【増補改訂版】〈からだ〉の声を聞きなさい―あなたの中のスピリチュアルな友人

  • ハート出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784892959196

作品紹介・あらすじ

本国カナダで数々のベストセラー記録を塗りかえ、ここ日本でも大きな感動を呼んだ名著が、増補改訂版で登場。新たに最終章を書き下ろし、全編を再構成して加筆修正した、ファン待望のスペシャル・エディション。

感想・レビュー・書評

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  • 考え方としては理解できるが、どうなんだろうというのが正直な感想です。

  • ある程度思慮深く考えられる人にオススメ、何度も読み返したい人生哲学です。

  • 翻訳が少し不自然な部分が気になったが、身体や心の内側を見ること声を聞くこと、自分との向き合い方を学べた。
    自分を信頼する≠ 恐れに打ち克つ
    「自分を信頼するとは人にどう判断されるかを恐れることなく、自分を率直に表現し、自分の心の内を人に見せること」
    まさにその通りだと感じたし、間違って認識していた部分があったと気付かされた。

  • 読みやすく、心にすっと入ってきます。
    元気のないときも、なぐさめてくれるような一冊です。

  • カウンセラーの方に借りて読んだ本です。
    最初はスピリチュアル的な作者の考えが述べられており、タイトルとちょっと違うな~と思っていたら、中盤あたりから体と心の結びつきのような事が書かれていました。
    例えば、関節炎は人から利用されていると思っているにもかかわらず、気が弱いためにそうした状況から抜け出せずにいる人がかかりやすい病気だ、とか、膝の痛みはあまりにも頑固で柔軟性を欠くということを言わんとしているとか。
    こんな風に体の異変や不調を通して自分の内なるものが自分にメッセージを送っている、という事が書かれていました。

    あ~、こういう事あるなと思ったのは、事故は罪悪感を持っているために起こるという記述です。
    腕を何かにぶつけて痛めたとする。
    それは罪悪感を抱え込んでいるから。
    人間は自分を罰することで罪悪感から逃れようとするものだから。
    これに似たことは日常時折経験しています。
    誰かの事に対して一般的に悪い考えを抱いた時、階段を踏み外したり、何かにぶつかったり、けつまずいたり・・・。
    その時、ハッとします。
    そして、あんな事を考えてたからだ。
    ああ、バチが当たった・・・と今まで思ってました。
    でも、この本ではむしろ事故は「罪悪感を持つことはないのですよ」と教えてくれてるのだと書いてあります。

    あと、『いついかなるときも、あなたはその時点で自分にできる最良のことをしている(略)あなたが今までしてきたことは、すべてベストだったのです』
    という記述にも少し心が軽くなる感じがしました。

    ただ、これはどうなんだ?という事も多々書かれていて、例えば、
    『非常にスピリチュアルで、非常に信仰心の篤い人の中に、太り過ぎの人がいる場合があります』
    というのを読んで、パッと江原啓之さん(すみません^^;)が浮かんだんですが、その後の文章が
    『そういう人は、おそらく、地上に降りる前にいた天上界のことをかすかに覚えていて、地上で生きるのがつらいのだと思います』とあり、だから地上につなぎとめる重しの役割を脂肪がしているのだ、というのは江原さんをイメージすると違うような気がしました。

    また、最も受け入れ難かったのは、近親相姦というのは父娘の関係ならば父親だけが悪いのではない、小さい女の子は無自覚にセクシャリティを発散している。
    そういう経験をした子供は父親、母親、兄、姉なども苦しんでいるというこを受け入れて完全に許して欲しいという記述です。
    もし、肉親から性的虐待を受けたとしたらその傷はどれほどのものか。
    一生かかっても治らない傷だと思うのに、さらに虐待した相手が傷ついてるから許せとは・・・。
    私の感覚からしたら全く受け入れられないもので、その後書かれている事もこんな考えの人が書くものなんて・・・とななめ読みになってしまいました。

    あと、文章の中に神だの悪魔だの、多分それは何かの象徴的な言葉でしょうが宗教的な匂いがするのも私には受け入れにくいものでした。
    この人の本はもう読むことはないと思います。

