没关系(関係:グワンシなし)
←ごめんなさいと言われて、「構いませんよ」
没问题(問題なし)
←できますかと言われて、「大丈夫です」
不客气(よそよそしいこと言わないで)
←ありがとうと言われて、「どういたしまして」
という、基本的な中国語会話に出てくるくらい有名な关系(グワンシ)だが、中国人にとってはすごく重要という話。
中国人が家族を大切にするのは有名だが、血縁を中心とした個人の関係の広がりを关系(グワンシ)と呼ぶようだ。そこには、地縁等の関係や賄賂につながる利害関係も含まれる。关系(グワンシ)の拡大とメンテナンスが中国人にとってのすべてといってもいいらしい。
法律よりも关系(グワンシ)が優先されると明言されているのは、なるほどそれで・・・と納得する部分もあるが、そこまでひどいのか、と驚かされる。
ただ、关系(グワンシ)の優先される社会が形成されたのは、清朝崩壊以降、正常な法による統治が広い国土の隅々にまで浸透しなかったための、民衆の生き残り戦略であるという。実質的な無法地帯における自己防衛と言えよう。1979年以降の改革開放政策後に、その傾向は強くなり、地方政府の「癒着」を生み出したものの、筆者はこのシステムには一定の役割があったと評価している。世界中の華僑をつないでいるシステムもこの关系(グワンシ)そのものだ。
中国人の自分さえ良ければいい的な行動や競争の源泉はこの关系(グワンシ)であり、ある集団のために利他的であるということもできなくはない。
なので、中国人の关系(グワンシ)の内(自己人という)に入ってしまえば、付き合い方を間違えない限り誠意を尽くしてくれるが、外(外人という)にいれば、様々な策略をめぐらされることになる。
同じ儒教をもとにした価値観でありながら、日本では会社や村などの所属組織における「和」や「忠誠」が最も優先されるのに対し、中国では会社は単に労働力を出資して利益を得る場所であり(欧米の契約に意識は近い)、中国人の「忠誠」はもっぱら具体的なその关系(グワンシ)に注がれる。中国人にとっては、社長は「働かせてくれる」恩を与えてくれる人ではなく、同じ事業に投資する単なる同志にすぎない。(关系(グワンシ)内にいなければ・・・)
日本人は、会社での立場が危うくなって自殺することがあるが、中国人はそんなことは絶対になく、その代わり家族に顔向けできない(面子がたたない)と自殺することがあるのだそうだ。
また、日本人は組織に対する信用をみんなで築き上げようとする(個人を犠牲にして)が、中国人にとっては具体的な個人との間の关系(グワンシ)の利益が全てなので、抽象的過ぎてこれは理解できない。
香港のように法治が正常に機能するところでは、关系(グワンシ)の役割は希少になっていることから、今後は关系(グワンシ)の影響力は弱くなってゆくだろうと筆者は予想している。
また、トラブルの多くはコミュニケーション不足によるもので、关系(グワンシ)中心の中国人でも、日本の立場は理解できるし、日本人が中国人の立場を尊重する限り、良好な関係を築けるはずだという。