしてませんし、
    もちろん専門知識(専門とする学問の論理体系の中核となる理論と
    論理構成の知識)など皆無ですから、
    「わかりやすいもの」に非常に魅力的に感じるようになっています。

    一説には、自己啓発の実践プログラムは、
    侵略した国の奴隷や自国の軍隊の兵士を要請するプログラムとして開発されたものと
    指摘する人もいます。よって、プログラム開発者は、元軍人が非常に多い。
    あと、意外かもしれませんが、バリバリの体育会系で育った人達です。

    そのプログラムは、優秀な市民や考える兵士を養成するのではなく、
    いつでも積極的に喜んで死んでくれるように、また、
    どこから弾がとんでくる状況においても「突撃せよ!」と言われたら、何も考えずに、
    突撃するような兵士を養成するプログラムです。
    この極端な例が、自爆テロを起こす、テロリストです。

    こういうプログラムは、一言でいうと、洗脳ですが、
    その方法論は、信仰宗教の布教活動で行われているものと、
    ほとんど変わりません。
    もちろん、「怪しさ」を消して、より、カジュアルにファッショナブルになっています。

    自分がやっている読書は、以上の意味でいう自己啓発なのか?
    自分のやっている英語の勉強は、自己啓発のなのか?
    自分のやっている経営の勉強や、プログラミングの勉強、
    マーケティング、自信をつけるセミナー、投資セミナーは、
    自己啓発なのか?一度、じっくり考えてみるのが良いかもしれません。

    すくなくとも、○○すると、○○になりますよ、とわかり易い論理で、
    書かれていたり、話すものは、限りなく自己啓発に近いものです。
    だって、この世に役に立つことで、すぐに、わかって、使えるものなど、
    ありません。いや!あるよ!という人は、突撃せよ!で、突撃する兵士なのかもしれません。
    そういうノウハウを、ブラック企業と呼ばれる、職員を企業の利益を追求することを目的に、
    過労死寸前まで、働かそうとしている状況(労働者が自ら、その状況を作り出すように
    できるノウハウを持っている)を見れば、自分で、自分を守るための論理(これが役に立つ知識です)、
    それが、著者がいう現代的な意味での哲学なのかもしれません。

  • タイトルに惹かれて読んでみました。自己啓発と哲学の対比がうまく表現されていて、とても説得力があります。後半は哲学を深掘りしており、色々と興味深い内容が書かれています。私が気になったのは『成人発達理論』です。縮約するとこんな感じです。
     
    ハーバード大学のロバート・キーガン博士らは、大人の成長を五つの段階に分けて考える『成人発達理論』を提唱しています。
     
    ①具体的思考段階・・・言葉の獲得と、それによる基本的な思考段階
    ②利己的段階・・・自分以外の他者を、自分の欲求を満たすための道具として考える段階
    ③他者依存段階・・・自らの選択を、社会や組織の常識にゆだねようとする傾向を持つ段階(成人の70%が、この段階からの脱出に苦労している)
    ④自己主導型段階・・・自分の価値観に従って、自律した人生を送ることができる状態
    ⑤自己変容段階・・・自分の成長に対する興味を失っている特徴があり、より哲学的。自分の価値観を越えており、自分自身を他者と同じように観察できる状態(到達できている人は1%以下)
     
    ③と⑤は似て非なるものです。自覚症状は明らかに異なりますが、外見で見分けるのはなかなか難しそう...。少なくとも目指すべきは⑤ですね。そして「役に立たないことこそ、私たちにとって唯一の希望なのです」の一文、我が意を得たりです!最近、役に立たない事ばかりやっているのですが、どうやら正しい道のようでした(^^;

  • 初めて、というか久しぶり?に途中で読むのをやめた。
    自己啓発=弱者につけこんだ宗教である、みたいな論調で話が進んでいくのだが、なまじデータなどを持ってきて科学的に根拠がある風に書いてあるくせに完全に個人の主観で決めつけ論を偉そうに語っている。読んでいて甚だ不快で、読むに耐えない内容であった