  • 恐れや傲慢さやエゴの克服と、
    内的な超意識とつながること。

  • たった一つの宗教:自分を愛し、隣人を愛すること、他社をありのまま受け入れること 人間は思ったとおりの存在になる あなたの意識、そして潜在意識に入ってきた情報が、あなたの人生を作ります あなたの親としての責任は、子どもを愛し、子どもを導くところまでなのです 今この瞬間から、私は、良き思い、良き言葉、良き感情、良き行動を通してよき種を蒔き、良き結果のみを刈り取るようにします 心の牢獄から解放される唯一の方法は許すことです アラン・カルディック:天国と地獄、霊との対話 お金は交換の手段にすぎず、それ自体に価値があるわけではない

  • 借りたもの。
    章毎にあるエクササイズは細かく、秋山まりあ『100%自分原因説』(http://booklog.jp/item/1/4434170384)をより深く掘り下げた本。
    それをする目的は、自分も他人にもある、悪いと思われる部分の原因を突き詰め責めるのではなく、それを許すこと。

    主にキリスト教の――聖書における概念に基いている。
    キリストが悟った無償の愛は究極でブレていない。(おそらくブッダもそうだったのだろう)
    聖書で読んで分かりにくい(と思っていた)神の愛について、細かく書いている。
    それに納得したり、理解できるものが会った。
    その不動の精神状態は、凡人の私にはまだまだ雲の上のような道のりだが……
    ピシャリと指摘する厳しい書き方なので、とっつき難くも……それは他の自己啓発本にはないので、灸を添えられた感じが良いと思った。

    神は心の内にあり、信じるという事は確信レベルのもの。
    ひいては自分を信じるという事。

    その上でヨーガ瞑想やを取り入れ、心を落ち着かせる手段を提案。そして多神教についても言及。
    それは自分を律し、多様性を受け入れる、他者を尊重するという事だった。

    究極的な目標は、自分に課したしがらみ、憎しみのロープを全て断ち切り、相手を許すことだと思った。

    余談:
    この本の同性愛への言及は、ゲイというよりトランスジェンダー寄りの見解で、私は納得がいかない。

  • 人は自分が考えている事の90%以上を意識していない。



    潜在意識はへその少し上の奥にある太陽神軽そうのあたりに位置している。潜在意識に刻まれた事は、あなたの感情に働きかけ、その感情があなたの行動を決める。



    都会で活動的に生きている人の場合、潜在意識は1日に約1万個のメッセージを受け取る。人の人生で起こる事を全て記録する。



    超意識は潜在意識を通じてメッセージを送ってくる。



    私たちの地上における唯一の責任とは自分自身を進化させる事。



    人生の法則は地球をうまく機能させるために創られている。それは物理法則でもあり、宇宙の法則でもあり、心理的な法則でもありスピリチュアルな法則でもある。



    他者の責任を引き受ける必要はない。他者が幸福になるか不幸になるかの責任が自分にあると思うと、私たちは罪悪感にとらわれる。



    子供がいるとすれば、それはあなたが彼らを選んだから。彼らを支配する為ではなく、彼らを導き、彼らから学ぶ為。



    あなたの親としての責任は、子供を愛し、子供を導くところまで。少なくとも必要なものを与えるのみ。



    愛とは他者に全ての空間と自由を与える事。自分自身にも。他者がやりたいと思っている事を尊重し、受け入れる事。他者の願望と意見をたとえあなたが同意しなくても、あるいは理解できなくても尊重し、受け入れる事。一切の期待をせずに与え、導く事。



    人間は他人の考えを強制的に変えさせると自分の気分が悪くなるように創られている。



    「同意する」というのは相手と同じ意見になるという事。「受け入れる」というのは相手が自分と違う意見を持っている事を認めるという事。愛するとは、自分のとは違う相手の意見を受け入れる事。



    エゴは私たちの思い込みに基づいて判断している。エゴは精神のレベルに属しているので超意識に由来するニーズを理解する事ができない。生育の過程でエゴはドンドン大きくなり、やがて自分がエゴそのものだと思い込み、人生の決定権をエゴに委ねてしまう。



    傲慢さには精神的なレベルとスピリチュアルのレベルの2種類がある。精神的に傲慢な人は押し付けがましい感じで早口に声高に語る。絶対に自分が正しいと相手に認めさせようとする。もう一つの指標は「ああ、それなら知っていましたよ」と言う。彼は何でも知っている。また、自分を変える事ができない。人を許す事が出来ず、気持ちや感情をありのままに表現する事ができない。自分に対して誠実である事ができない、つまり素直になれない為、霊的な成長ができない。スピリチュアルな傲慢さは、自分は特別な人間だと思う事。



