黙想と祈りの手引き

著者 :
  • キリスト新聞社
3.50
  • (0)
  • (1)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 13
感想 : 1
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784873954592

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 青年向けのキリスト教集会で行われた、祈りと黙想についての著者の講演録。本屋で物色していてたまたま見つけたものだが、当たりだった。キリスト教やキリスト教系思想家の書物を読むと、自分の中に固定化されていた価値観の転倒に出くわすことが多い。西洋思想は元々キリスト教に根ざしているとは一般的に言われることだが、最近はそうであるならばなぜこれほど世の中で個人主義が是とされているのか分からなくなってきた。それほどキリスト教系の本には、個人がただ個人であることをよしとしない記述、脱個人主義的な記述が多い。自分が自分であるというところに苦しみの源を見ている人には救いとなり得よう。この本は信者向けの講演で話した内容だが、テーマが黙想と祈りということで、多くは1人で取り組める内容となっている。キリスト教に興味のある非信者にも非常に参考になる。

    ーーー以下引用ーーー

    どんなに仲のよい夫婦でも祈るときには別れなさいと書いている。愛する者にも祈る姿は見せない。それはただ愛する者にも見せないで自分ひとりでひそひそ何かを楽しむなどというのとは違うのです。自分にも見せないのです。自分はこんなにも祈りができるようになったとか、自分は何時間も祈れるようになったなどと思うようになると、自分で自分の祈りに満足することを求めるようになります。それこそまことの祈りからはどんどん遠くなるこころです。むしろ、そこから解き放たれよということです。P129

    ところで祈りが聴かれなかった時、しばしば諦めるということが起こります。しかし、私たちは諦めることはしません。諦めは「仕方がない」という言葉を生みます。私たちが知っているのは断念です。神の御意志に従うことです。これは諦めとは異なり、ひとつの決断です。服従の決意です。P194

    このところの区分の最後の言葉は10節です。「なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」。いいですか。パウロの言葉は「わたしは弱い」ではありません。「わたしは強い」という言葉です。…パウロがここで語っていることも弱さではない。「私の強さ」です。私の強さ、これは恵みによって強くされているということです。…このところを間違えると、実質的には弱さを正当化して弱さの中に座り込んでいるにすぎない場合がある。…自分の弱い傷をなめているようなものです。キリストの恵みの強さに生きていない。…パウロがやはり願ったのは強く生きることなのです。弱くってよいということではない。強く生きることなのです。強く生きるために弱さを誇るほかないのです。P255

全1件中 1 - 1件を表示

著者プロフィール

1929年、旧満州ハルピンに生まれる。東京高等師範学校付属中学、旧制第一高等学校、東京大学文学部哲学科、東京神学大学博士課程前期課程修了。日本基督教団若草教会、牛込払方町教会、鎌倉雪ノ下教会にて主任担任教師。現在、同教団隠退教師。牧会の傍ら、東京神学大学で実践神学を教え、再三、ドイツに研究滞在、ハイデルベルク大学客員教授(1986-87)、国際説教学会会長(1995-97)。現在、説教塾主宰として、説教者の研修指導に励んでいる。

「2023年 『主よ、わが唇を開きたまえ 説教黙想集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

加藤常昭の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×