聞書水俣民衆史 2: 村に工場が来た

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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883230310

作品紹介・あらすじ

第二巻「村に工場が来た」1908〜1925年頃
▼明治四一年、水俣村に小さな化学工場が建つ。夕方になると人も通らない、川下の淋しい場斬に。村の一角に異質な世界が、出現したのだ。赤々と燃える電気炉というものがあり、湯気の出る石(カーバイド)を作るという。村の日雇の日給よりなお安く、人を使うという。あそこに行けば、一日一人づつ死ぬげなという風評も立った。現金収入に苦しむ村人たちも、さすがに二の足を踏む。工場に入ったのは、村の最下層の人たちであった。日本窒素肥料株式会社の歴史の始まりである。
▼村の小さな化学工場は、今にも潰れるという話だった。しかし、一〇年も経つと、事情は一変する。廃止になっていた村の塩田跡に、従業員二〇〇〇人という、大工場が新たに建設されたのである。今度は、村人こぞつて工場に入る。一軒に二人の青年が居れば二人、三人居れば三人。それでも、水俣だけでは労働者が足りずに、近郷近村、天草や長島などから、人々が蝟集してくる。一日本の村の工業化は、どのようにして行われたのか。水俣村にとつて、工業化とは何であったか。それが、本巻のテーマである。
▼わたしたちは、建設の状況を見た後、幼年期と青年期の工場の内部に入り、労働実態を調べる。工場の生産は、カーバイドから石灰窒素、石灰窒素から変成硫安の製造へと、進んでいた。その労勧の特徴は、肉体労働中心であったことである。労働者は牛馬と思って使えといわれた。乞食から更に下がって牛馬! 労働の本質もまた、牛馬的だったのである。
▼工場がどれだけ支配力を持つかは、一日働いていくら稼げるかによつて決まる。日本窒素が、熊本県八代郡鏡に建設した姉妹工場で、大正七年米騒動の一環として、暴動的大争議が起きる。その影響で、水俣の地方的特殊低賃金が是正される。その結果、工業化の生んだ賃労働は、労働の呪詛を越え、民衆の生活の闇に射す光となった。民衆の側の凄惨な原始蓄積が始まり、人々は工業化に歓呼し、結婚し子供を生み家を建てる希望を持つに至る。村はようやく文明開化期を迎え、町になっていったのである。

著者プロフィール

チッソ水俣工場第一組合元委員長

「2015年 『水俣病の民衆史 第六巻 村の終わり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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