- Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
- / ISBN・EAN: 9784875592082
作品紹介・あらすじ
私たちが毎日口にする「食べもの」は、今、国家と多国籍企業のグローバルな支配下にある。農業の工業化による自然と食文化の破壊をえぐり、スローフード運動の先駆性を認めつつも、それを超える新しい農と食のあり方を考察する。
感想・レビュー・書評
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◎第二次世界大戦後に支配的な経済大国となったアメリカは、国際的なルールが自国の国内農業援助プログラムろ両立することを強く求めた。
これらのルールは、結局のところ、世界の農業・食糧関連の生産や貿易において、アメリカが過去のシェアをはるかにしのぐ圧倒的な優位に立つことを可能にした。
◎農業貿易での重商主義的慣行に対するアメリカの強いこだわりは、多国間制度を犠牲にすることにつながった。
◎生産物価支持プログラムは、価格を下落させずに余剰を処分する方法を必要としていた。
フード・スタンプや学校給食といった形での国内の公共的分配や、「援助」といった形での対外輸出補助として実現した。
◎生産や消費における「アメリカモデルの輸出」としばしば呼ばれるものは、戦後のフード・レジームの特殊な慣行の結果だった。
◎「緑の革命」はアメリカ農業でのハイブリッド・トウモロコシ革命を第三世界で複製し、器材や化学肥料の投入を通じて国内農業を世界市場に統合したが、それにもかかわらず、第三世界は、全体的に見ると、世界小麦市場にとっての主要な輸入需要の源泉となった。
食糧輸入政策によって、第二次世界大戦が終わるまでは食糧をほぼ自給していた国々に、20年もたたないうちに食糧依存が作り出されたのである。
◎ソ連の購入によって引き起こされた穀物や大豆の突然の不足
⇒アメリカの対応
農務省はニューディール以来、不規則ながらも耕地面積を減らしてきた環境保全やその他の取り組みを放棄し、小麦、トウモロコシ、大豆の海外需要を満たすために「農場の隅から隅まで」植えろという勧告を出した。
◎日本国内の農業・食料経済はマーシャル援助と同時に始まった。
目的や政策はマーシャル援助と同様であったにも関わらず、戦後の経済的・政治的状況や、歴史的な関係性の乏しさから、アメリカの企業は、ヨーロッパで行っていたような大規模かつ直接的な投資を日本で行うことを躊躇した。
◎日本の消費者たちは、小麦を摂取するようになったことで、安い世界市場価格で利益をえることができたし、またアメリカの余剰小麦を市場から一掃することに手を貸した。
この意味で、日本は、アメリカを輸出中心地とする国際的な小麦貿易の再編において、第三世界と同じ役割を果たした。
◎アメリカは、対日貿易交渉のたびに、20年近くも前の政治的失策についてのむなしい謝罪をくり返した。1980年代のはじめにアメリカが日本に対して行った農産物貿易障壁「の削減圧力が、コメではなく牛肉とオレンジを中心に行われたのは、このことが理由かもしれない。
◎食糧危機を機に、日本の海外での農業・食料投資が始まった。
供給を多元化すれば、価格を低く維持でき、特定の供給もとへの戦略的な依存が少なくなるから。
日本はこれを、必要最低限の投資で、できるだけたくさんの輸出セクターを作り出すことによって、最も効率的に行うことができる。
そうすれば輸出業者たちは日本の輸入市場を求めて競い、日本の輸入業者は選り好みをすることができたり、ある供給もとから別の供給もとへと乗り換えたりすることができる。
◎その日本の独特な対外経済戦略は、国際的な食料関係の構造を揺るがす力を十分に持っている。
◎NICs(new industrial countries)
新興工業国
◎NACs(new agricultural countries)
新興農業国
