- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784877582760
感想・レビュー・書評
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今回のシリーズは幕末に焦点をあてたものが纏められています、鳥羽伏見の戦いで負けた辺りから正規軍である幕府軍は旧幕府軍と呼称され、クーデターを起こして天皇を味方につけた方は新政府軍と呼ばれ始めたころです。
それまでは、長州は幕府にとって反乱軍だったのが、ある時を境に官軍になっていて、一夜にして価値観が変わったのが想像されます。鳥羽伏見の戦いで、錦の御旗を見るまでは政府軍は新政府軍を討伐するつもりで動いたのですから。
当時の人から見たら、天変地異に近いものがあったと思います。クーデターで取った政権が今もつづいているので、近い将来も同様なことが起きるのでしょうか、いつかは起こるのでしょうが、自分が生きているうちに起きるかどうかは分からず、当時を生きた庶民は何を考えていたのかを知りたいなと思いました。
幕末・京都炎上/長州・久坂玄瑞、志に散る
・久坂は吉田松陰の下で、同窓の俊才である高杉晋作とともに松下村塾の双璧と言われた(p29)
・1863年に久坂の働きによって、幕府は開国の方針を翻して攘夷を実行することにした、この功績により久坂は長州藩主によって上級武士へ取り立てられた(p33)
・7月19日、長州軍は幕府と諸藩の連合軍と激突し、禁門の変のはじまりとなった(p54)
新選組、鳥羽・伏見に散る/旧幕府軍大敗北の真相
・大政奉還後、薩摩と長州はその狙いを見透かし、天皇をいただいたクーデターを強行して、1867年12月9日には、王政復古の大号令が発せられ、慶喜の官位剥奪、領地没収となった(p74)
・1868年1月2日には、会津藩・桑名藩を主力とする旧幕府軍は京都へ出発して薩摩と闘うのが目的であった(p78)
・新政府軍の責任者である西郷隆盛は危険を承知で最前線に姿を見せたが、旧幕府軍を統括する老中格の松平豊前守は戦場から4キロ離れた淀に、総大将の慶喜は大阪城に篭ったまま(p84)
・あと一息で勝利は確実と思われたときに、淀にいた旧幕府軍責任者から、徹底命令が出て、新選組と会津藩兵は激昂した(p87)
・予期せぬ藤堂藩の裏切りにより、旧幕府軍は壊滅した(p101)
・慶喜の参加した政府では、諸大名の力も強くなるので、廃藩置県というものは遅れていた可能性あり(p104)
・慶喜の逃亡によりスケープゴートにされたのが、新選組や会津藩であった(p105)
・幕府軍が負けたのは、藤堂藩だけでなく、その他の日和見藩が一斉に新政府軍につくと多くの幕臣が疑心暗鬼になったこと(p109)
必勝の方程式、江戸を制す/大村益次郎、彰義隊撃破の時
・大村にとって戦にかつとは、相手を滅ぼすのではなく、その場所を制圧すること(p124)
・上野における彰義隊討伐に勝利するということは、明治維新の分かれ目の一つであった(p149)
改革に散った最後の幕臣 小栗上野介/一本のねじから日本の近代は始まった
・西洋文明の原動力は、できあがったビルや蒸気船ではなく、それら生み出す工作機械と工場、そのもとは”一本のねじ”であることを悟った(p169)
・「日本にはロシアを追い払う力はないので、イギリスに頼めば良い」という勝の案に、幕府は飛びついた(p172)
・小栗はオランダに船造りの協力を求めたが断られた、フランスは造船所建設に好意的であった(p175)
・造船所を作るとは、軍艦が破損したときに修理をする場所を確保するため(p176)
・横須賀市に1865年に設置されたマザーマシンは、以来、平成9年まで130年間稼働した(p180)
・小栗は群馬県・上州權田村に向かって、いつかは2,3人の太政大臣をだすと目標をもった(p191)
・日露戦争にてバルチック艦隊を迎え撃った日本海軍は、横須賀造船所にて最高速力の発揮をしてロシア船に有利に立った(p194)
日本人、南極の大地に立つ/白瀬探検隊・ゼロからの挑戦
・白瀬は資金集めに奔走した、必要資金は10万円(現在価値で200億円)、後援会長は大隈重信、新聞広告の募金で半年で4.5万円集まった(p217)
・極点を目指した突進隊は、2台の犬ぞりにわかれた、樺太アイヌの隊員が用意した犬ぞり、防寒具が役立った(p234)
・白瀬の探検の成功は、特に海外の民間人が日本人を見直した良い機会になった(p242)