十六の夢の物語: M・パヴィッチ幻想短編集

  • 松籟社
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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879844132

作品紹介・あらすじ

時空を自在に超えて展開する、不思議な物語の数々。
後年『ハザール事典』で世界を瞠目させることになる作家の、奔放な想像力が躍動する幻想短編アンソロジー。

感想・レビュー・書評

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  • 『十六の夢の物語』とあるとおり、夢や、予兆、記憶、相似といった互いに異なる時代や場所で起きた複数の事象の間にある奇縁を主題にした作品が選ばれている。パヴィチは文学史家でもあり、セルビア文学史の大冊も刊行している。その該博な知識を駆使して、欧州の火薬庫とも呼ばれるバルカン半島はセルビアで起きた有名無名の歴史的事象を換骨奪胎、自在に使い回しては独特の奇譚を創り上げている。

    その特徴は、リニアな読みを回避するところにある。長篇で用いた占いや事典形式の採用がその一つ。読みようによっていくらでも異なる世界が立ち現れる玄妙な小説作法だ。短編でそれを味わうのは難しいが「裏返した手袋」一篇は、題名同様、まるで手袋を裏返すようにほぼ同じことを書いたパラグラフを、折り返し地点で逆向きに書き連ねることで、読み始めと読み終わりで、逆の意味を持つ話にしてしまうという、離れ業をやってのけている。

    「ヒョウとバッコス」は、締め殺される夢を見て、相手の指を噛みきる寸前のところで目を覚ました男の話。自分の部屋にかかっている古い絵の中の男と旅先で見たモザイク画のバッコス、レストランで出会った外科医、時代も場所も異なる、三人の顔が自分そっくりだったことで、あらためて、自分の指を見ると傷痕が残っており、自分を殺そうとしたのが自分だったことに気づくという、自己同一性を主題にした一篇。「先祖伝来の追放の宿命」という言葉から、自分は何者かという問いに民族の歴史が影を落としていることが分かる。

    「いつの日か、禁制にもかかわらず、紙に書いてはいけない名前を書いてしまう者がこの世に生まれてくること、また、読んではならない決まりがあるにもかかわらずそれを読んでしまう者が現れることは間違いない」という罪により、処刑された修道士スパンの書いたイコン画を見つけた「私」は「アクセアノシラス」という表題を持つ文章を書いている。「私」は自分が犯した罪に気づく。スパンが死なねばならなかったのは、私がこれを書いたからだということに。同時にその名前を読んだ「あなた」つまり読者も共犯だということに。

    一三一四年、フランスの王女アンジュ―家のヘレナはイバル川のほとりにあるグラダツ修道院で天に召される。生前、王女は修道院の壁のどこかに持参金や宝石その他の財宝を埋め込んだが、その場所は誰にも秘密にされていた。「風の番人」は、その宝物の帰趨をめぐる顛末を描いた物語。

    ヘレナの次男ミルティン王の死後、ビザンツ帝国に貸し出されていた兵士たちが帰国し、権力の空白をいいことに国中を荒らしまわり、グラダツ修道院の略奪を狙う。ところが火が回ったことで宝物の略奪を案じた教会長の口から出まかせの「異教徒がいるぞ!」の一声に驚いた巡礼者たちが壁に押し寄せ、兵士たちと鉢合わせになった。兵士たちは巡礼者の存在に驚き、這う這うの体で逃げ出し、その隙に火は消し止められた。その晩教会長が読んでいた本の余白には、次のような懺悔話が書きつけられていた。

    驚異的な聴力を持つプリバッツは、グラダツ周辺の住民たちに迫りくる危険について知らせる「風の番人」だった。彼は鳥たちがある場所にいるとき、まったく異なる鳴き方をすることに気づいた。決まった種類の木が群生してるところでは、決まった種類の鳥が集まるからだ。そこは古のビザンチン様式の庭園跡だった。それが宝の隠し場所を示す手がかりだったが、王妃の秘密を暴いたことを恐れたプリバッツは懺悔して死に、聴聞僧のイザイヤがそれを書きつけに記した。

    一九六八年古教会スラヴ語―フランス語辞書を手にした二人のフランス人がグラダツを訪れ、ベオグラードの日刊紙のひと包みを修道院に集まる人々に売り捌いた。記事には「ロシアの戦車、プラハに侵攻」の文字が躍っていた。会衆が教会を飛び出した隙に、二人はまんまと宝物を掘り出しフランスに持ち帰る。「まったく同じやり方で、同じものを守ることも失うこともあるのです」というヘレナの言葉通りになったというわけだ。

