住宅という場所で

著者 :
制作 : ギャラリー 間 
  • TOTO
3.20
  • (0)
  • (2)
  • (8)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 37
感想 : 1
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784887061927

作品紹介・あらすじ

ギャラリー・間では2000年5〜7月に、生涯を通じて住宅設計に情熱を注いだ建築家・宮脇壇の、住宅作家としての活動を紹介する展覧会を開催した。同時に、11人の建築家・建築編集者を招き、シンポジウムや連続レクチャー「空間術講座」を開催し、住宅という場所で宮脇檀が考えたことを端緒として、世紀の変わり目の住宅について語っていただいた。本書は、総計18時間におよぶ、建築家たちのセッションの全記録である。それはまた、住宅をめぐるさまざまな問いから始まり、「住宅は建築の主戦場である」という地点へとたどり着く、熱いメッセージでもある。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • (*01)
    2000年の宮脇檀関連の展覧時に行なわれたシンポジウムやレクチャーが収録されている。それを15年後に読むという事で、いささか古びているのではと本書を読む前には予想していたが、そうでもなかった。震災や縮退という現代都市の局面に適応した住宅もあるだろうが、それ以前に近代住宅(*02)の問題は凡そ出揃っていたものと思われる。
    ただ、この企画編集の方針が既定であるので致し方ないが、作家住宅とその作家性が本書が問うている住宅であって、工業製品としての住宅、ハウスメーカーがなすメインストリームとしての住宅に対する史的な分析が大きく欠けていた事で、住宅という場所の半分も論じられていないという感は否めない。戦後の最小限住宅には増殖の予感があったし、モダンリビングの劣化版あるいは普及版としてのメーカー住宅、またその集合と住まい方生きられ方は、もっと論じられてよいところだろう。

    (*02)
    モダニズムとしての住宅は、本書に取り上げられている海外の著名な住宅に現われており、その幸福と不幸も語られている。なぜ海外の住宅の場所が、日本の場所では通用しないのか、これは風土や心性の問題でもあるが、日本の集住と散居という住宅受容のコンテクストについてもまだまだ指摘すべき事は多いだろう。

全1件中 1 - 1件を表示

著者プロフィール

建築家。1936年生まれ。1964年、東京大学大学院博士課程修了。1969 年、東京大学生産技術研究所助教授、1982 年より教授。1997 年、退官、同名誉教授。1970 年よりアトリエ・ファイ建築研究所と設計共同。1999 年より原広司+アトリエ・ファイ建築研究所所属。主な作品:田崎美術館(1986)、ヤマトインターナショナル(1986)、内子町立大瀬中学校(1992)、新梅田シティ(1993)、京都駅ビル(1997)、東京大学生産技術研究所(2001)、札幌ドーム(2001)など。主な著書:『建築に何が可能か』(学芸書林、1967)『空間〈機能から様相へ〉』(岩波現代文庫、2007)『集落への旅』(岩波新書、1987)『集落の教え100』(彰国社、1998)『Discrete City』(TOTO 出版、2004)『住居集合論Ⅰ・Ⅱ』(鹿島出版会、2006)『YET』(TOTO 出版、2009)など。

「2014年 『HIROSHI HARA : WALLPAPERS』 で使われていた紹介文から引用しています。」

原広司の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×