- Amazon.co.jp ・本 (183ページ)
- / ISBN・EAN: 9784876997565
感想・レビュー・書評
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共同図書 490.154/Su38
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講演会「しょうがいの重い人の今後のケアホーム」の話のなかで、杉本さんのお名前が出てきた。どっかで聞いたような…と思ったら、むかーしこの人の本を買って読んだことがあったなと思い出した(『「医療的ケア」ネットワーク―学齢期の療育と支援』という、もう10年前の本)。
杉本さんのHPにあるケアホーム訪問記を帰ってから読み、図書館でこの本を借りてみた。4月に、15歳未満の、脳死と判定された子どもからの臓器移植がおこなわれたばかりでもあり、さいしょのところを読みはじめて、そのまま借りてきた日に読んでしまう。
杉本さんは、子どもさんを交通事故で亡くした。6歳10ヶ月、小学校入学直前だった。小児科医・小児神経専門医である杉本さんは、「医者の目」と、そして「死にゆく子の父としての目」と、両の目をもって経験したことを書いている。その記述は、もうずいぶん前に読んだ本だが、柳田邦男の『サクリファイス』を思い出させるものがあった。
そして、子どもを亡くしてからも小児科医としてはたらいてきて、杉本さんは医者としての思いも書いている。今一番大切にしているメインテーマは変わっていない、「本人の自己決定である」と。
▼どんなに意識がなくても、言葉を話せなくても、脳障害がどんなに重くても、死に瀕していても、その本人が何を望んでいるかということである。それを専門家として、人間として、どのような援助ができるかという点である。(p.147)
わが子の脳死を告げられ、少しずつそれを受け入れていったあいだに、子どもの体の一部でもいかせるものならと、杉本さんは腎臓移植を決意する。それは、人工呼吸器をはずして心停止をむかえる決断でもあった。
機械をはずすかどうか、私にとっては祖母の死がそうだった。心筋梗塞をおこして運ばれた病院での治療中に、祖母は「心破裂」を起こし、人工心肺を装着された状態で「現在の医療では救命不可能です」とわれわれは告げられ、機械をいつはずすかの決断をせまられた。そして、控えめではあったが、病院側から心臓を解剖でいただけないかとも打診された。
病院に運ばれたときには話もできていただけに、いきなり死をむかえる決断をせまられて、祖母と同居していた叔父の落ち込みはひどかった。待たされた病室で、ぐいぐいとお酒を飲んでいた姿がわすれられない。
この本とあわせ、送ってもらった報告書もよむ。
平成22年度 障害者総合福祉推進事業
医療ニーズの高い障害者等への支援策に関する調査 報告書
(特定非営利活動法人 地域生活を考えよーかい、2011年3月)