ゲーム分析 (Transactional analysis series 4)

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  • Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784885090158

感想・レビュー・書評

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  • ☆5(付箋13枚/P138→割合9.42%)

    こちらは交流分析の中でも更に、「ゲーム」と言われるコミュニケーションの成り立ちや対処を深めたものです。
    コミュニケーションと、通常のコミュニケーションと思っている物に別の精神的動機が隠されて内包されている少し歪んだやり取りとなるゲーム、そしてそれへの対処は肯定的なやり取りで関わる事だ、ということは構造を理解しないと中々難しいものです。

    他にもさらっと

    “カウンセリングでいう“傾聴”は、私どもが他人に与えることができる最も優れた肯定的ストロークと考えられています。
    交流分析的にいえば、それは相手を責めることも、ことさら大目にみることもせずに、Ⓟ(NP)によって、相手のⒸから表現される感情と、その内容の両方に耳を傾け、それらを相手の立場から理解しようとするものです。
    また、カウンセリングでは、無条件の肯定的尊重をクライエントの変化を促す基本条件としますが、交流分析では無条件の肯定的ストロークを重視します。”
    と、本質的な事が書かれていて驚きました。

    それでこれもやはりお互いのやり取りという事になるのでしょうけれど、ある小学校の事例が載せられていて心を打ちます。
    学級崩壊しそうなクラスに新しく赴任した先生が、今までの交流を知るために、先生に生徒が願う事を作文に書いてもらいました。

    “そこには教師の位牌の画までのった不満と怒りの表現が返ってきた。
    「馬鹿」「好かん」「邪魔者」。その中でも、とりわけ「ひいきはイヤだ」というテーマが一貫していた。

    …しかし、「ひいきしません」といっても、それこそ生徒が聞き飽きた答えであり、彼らの不満と疑いを強化するだけであろう、と思った。
    そこで話し合いの時間の終わりに「皆さん全員をひいきします」といって、どんな風にひいきされたいかと質問した。「馬鹿といわないでほしい」等々と希望が述べられた。
    それらは先に作文に書かれた教師に対する訴えを、逆にした内容のものばかりだった。”

    子供がこのようにある種歪んだコミュニケーションの方法を身につけて育ってしまうのは、やはり大人の責任が大きいのだよなあと思います。そしてそこに大人が関わる時、ただ責めるだけではやはりダメなのでしょうね。

    ***以下抜書き**
    ・大木はその主根を切り離せばたしかに倒すことができます。しかし、それには深く掘り下げ、多くの末梢の根の間をぬって主根を切らねばなりません。しかし、他の方法でも木は倒れるといいます。主根には触れずとも、周囲の多くの根を最初に切ると、支えを失った大木は、自分の重みで倒れるというのです。これは、ゲーム分析において、相手を変えるより、まず、自分の方を変えるほうが、はるかに有効であるという考え方にも通じます。
    (例えば、片付け、散らかしなどのあら捜しにエネルギーをかけるより、自分で片付けてしまった方が早く、楽しいストロークの交換ができる、など)

    ・日常生活で最も深い信念をもってゲームを演じる人たちはひねくれ者と、堅物あるいは馬鹿者の2種類である。
    ひねくれ者は、(男の子の場合)自分の母親に怒っている人である。調べてみると、彼は幼時から母親に怒っていたことが明らかであり、その怒りには十分なⒸ的な根拠がある。つまり、幼児期の一番大切な時期に、母親が病気で入院して自分を“見捨てた”と感じたり、兄弟をたくさん産みすぎたと恨んでいるのである。
    …ひねくれは、その出発点から意図的なものだから、ひねくれようとする決意は、人生のどんな時期にでも逆転させることができる。それは、ちょうど子供の頃、夕食の時間がくると、ひねくれが逆転するのに似ている。ひねくれの決意を逆転するのに必要な条件は、大人のひねくれの場合も、幼い男の子の場合にも同じである。彼は、体面を保つ必要があり、ひねくれる特権とひきかえに、何か価値あるものをもらわねば気がすまないのである。