    「沼地」は、食べ物にしか興味のない絶世の美女が、世界中を食べ歩くうちに一人の男に出会って結婚し、子どもが生まれるが、その子はもの凄い速さで成長し、七歳の時には白髪頭になって死んでしまう。その悲しみから逃れる術を知らないアマリア・リズニッチは夫と離婚し一人になると、死んだ子そっくりの男を捜して養子にすることを思いつく。ようやく見つけたのは死んだ年の息子そっくりの白髪頭になった元夫だった。

    彼女はその事実に気づかぬまま、息子に嫁を取らせ跡継ぎを作ることに夢中になる。元夫は自分が愛しているのは君だけだと言い残し、別れを告げる。彼女は「もの思いに一番似ているのは、痛みだわ」と言いながら、病気を抱え、また各地を旅してまわった。あるとき沼地がその病を癒すと聞いて、その場所「猫の沼地」を探すのだった。もう、お分かりだろう。それこそ、旅暮らしで顧みることのなかった自分の領地だったのだ。

    男性版と女性版ではその内容に僅かな違いがある、事典形式で書かれた『ハザール事典』で知られるセルビアの作家、ミロラド・パヴィチ。他に、表と裏の両側から読み進める『風の裏側』、付録のタロット・カードを使って占い形式で読むことのできる『帝都最後の恋』と、これまでに三冊の長篇が邦訳されているが、短篇については今まで邦訳がなかった。これは七つの短篇集から訳者選りすぐりの十六の短篇を収めたアンソロジーである。短いだけに濃縮されたような味わいを詰め込んだ絶品の一品料理の品々。どこから手をつけようがお好み次第。セルビア由来の珍味佳肴をご賞味あれ。

  • シリーズ「東欧の想像力」について 図書出版松籟社
    http://shoraisha.com/main/category/east-europe.html

    十六の夢の物語 ミロラド・パヴィッチ(著) - 松籟社 | 版元ドットコム
    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784879844132

  • 読書が一つのインプットあるいは体験だとします。
    昨今のインプットあるいは体験は、効率的、網羅性、費用対効果、論理性、アハ体験、腹落ち、3分でわかる、寝ながら学べる、などが求められ重要視されることが多いです。

    本書はそのようなものと対極にあります。

    セルビア生まれで文学史が専門の著者の小説である本書では、日本人の我々にはほとんど馴染みのない人名、地名がかなり出てきます。バルカン半島の歴史や地理、宗教の知識も少なければ読書速度は落ちます。
    そして小説の物語は理解しにくく、しばしば脈絡がないようにみえ、提示されているように思われた謎は解けません。

    通常の読書体験が体に染み付いていると、違和感ーあるいは人によっては不快感ーが感じられるかもしれません。
    ですがその違和感が本書の大きな魅力の一つです。

    タイトルにもある夢。
    寝ている間には色々な夢を見ることがあり、その中にはとても不思議なものがあります。
    独特な色使いの世界、知人ではない人の出現とその関わり、物語の散在と飛躍、空間や時間の歪み、生の拡張と死の脱臼。
    そういった夢の感触は、覚醒直後に急速に離れていき、その喪失感もろともすぐに失われてしまいます。

    本書を読んで、そういう失われた夢が自分にはあったことが思い出されます。またそんな夢や覚醒後の喪失感にまた出会えたようななんともいえない感動、人間世界や人間の認知の可能性や不思議さを感じました。

    そういう感覚をこんなに短い文章で人に与えられる著者に出会えたことに感謝です。

  • 心地よい生温い湿度
    朝食と、沼地がよかった

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著者プロフィール

セルビアの作家・詩人・文学史家。1929年、ベオグラードにて生まれる。
ベオグラード大学卒業後、編集者として働きながら、大学でセルビア文学史を講じ、創作や学術論文の執筆を行う。1967年、詩集『パリンプセスト』で詩人としてデビュー。70年代から80年代前半にかけて、セルビア文学史をまとめた大著を刊行した。1984年に発表した小説『ハザール事典』がその斬新な形式ゆえに話題となり、一躍世界的な名声を得る。その後も、小説を読む行為に読者をより能動的に関わらせる仕掛けを施した作品を多数発表。
2009年、生地ベオグラードで逝去。

「2021年 『十六の夢の物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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