◎アメリカにとって輸出は、経済的・戦略的パワーの源泉であった。フード・レジームは多くの低開発諸国に、輸入食糧への依存、輸出収入の停滞、負債といった負の遺産を残した。その後、いくつか国が新興農業国になり、その輸出競争力が、フード・レジームを崩壊へと導いた。
日本のような強力な輸入経済にとっては、これは強みとなる。
◎輸出と援助が一体化した対外プログラムに埋め込まれていた「輸出依存への不可避な傾向」が現実化した。
10年間にわたって、アメリカの共和党政権は、活発な輸出攻勢を展開し、長期的な農業再編を怠ってきた。
アメリカが商業市場を開放させようとして躍起になっている姿は、
譲許的条件での販売や長期貸付やその他の様々な形態の「援助」が、
新たな市場を育成するためにうまく機能しなかったことを暗示的に物語る。
余剰農産物の存在は、パワーよりも弱さを、チャンスよりも負担を意味するようになった。
すなわち、攻撃的な貿易慣行の廃止を執拗に要求しながら、自らはそのような貿易慣行をおこなうという矛盾である。
◎「非伝統的」農産物の輸出促進は、債権国によって課された構造調整条件が明示的に求めているものである。
農業・食料生産および輸出への投資という観点からすれば驚くべき成功をおさめたブラジルでは、
土地からの追いたて、地域のフード・システムの破壊、飢餓、社会不安などの悪夢も経験した。
◎コロニアル=ディアスポリック・フード・レジーム
労働者、アナーキスト、社会主義運動といった社会不安に直面していたヨーロッパの諸政府は、
厄介者を国外に移住させたり、腹をすかせた国内の市民をなだめるのに安価な食糧を輸入することに関心を抱いていた。
イギリスは、意図的に国内の食糧安全保障を犠牲にした最初の国であった。
イギリスは、食糧輸入のために、当時最も活発な資本主義セクターであった船舶輸送に加え、
大陸横断鉄道の建設に対しても資金を提供しなければならなかった。
鉄道車両工業や造船業を活性化させ、産業利潤を増大させた。
■訳者解説
◎農業・食糧複合体(complex)
生産のグローバル化論を引き継ぎ、
資本のグローバルな活動が農業・食糧セクターにおいてどのように展開されているかを具体的に明らかにしようとするのが、
フリードマンの農業・食糧複合体(complex)という概念。
農業・食糧複合体は、国境を越えた商品連鎖を表すだけでなく、農業と工業の複雑な結びつきに注目することによって、
農業と工業とを分析的に統合する意思をも示す概念にもなっている。
農業投入財(工業)→大豆(農業)→飼料製造(工業)→牛(農業)→冷凍食肉生産(工業)→ファーストフード・ハンバーガー(サービス業)
といった連鎖関係。
農業と工業とサービス業の、または農民と企業と労働者と消費者の複合的な連結関係
◎農業・食糧複合体:①小麦複合体
②家畜複合体
③耐久食品複合体
小麦複合体は、戦後の食糧援助を通して西側の先進国と第三世界を結びつけ、
先進国は工業製品を輸出して第三世界は農産物を輸出するという伝統的な国際分業とはうらはらに、
第三世界の輸入食糧への依存を作り出した。
その基盤の上に、さらに国境を越えた統合関係を深化させたのが、家畜複合体。
◎国際分業はつねに政治的ルール、とくに通貨や軍事を司るルールによって支えられ、形成されてきた。
調整は、目的や機能においては社会的/経済的ではあるが、その形式においては政治的/法的/軍事的であることが多い。
◎戦後のフード・レジームの暗黙のルールは、農業の国家的調整。内容は補助金付き輸出。
戦後の食料における国際関係は、アメリカの国内農業政策をモデルとした各国の農産業の国内調整と、
アメリカのヘゲモニーと国際的な通貨システムとを背景とした余剰農産物の海外輸出という「統合」関係によって成り立っていた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
分類=グローバライゼーション・経済・政治・食糧・種子。06年10月。食糧を、生命をもてあそぶのはいい加減に止めるべきなのではないでしょうか?