    ・どうしてわざわざ時間をつぶすためのゲームをしたり、1人ゲームであるラケットというようなことを人はやってしまうのでしょうか。これについては色々な説明がありますが、その第一の理由として時間の構造化ということがいわれております。私達は与えられた時間を全く無として過ごせないというのがTA(交流分析)の前提です。人間には刺激への飢餓があると考えるのです。
    ちなみに第二以下は、
    ②比較的強いストロークの獲得。非行や強い刺激は自分がここにいるという存在感を与えてくれる。
    ③考え方の枠組み、準拠枠の維持。物を考える価値体系を守ろうとする。
    ④スタンプの収集。爆発などの行動のためにマイナスの感情をため込む。
    ⑤人生脚本と呼ばれる、生きざまのパターンの一部となっている場合。
    ⑥自分か相手がOKでないという事を証明したい。
    ⑦親密な他者との交わりを求めて失敗している。
    ⑧予測可能性の確認。新しい、不確実な未来は不安であるため。
    ⑨孤独を避けるため。

    ・このゲームは社会的レベル、つまり表面に現れたやりとりの部分では、初めに患者役が「私は問題を持っている。」そして、それに対して、「私はこういう提案がある」とアダルトとアダルトのやり取りが行われているのですが、心理的なレベルでは、患者の方が「欠点のない答えを出してごらん、私の方はすごいんだぞ」という挑発を順応チャイルドの立場からしているわけで、この順応チャイルドの挑発は治療者のⓅの自我状態に向けられるわけです。
    (相談に対して提案をすると、でも…で出来ないんです他には?それも…で出来ないんですそれで?とずっと繰り返すパターンのやりとりについて)

    ・ラケットとゲームに対しては、カウンセラーが対決したり、指摘したりすることが必要です。患者が受容をもとめても、ラケットならば、その手にはのらないようにします。臨床的には、ラケットをストロークしないという原則があります。「これはラケットだな、ほんものではないな、ヒネクレたものだな」と、いうようなことを感じたらストロークしないとうことが重要です。

    ・このはずみのついたゲームを止めるためには、パターンを崩すことが効果をもたらします。いつもやり慣れたパターンを崩して、パッと自分が正反対のことをしてみると、相手ものらなくなってしまうということなのです。例えば、急に謝ったり、優しい言葉をかけたり、だいたいプラスのストロークを出すことでパターンを崩すのが安全です。相手を尊重するような、自分が嫌な人だと思っていたものを心から褒めたり、許したりしてみます。

    ・「その服には、そのネクタイは全然合いませんよ。センスが悪いなあ」とか、「またミスしたな。君の頭はおかしんじゃない」、あるいは「先生は口ではいいこと言うが、実際は冷たい人ですよ」など、それをもらうといやな気持になるのが、否定的ストロークです。この種のストロークには、こちらを陥れようという意図が隠れていますから、Ⓐでもって冷静に受け止めることが肝心です。Ⓐで事実を確かめるようにしてみます。
    *君にはそう見えるんだね。わかった。
    *なるほど、そうかもしれない。じゃ、どこがおかしいのかな。
    *あなたにはそう映るんですね。では、私はどうすればいいのかな。

    ・カウンセリングでいう“傾聴”は、私どもが他人に与えることができる最も優れた肯定的ストロークと考えられています。交流分析的にいえば、それは相手を責めることも、ことさら大目にみることもせずに、Ⓟ(NP)によって、相手のⒸから表現される感情と、その内容の両方に耳を傾け、それらを相手の立場から理解しようとするものです。また、カウンセリングでは、無条件の肯定的尊重をクライエントの変化を促す基本条件としますが、交流分析では無条件の肯定的ストロークを重視します。