    自分を無価値と見なし、自分の長所も才能も認めない人たちがいるが、彼らは褒められると必死になって否定する。一見すると謙虚に見えるが、それは傲慢さの裏返しに過ぎない。傲慢さはしばしば偽善、虚栄、権力志向、その他人間のためにならない多くの煩悩を生み出す。



    正しいか正しくないかという事ばかり気にするのではなく、単純に、誠実に素直に生きよう。



    誰かが権威的かつ断定的な態度であなたを圧倒しようとする時、その人は本当はあなたよりずっと怖がっている。相手の苦しみがわかればそのハートに優しく接する事が可能となる。



    実際には悪と見なされるもの全て神の計画に含まれている。それは地上において人間が進化する為の方便としてその存在は許されている。



    原因と結果の法則のおかげで人間は学び、意識を進化させる事ができる。私たちが失敗を犯す事はあり得ない。あるのは経験だけ。



    真実は各々の意識のレベルに応じて異なる。そしてそれぞれが自分の考えている事こそが真実だと思い込んでいる。でも、それぞれが自分の進化のレベルで生き、考えているから誰が良くて誰が悪いという事は一概には言えない。

    一人一人が自分自身の進化の道を進んでいる。なので、人を変えようとするのではなく、人をありのままに受け入れよう。



    善悪にこだわる人は、他人を裁き、批判ばかりしているので、自分自身の生き方がなおざりになり、自分の為になにか楽しい事をしてあげる事ができずにいる。そんな人は安らぎを感じられず、しょっちゅう激しい感情にさらされ続ける。あなたが他人をこうしたいと思っている時、実は自分をそうしたいと思っている。自分自身をありのままに受け入れなさい。それが自然、愛の法則。



    体が目覚めたという事はもう起きる時間だと言う事。こういう時はさっさと起きてやりたい事をやり、あとで眠くなったら眠ればよい。



    人間一人ひとりは、いついかなる時も、自分にできる最高のことをしている。つまり、いついかなる時も完全である、という事が本当に分かると、人生は今よりもはるかに快適なものになる。



    あなたがこの人生でやらなければならない事があるとしたら、それは進化する事だけ。進化するとは意識を拡大し、愛の器を広げる事。



    精神体はそれが作られた目的の為に使われる時に初めて満たされる。精神体は私たちが考え、分析し、計画し、記憶するのを助けるために作られた。従って精神体は私たちが積極的に、建設的に自分の存在理由に向かって進むときにとても役立つ。



