- Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
- / ISBN・EAN: 9784884748302
感想・レビュー・書評
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儒教は、人間の胸の奥深くに内在している自分自身を徹見し、自分がいかなる者であるかを知るための教えです。また、個人が自分および社会に対して果たすべき責務、個人と社会とのあるべき姿を示した教えでもあります。人間は自らの欲望を満たすためだけに生まれてきたわけではありません。個々の人間には天から与えられた役割があります。その役割を果たすことが人間としての最高の生き方につながっていくものだと考えます。今、私たちに求められいるのは、人間としての原点に立ち返り、自分が何のために生まれてきたのか、何のためにここに存在しているのかを見つめ直すことです。真に自らの役割に目覚めた時、私たちの生き方は必ず変わります。一分一秒が意義あるものに感じられ、心が充足感で常に満たされます。
”子、四つを以て教う。文、行、忠、信”
”文”→勉強しろ。
”行”→人の道の実践。口だけの人間になるな。見識を持つところまでは比較的容易に行けるけれど、勇気を持って実際の行動に移せるかどうかが大きな関門。
”忠”→真心を尽くすということ。誠実さ。
”信”→偽りのないこと。社会の信頼を失うことはないか、自分自身の信頼を失うことはないか、自らに厳しく問う。
五常ー人間として実行すべき五つの徳目
”仁”→他を思いやる心情
”義”→人間の行動に対する筋道、なぜそうするのかという筋道
”礼”→集団で生活を行うために、お互いが協調し調和する秩序のこと
”智”→人間がよりよい生活をするために出すべき智慧。
"信”→集団生活において常に変わることのない普遍の原則
片方で精神の糧になる読書をしながら、片方で事上磨錬によって学んだことを実践していく。学んだことと対峙して、自分はどうかと常に反省しながら、自分を修正していくのです。そうした努力を積み重ねていった結果として、私利私欲がだんだん減り、かなり抑えられるようになります。そうなってくると、次第に世のため人のためという発想が芽生えてきて、勇気を持って実行しようという行動につながっていくのです。
”君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る”
物事を判断する時、君子は正しいかどうかで判断するが、小人は損得勘定で判断する。
”君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む”
君子はあらゆることを自分の責任と考え、自分にその責めを負うけれども、小人はすぐに責任を転嫁する。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今、私たちにもとめられているのは、人間としての原点に立ち返り、自分が何の為にうまれてきたのか、何の為にここに存在しているのかを見つめ直すことです。真の自らの役割に目覚めた時、私たちの生き方は必ず変わります。一分一秒が意義あるものに感じられ、心が充実感で常に満たされます。志を共有する善き人々との出会いに恵まれ、心躍る楽しい時間を共に過ごすことができるでしょう。 老子 天網かいかい、疎にして漏らさず 天の網の目は非常に粗いように見えて、決して悪を逃すことはない 学んで、その意味と内容を、今生きる人間としてよく考えるのでなければ何もわかっていないのと同じだ。また、自分一人で考えてばかりいても、他から学ばなければ、これもまた独断に陥る危険がある。 子曰く 学びて思わざれば則ちくらし、思うて学ばざれば則ちあやうし 親が子に与える無償の愛、子が親に報いる感謝の気持ち。そちてまた子が年老いていく親をいたわる気持ち、そういう親子の間の気持ちがすべての愛情の基本だと思っています。こうした気持ちなしに、自分の妻や他人を愛することは決してできません。 子曰く、父在せば其の志を観、父没すればその行いを観る。三年、父の道を改むること無きを、孝というべし。 父親の存命中は、父のきぼうするところ、その志すことを奉じて行い、父がなくなったら喪中は父の考えを変えなければ、孝行の道を歩んでいるといえる。 子曰く、君子は周して比せず、小人は比して周せず 君子は誰とでも公平に親しみ、偏った人と徒党をなすことはない 逆に小人は偏って交わるが、誰とでも親しく公平に交わるということはない。 子曰く、君子は和して同ぜず、小人は動じて和せず。 君子は調和をとって誰とでも仲良くするが、無理に調子を合わせたりしない。小人は誰とでも調子を合わせるが、こころから仲良くしない. 君子は諸れを己に求め、小人は諸を人に求む