大学の授業

著者 :
  • 東信堂
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784887133440

作品紹介・あらすじ

授業の目的は、授業の正しい秩序を教えることを含むべきものである。つまり、学生は、学校における授業のありかたを学ぶべきなのである。本書は著者自身がしてきた授業を素材にして、大学の授業の目的・内容・方法を論じたものである。

感想・レビュー・書評

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  • 私、大学院生なんです。
    宇佐美さんに言ったら「お前なんか大学院生じゃない!大学生でもない!猿だ!いや、それ以下だ!!」と言われるだろう。
    自分を「研究者」だと思っている大学院生はどれくらいいるんだろう。私は全く研究者だと思っていない。

    「大学の教師が研究活動をするのは、その存在の本質である。大学の教師としての公の仕事である。さらに、研究的な活動は研究者の生きがい・楽しみではないのか。研究的な活動をしないで、眠る気になるか、食事がのどを通るのか。とにかく、研究者にとっての研究的な活動は私生活の都合で省略されるような性質のものではない(p.55)。」若師匠はやはり研究者である。

    勇気ある学生のコメント票(宇佐美の意見は偏った目でしか見れない、いわば典型的な頭の堅い大人でのものである。p.79)が書いてある。それに対しての宇佐美氏の反論も面白い。

    「教師の前であろうとなかろうと、一人前の仕事を持ち、それにうちこんでいる、誇りのあるおとなは、仕事で自宅から外に出たら、あくびなどという、気迫を欠いた、たるんだざまを見せてはならない。一歩外に出たら、敵だらけだと思い、あくびというすきを見せるべきものではない。私は今まで仕事の場であくびをしたことなどない(p.110)。」ほんまでっか。

    大学受験の赤本(千葉大学)には、宇佐美氏の科目のことが書かれている(p.146)。

    宇佐美氏の本は面白い。教育者だなー、と思いながら少し人権侵害な発言もある。是非授業を受けてみたい。

    (まっちー)

  • 首肯できる、傾聴に値する面も多いが、氏の実践は、教員一人あたりの学生数や基礎学力が私立とは比べ物にならない国立の千葉大学の必修科目だからこそ成立している。現に、氏の自由選択の演習では、学生が一人も来ない。

    昨今の国の教育制度の改悪・恣意的な教育行政について、また教育予算が驚くべきほど低いこの国の姿勢に、氏が沈黙している理由を知りたい。専門外だとしても教育学者として座視できる問題ではないはずだ。

    自己の教授方法さえ良ければというのではダメだと思う。もし氏の実践をあらゆる大学でおこなうためには、マクロの教育の制度的、物質的側面にも目を向けなければならないはずである。このことを教育学者として声を上げるべきである。

    まだ同世代のほとんどが高等教育を享受できない時代に、大学院まで行けた自己の恵まれた環境を棚上げにして、大学大衆化時代を生きるいまの大学生を「未熟」だと連呼するのは、事実であるにせよ、あまり読んでいて気分のいいものではない。

  • ガツンときます。

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著者プロフィール

1934年神奈川県横須賀市生まれ。東京教育大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程修了、教育学博士。東京教育大学助手、千葉大学講師、同助教授、教授(1993-97年教育学部長、1998-2000年東京学芸大学教授併任)。1961~62年米国、州立ミネソタ大学大学院留学(教育史・教育哲学専攻)。現在千葉大学名誉教授。九州大学、山梨大学、岩手大学、山形大学、秋田大学、茨城大学、上智大学、立教大学、早稲田大学等の非常勤講師(客員教授)を務めた。
著書に『私の作文教育』『教師の文章』『国語教育を救え』(以上、さくら社)、『宇佐美寛・問題意識集(1~15)』(以上、明治図書)、『論理的思考』(メヂカルフレンド社)、『大学の授業』(東信堂)等多数。

「2019年 『教育と授業 宇佐美寛・野口芳宏往復討論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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