  • ●自己啓発ビジネスと言うのは、非常によくできた、歴史のある貧困ビジネスです。そして貧富の格差が進み、貧困に怯える人が増えるほどに儲かる仕組みになっています。
    ●現代の自己啓発の場合、囲い込みの手口はさらに巧妙で、接触を制限するだけでなく、外部の一般人も「わかっていない人々」として見下す文化の形成を行います。囲い込みに成功すると儲かる。特定の人を世間から隔離し、唯一無二の生活環境を与えることで、経済的な競争を回避しつつ、同じものを市場よりも高く売ると言うビジネスに成功します。一方で、カモに対しては「お金を得ることが幸せではない」と、財布の紐を緩くさせるための教育も忘れません。
    ●自分の内側に潜んでいる可能性など、諦めるべきです。あなたが100メートル走で10秒を切る事は諦めているのと同様に、自分が歴史に名を残す何者かになることも諦めるべきです。あきらめると言う言葉の語源について、本来「あきらかにする」と言う意味を持つ言葉であります。そもそも真理を意味する言葉であり、ネガティブな意味を持ちません。
    ●働き方改革は、一見すると労働者のためになっているようにも思われます。しかしそれはあくまでも、労働者に経済的に余裕がある場合の話です。
    ●人は、本当に望むものが入手できない時、その対象を「つまらないもの」としたり、他に「より大切な何か」を定義して、そちらに意識をそらすと言う特徴がある。こうした適用規制を利用して「お金にとらわれない、精神的に豊かな生活」といった、中身はなくても響きの良い言葉を売り文句とする自己啓発も多数生まれています。
    ●例えば仮想通貨。無数に生まれている仮想通貨の周囲に形成されるグループの多くも、立派な自己啓発ビジネス。「ゴールドラッシュには鶴橋を売る」と言いますが、仮想通貨の種類では「仮想通貨で儲ける方法」といった情報商材がまさに登場しています。そもそもお手軽に儲ける方法を知っている人が、それを他者に有料で開示するのはおかしなことです。自分でそれを実行すれば良いだけなのですから。
    ●金銭的に成功している人の特徴は社会学的にはかなりの程度わかっている。①英語力を持っている②学術書をたくさん読んでいる③親もまた富裕層であること。
    ●富裕層は著者名で読む方を選んでいるのに対して、年収が低い人は読む本をタイトルで選んでいるようです。
    ●そもそも私たちの収入の42%までが遺伝で決まっていると言う調査結果があります。これに生まれ育った家庭の影響である8%を出せば、収入の50%までは、自己責任とは言えないのです。つまり年収の半分までは努力ではどうにもなりません。統計的な条件が揃っていない人の成功は、宝くじに当選するように、確率的にとても小さいことを認めないといけません。
    ●キルケゴールに言わせれば、絶望とは、自分をコントロールしている理性があると言う認識(自己意識) が生み出すものです。つまり(金銭的であれなんであれ)成功に向かって、理性的に努力をして生きることができると言う認識が絶望を生むのです。これを「死に至る病」と言いました。
    ●自分の欲求そのものを、理性によって生み出せるでしょうか?欲求こそが自分自身であるとすれば、理性によって「なりたい自分になる」事は決してできないはずである。欲求はそれに従わないからです。
    ●哲学をする人は「成功することを」ではなく「知ること」を求め、それを生きる目的としています。そもそも役に立つことばかりを求めるのは自己啓発の立場だろう。
    ●東洋思想には、真理を知っている人に手軽に依存するという文化が根付いている。
    東洋思想は基本的に考えるものではなく、体験して信じることしかできないものです。だから宗教化せざるをえないところが欠点
    ●あなたの中にある「うまく言葉にならないけれど、なんだか知っている気がする」と言う気づきを、簡単には疑えない言葉にするという試みこそが(きっと)哲学なのです。私たちが高度な言語を勉強する必要性も、ここにあります。
    ●プロタゴラス 「人間は万物の尺度である」という有名な言葉によって、哲学の始まりに、1つの重要な立場を築いたと言う事実です。その意味は、絶対的な真理と言うものは存在せず、真理は、それぞれの人間がそれぞれに思う描く主観的なものに過ぎないと言うことです。これを相対主義(人間中心主義)といいます。つまり「みんなそれぞれに正しい」と言うこと。
    ●ソクラテス 人間にとって最も重要な事は「善く生きる」事であり、そのために必要なのは「知を愛すること」だと述べています。「無知の知」自分が何も知らないと言うことを自覚するということだ。
    ●デカルト 数学者であり、近代哲学の父とも言われるデカルトは、決して疑いない事実として「われ思う、故に我あり」と言う言葉を残した。当時の「神が創造したから、私が存在する」と言う自己啓発的な空気に対する、大きな批判になっています。デカルトは、何でもかんでも神の仕業にされてしまう世界を離れた。
    ●ヒューム このデカルトの立場に、相対主義を持ち込むことで反対するします。たまたま、限られた経験の中で、正しそうに見えるに過ぎないと言う立場です。「イギリス経験論」
    ●カント 「純粋理性批判」サルトルとは逆、人間は脳を用いて考えると言う物質的な制約を持っている以上、それほど自由ではない。
    ●サルトル 何もかもが自由である事は、苦痛です。それは私から世界において不確かなものを頼りにしながら、とにかく生きていかないとならないことを意味するからです。サルトルは、この絶望「自由の刑」と表現しました。自己啓発の逆側にあるのは、哲学と言う「自由の刑」なのです。
    ●そして現在ポストモダンと呼ばれる「病気」に陥っている。プロタゴラスの哲学の再燃です。真理はそれぞれの個人によって異なると言う立場。だから「他者にわかってもらう必要は無い」と言う難解な現代芸術から「患者が痛いと言えば痛いのだ」と言う医学的な立場まで、ポストモダンは、現代社会の隅々まで浸透しています。私にとって真理であれば、それは真理であると言うポストモダンの立場は、自己啓発にとって都合が良い。
    ●「自分こそが正しい」と言う認識の背景にあるのは、人間の承認欲求です。自分の方が、他の人よりも正しければ、それだけ周囲から承認されるでしょう。結果として自分が選んでもらえるわけです。それはしかし、他者が間違っていると言うことを証明できて初めて成立するものです。これは絶望的に困難な作業であり、最終的には暴力(戦争)に至る人間の業でもあります。
    ●役に立つことというのは目的ではなく手段。そして役に立つことに勤しむ目的が、承認欲求を満たすことである限り、虚しい結果が待っている。
    ●子供の存在は、自分の外側に、自分よりも重要な言葉を生み出してくれる素晴らしいものです。ですから哲学に向かう1番手っ取り早い方法は、子供を持つことだったりもします。そして行き過ぎた競争社会が生み出すものは、例外なく少子化です。コスパがマイナスになることをしていては競争社会では生き残れないからです。
    ●魂の不滅の矛盾。例えば、人類は100人から始まったとしましょう。それが今や100億人に迫ろうと言う勢いで膨らんでいるのです。では100人分の魂は、1億倍まで薄まっているのでしょうか。魂は他の生物の姿を超えて輪廻転生するといった反論もあり得ます。ただ、その場合は、前世が人間である可能性が極端に低くなり、少なからず自己啓発は否定できるでしょう。
    ●キーガンの発達理論が伝える事は、人間は、自分自身にしか興味がない自己啓発的な段階から、自分以外のものに興味が向かう哲学的な段階に向けて成長していくと言うことです。この発達を決めるのは年齢ではないと言う分も非常に重要なポイントである。
    ●では常に資産を「過剰生産」するようにプログラミングされている生物が、少子化になるということは、何を意味しているかでしょうか。筆者は一般に信じられているように、晩婚化や共働きが増えたことでは無いと考えている。生物が少子化と言う状況に陥るのは、環境の収容能力が限界に達し、その成長が鈍化した時です。少子化とはすなわち、脱落者が極端に増えていく未来を予言するサインに他なりません。