    精神体の7つの要求

    個性。 他の人から期待されたあなたではなく、あなた自身である事。「他の人たちはどう考えるだろう?」「他の人たちは何て言うだろう。」「他の人たちはどうするだろう?」などと考えない事。全ての瞬間にありのままの自分を受け入れる事。常になりたい自分になる事はできないが、全ての瞬間にありのままの自分を受け入れる事によって、どんどんなりたい自分に近づいていく。ありのままに受け入れないと、感情レベルでは自分の創造性を表現する事が出来ず、肉体レベルでは呼吸器系にトラブルを起こしたりアレルギーになる。
    真実。 考えている事と言っている事を一致させる事。あなたが自身に嘘をつけば、あなたの超意識は気持ちよくない。自分自身に対して正直になろう。これが出来ない人は、感情レベルでは自分の内や周りに美を見る事ができない。エゴが心を支配して全てを決めようとする。肉体レベルでは個性と同じ症状が現れる。
    尊重。 他者を尊重し、自分自身を尊重する事。他人を自分の都合のいいように変えようとしない。自分の限界も尊重する。これが出来ない人は、自分は十分に愛情を受けていないと感じるだけでなく、他者に対して無償で愛情を与える事もできない。肉体的なレベルでは、口や首の不調として現れる。
    導く。 見返りを期待せずに誠実にアドバイスを与え続ける事。その相手がアドバイスを受け入れるか否かは相手の自由意志に任せる事。人は自分を必要としてくれる人を必要とする。求められもしないのに忠告したり、見返りを期待して忠告するのはエネルギーの浪費。また、他者のアドバイスを受け入れる事。だが、提案を受け入れるか否かはあなたの自由意志に任せる事。これができない人は感情的なレベルでは家族やその他のグループに帰属しているという感覚が持てない。肉体的なレベルでは消化器系か背中の上部にトラブルが生じる。
    手放す。 自分が本当に望むものを知る事、全てをコントロールする事はできない事を受け入れ、それに応じた行動をする事。<内なる神>が私たちの魂と精神のニーズをよく知っている事を認めて<内なる神>の導きに従う事。結果に執着しない。これができない人は、感情的なレベルで自分の欲求を発見し、表明してニーズを満たす事ができない。なぜならエゴにコントロールされている状態だから。そして新しい考え方に心を開く事ができない。肉体的なレベルでは、背骨周辺、腎臓、膀胱、大腸といった排泄器官、性的器官に障害が起こる。
    安心。 恐れるべき事は決して起こらないという事が分かっており、心の底から安らぎを感じている状態。外部になにが起ころうとも、自分は自分の望む状況をつくり出す為に必要な手を打つ事ができ、また自分の弱点は自分で変える事ができるという確信を持つ事。人間が生きているのは問題にぶつかる為ではなく、問題を解決する為。トラブルに見えるものは全て練習問題なので必ず解答はある。人間には必要なものは全て与えられている。これが欠如すると、感情のレベルでは自分と他者への信頼が欠如する。そして他者に裁かれるのが怖いので自分を開示できない。肉体的なレベルでは下腹部と腰、手足にトラブルが生じる。
    生き甲斐。 私たちが存在するのは自分が創造性に満ちた神である事を知るため。自分の思いと行為を全てありのままに受け入れて、自分がした事に間違いなどないという事を知る必要がある。これがない時、感情的なレベルでは短期的、中期的、長期的な目的を見つけられない。また、肉体的なレベルでは6番と同じ症状が起こる。


    感情とは、外部にある要素によって引き起こされる一時的な心の波立ち。感情の多くは私たちが持つ過剰な期待によって引き起こされる。他人の言動に対する自分の考え方、解釈の仕方。



    感情のゴミを投げ捨てる人はエネルギーを吸い取っているだけ。やがて周囲の人は離れていく。



    感情のゴミの投げ捨てのプロに対する有効な接し方は、相手の愚痴が終わった時、「で、その問題を解決するのにこれからどうするの?」と聞く。相手は必ず「私にはどうしようもない」と言うので、「ではこれ以上この話を聞かない。何故ならあなたはこの問題を愛しているから」と言ってあげる。問題を解決する為に何もしようとしないのはまだ本当に困ってないから。



    感情の対応の仕方

    1.感情の正体を見極める事。

    2.その感情をつくり出したのは自分自身である事を認める。



    相手の反応に対して自動的に怒るのではなく、ひと呼吸おいて、もしかすると自分に責任があるのではと考える。





    あらゆるところに神を感じ、聞き、見る事。私たち全員が神の現れである。

  • いくつかの示唆的なポイントを発見することができる、意識にメリハリを取り戻したい時に読むとよい一冊。

    心に残った文章:
    ・自我レベルでの「受容」とはある状況またはある人に同意するおいうこと。スピリデュアルな受容は、存在つまりハートのレベルに基づいている。そこにはいかなる善悪も決め付けもなく、出来事や相手をあるがままに受け入れること。同意できなくてもそれさを変え異様とせずに。「受け入れる」とは、目の前に出現したあらゆる人たちとの関わり合いについて、人生において大切なことを学ぶための特別な機会だと思うこと。

    ・なりたい人間になっていないことを受け入れない限り、私たちは、なりたい人間になることはできない。

    ・食べたり飲んだりする前に、身体に「本当にお腹がすいているのか、いま必要なものなのか、習慣からか、、、」などと尋ねてみることで、自分をもっと深く知ることができる。

    ・「いまこの瞬間から、私は良き思い、良き言葉、良き感情、良き行動を通して良き種を蒔き、良き結果のみを刈り取るようにします」

    ・人生は、いつも本番。

    ・潜在意識に目的地をつげたら、あとは完全に任せる(タクシーに道を伝える時のようにね)

    ・愛とは他者にすべての空間とすべての自由を与えること。そして、自分自身にも。

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