    ・校内暴力、万引き、窃盗を重ねる、文字通り「どうしようもないY(中2)」を担当することになったN先生は途方にくれた。しかし、これも否定的ストロークを求める姿だと解し、N先生は徹底的に肯定的ストロークを与える決心をした。1日に1つYのよい点を見つけ、カードに記入して、土曜日ごとに家に届けた。途中、何度かあきらめかけたが1学期間続けてみた。やがてN先生をまねて祖母から、「洗濯物を取り込んだ」などと書かれたカードが届けられるようになった。学校に不信感をもっていた父親も和らいできた。Yも夏休みには、近所の弱い子と遊んで喜ばれるようになった。2学期には情緒もかなり安定し、3学期には遅刻もなくなり、高校受験への意欲も見せ始めたのである。
    …徹底して生徒のよいところから関わり、しかも関わり続けて、一見絶望的と思われたゲームから脱出することができたのです。

    ・ゲームは過去の未処理のできごとを反復しているものです。人はゲームを演じる度に、その未処理のできごとに終止符を打ちたいと思っているのですが、悲しいことにⒶが働いていない状態なので、結局、古い行動がパターンを繰り返してしまうのです。

    ・人は肯定的ストロークが不足すると、否定的ストロークを求めて考動する―これは行動に関する交流分析のきわめて重要な法則です。

    ・T先生は、これまで莫大なエネルギーと時間をかけたのに、教育効果が上がっていない状態をゲームととらえてみた。教師と生徒の間にどんな交流があったのだろう?これを知るのが先決と考えたT先生は、生徒たちの願いを作文に書かせることにした。そこには教師の位牌の画までのった不満と怒りの表現が返ってきた。
    「馬鹿」「好かん」「邪魔者」。その中でも、とりわけ「ひいきはイヤだ」というテーマが一貫していた。
    …しかし、「ひいきしません」といっても、それこそ生徒が聞き飽きた答えであり、彼らの不満と疑いを強化するだけであろう、と思った。そこで話し合いの時間の終わりに「皆さん全員をひいきします」といって、どんな風にひいきされたいかと質問した。「馬鹿といわないでほしい」等々と希望が述べられた。それらは先に作文に書かれた教師に対する訴えを、逆にした内容のものばかりだった。

    ・肯定的ストロークを与える人は、それに約50%のお返しが戻るといわれますが、このように否定的ストロークをばらまく人は、100%の否定的ストロークを受けとるといってもよいでしょう。

  • 交流分析の解説本のシリーズ4冊目。
    ゲーム分析の解説だけで、今回それが読みたくて4だけ買いました。

    ゲームを中心に、防衛機制との関係やラケット感情、ストロークとの関係などがわかりやすく書かれていて、今までは漠然とした認識だったゲーム分析の理論について細かく理解することができました。

    またゲーム分析の理論だけではなく実際の事例・症例(逐語)をもとに会話のなかでどのようにゲームが行われているのかが解説してあるので実際としてのゲーム分析についても知ることができました。

    あとゲームへの対応方法の解説もあります。

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著者プロフィール

杉田峰康(すぎた みねやす)
1933年、東京都生まれ。1960年、アメリカのコンコルディア大学卒業(心理学、ケースワーク専攻)、1962年、イリノイ大学大学院修了(精神医学的ケースワーク専攻)。1963年、イリノイ大学付属病院にて精神療法研修中に九州大学医学部の故・池見酉次郎教授に請われて帰国。以後、同大学病院心療内科創設期より20年間、心身医学者と歩みを共にする。その後、活水女子大学教授、福岡県立大学大学院教授(臨床心理学)、九州ルーテル学院大学大学院教授を経て、現在、福岡県立大学名誉教授、日本交流分析学会名誉理事長。
日本における交流分析の第一人者。交流分析が日本に導入された1972年から研究・実践に携わり、「日本の文化、日本人の心性にマッチした交流分析」の普及に力を注ぐ。
著書に『こじれる人間関係』『新しい交流分析の実際』『人生ドラマの自己分析』(以上、創元社)、『ワンダフル・カウンセラー・イエス』(一麦出版社)、『交流分析のすすめ』(日本文化科学社)など多数ある。

「2018年 『3つの自分で人づきあいがラクになる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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