  • 自己啓発=思っていたのと全然違う言葉。
    思てたんと違う感があった。

  • 自己啓発と哲学は表裏の関係にあり、自己啓発は歴史のある貧困ビジネスという視点に惹かれ読んだ。本来の意味がある自己啓発はちゃんとあるはず。自分の自己啓発が作者の言うような、溺れている者に対して藁を売る貧相なものでないと思いたい。

  • 2020年、47冊目です。

  • 哲学とは?自己啓発とは?哲学と自己啓発の違いとは?を万人に分かる説明で教えて
    いる。自己啓発ビジネスは著書と同じ判断であるが、自己啓発そのものはネガティブにはとらえなくてもいいのかな?というのは感じた。自分に対して自分を知る勉強のことでもあるので、そういった意味ではポジティブな方向に考えたい。

  • 「自分こそが正しいという人間を確実に不幸にする態度を哲学はかなりの程度まで減らすことができる。自分より重要ななにかを発見するための手段であり、自分自身よりも重要なもののために生きるという救済の道」
    「自分というつまらないものを探求することをやめにして、この世界という素晴らしいとものを探求しよう」
    示唆に富んだ表現が多く、知的態度を見つめ直すきっかけになる。
    ただ、著者が自己啓発を憎みすぎている(笑)ことがややノイジーである。自己啓発の定義もやや曖昧で切れ味が悪い。イメージとして共有はできるがそんなに言わなくてもいいと思うのだが。

    「自分の中にある「うまく言葉にならないけど、なんだか知っている気がする」というきづきを、簡単には疑えない言葉にする試みが哲学」
    という言葉にとても感銘を受けた。「なんだか知っている」を放置せずに向き合っていきたい。

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著者プロフィール

株式会社リクシス創業者・代表取締役副社長。
1972年東京生まれ。慶應義塾大学理工学部卒。
TIAS School for Business and Society
経営学修士号(MBA)首席取得。
商社にて新規事業開発に従事後、オランダの精密機器メーカーに光学系エンジニアとして転職し、オランダに約9年在住する。
帰国後はフリービット株式会社(東証一部)の取締役(人事・長期戦略担当)を経て、2016年、ビジネスパーソンのための仕事と介護の両立支援サービスや人工知能を用いた高齢者支援サービスを提供する。
株式会社リクシスを共同創業。
認定NPO法人カタリバ理事、プロ野球選手会顧問なども兼任。
過去には事業構想大学院大学特任教授、新潟薬科大学客員教授なども歴任している。

「2021年 『リーダーシップ進化論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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