子どもが3つになるまでに: シュタイナ-教育入門

  • エフ企画
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  • Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784894191877

感想・レビュー・書評

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  • まっすぐ立って歩けること、話せること、物事を考えることができること。この3点に焦点を当てた書。
    自分には少々難解である。
    思考が目覚める瞬間を記述している部分があるが、自分にはその感覚が思い出せない為、神々しく思える。

  • 三歳までのこどものなかで起きる変化について。
    運動器官とことばの関係。記号としての認識からの目覚め。人、動物、ものとの区別がつかない時期。
    宗教的。
    C0037

  • 非常にシュタイナーらしくむずかしい本です。(読みにくいという感じかな)けれど、子どものそれぞれの成長過程の中で、どうしてハイハイが必要なのか?どうして子どもは始終、四肢を動かし続けるのか?その答えが生物学的にかかれていていますので、タイトルの通り3歳までに読むと子育てで後悔することが少なくなると思います。

  • シュタイナー教育入門という言葉通り、シュタイナーの理論をわかりやすく書きなおしている入門書。

    人は地上に生を享けてから三年の間に人が人となるためのさまざまな能力を身につける。
    一年目、歩く
    二年目、話す
    三年目、考える

    <第一章直立歩行能力の習得>
    1身体の運動器官ぜんたいは機能的にひとつながりになっている。運動器官のひとつが独立したものとして動くことはあり得ず、ひとつひとつの動作は身体の運動システムという世界のなかで起こるのである。
    2したがって、動いている部分が休息している部分と対照的に見えるのは単に見かけ上のことにすぎない。休息している部分は、すぐにはわからないかもしれないが、動いている部分におとらず活発に動作しているのである

    歩行できるようになってはじめて子どもは空間を支配できるようになる
    一ヶ月目 視線がしっかり定まる
    二ヶ月目(マリア燭光祭) 腹這い姿勢から頭をもたげようとしだす
    三ヶ月目 腹這い状態で頭と一緒に両肩をもちあげ、しばらくはそのままでいられる(頭とくびの動きがコントロールできる)
    四ヶ月目(復活祭) 腹這いながら手のひらをついて、状態を支えられる。視線を活発に動かしてまわりの新しい状況を把握する。手に触れたものを掴もうとする。両手でニギニギができるが、まだ指を使ってものをつかめない。
    五ヶ月目(聖霊降臨祭) 仰向けで頭と肩をもちあげられる。仰向けから横向きに寝返りができる。そして、見たものを手でつかめるようになる。
    六ヶ月目 支えてもらおうとお座りができる。スプーンのような手で掴んで動かせるものでテーブルのような動かないものをリズミカルにたたく
    (腕と手が自由に動かせる)
    七ヶ月目 置かれた位置から動いて、欲しいものをとろうとする
    八ヶ月目(聖ヨハネ祭) 支えなしでお座りができ、這い這いしはじめる
    九ヶ月目(聖ミカエラ祭) 支えなしで自分でお座りの姿勢に移れる。ひざ立ちの姿勢からつかまり立ちしようとする(足を使うことの発見、練習)
    十ヶ月目 物を投げることができる
    十一ヶ月目 物につかまって立ちあがり、そのまま立っていることができる
    十二ヶ月目(降臨節) 支えなしで立ちあがり、わずかの支えで第一歩を踏み出す
    (視るー掴むー歩く)~~自己を把握

    「立ちあがりなさい。汝の床を取り上げ、歩きなさい」
    「こうして生後一年で空間把握のための下準備がほぼ出来上がっている。物の空間的特徴、その位置や距離、形とか大きさ、をとらえることができて、それに対処することができる。」シュテルン

    遺伝運動
    習得運動~歩行(平衡感覚が発達し直立歩行能力の習得)~感情、きぶんのコントロール、記憶力の駆使、自己と世界との分離

    歩行によって隔てられている動物と人間
    動物~感覚知覚のみの世界、自己と世界を区別できない
    人間~言葉や思考の獲得

    歩くという行為は、足のみが行っているのではない。
    直立歩行能力は人間の組織的運動能力全体のひとつの現われである。
    使っていない部分と思われる他の部分は積極的に関与していない(=積極的に休息状態にある)

    <第二章 母国語の習得>
    1)表現、名づけること(ネーミング)、会話としての言葉
    名づけることからイヴの創造がはじまる

    1感情を表現するのは言葉の中のほんの一部分である~動物的はこと
    2名づける、物を音で表現~人間的なこと
    3言葉は言葉そのものとつながろうとする
    他者の言葉を通して自分自身を認識する
    *人は自分の全存在をかけて言葉の三つの面にかかわる。けれども、ここで注意しなければならないのは、人が話すのではなく、言葉が人を通して自らを表現する点。このために言葉は自らの器をひつようとし、その器を人の中に造形する。まだ成長しきっていない人間のなかでは言葉は十分に活動することができない。芸術家が作品をつくりだすように、言葉も人間を自然の物質としてとらえ、人間を素材として自らの芸術作品を作り出す。こういして人が言葉の芸術作品として形あるものになって出現。そうして与えられた言葉を通して、自己を明らかにしていく。言葉をつかって人は人格として音を出し、他の人間と石をつうじあったり、自分を人に伝えたりできる。

    言葉の三つの要素
    1言うこと saying
    2名づけること naming
    3語ること talking

    たとえ話「しゃべられせてちょうだい。そうしたら自分が何を考えているかわかるから」口に出してしまってから自分が考えていたことに気づくことがある。

    言葉はふたつの面を持っている
    運動面~話すこと 口に出して言う、名前を呼ぶ、語って聞かせる
    感覚面=聞くこと 名前or言葉

    言葉の発展段階
    1バブリング=自分の音形成器官を用いて機能的戯れ
    赤ちゃんの言葉習得の初期段階では、言葉や文章は理解されていない。
    言葉を音として聞くよりほかに、話し手のそれに伴う動作やしぐさ、心の状態を感じている

    2セイイング 言いたいことを表現しようとして一語文を話す
    体験したことを表現するための言葉

    3六か月ごろ、突然自発的に子どもは物と名前の結びつきを理解する
    2~3歳になると、単語が発展し、語形変化詩、単数複数が分かり、体験から時制を使えるようになる

    母国語の習得
    音節が<言うこと>を築き、単語が<名づけること>を形成し、文が<語ること>を装う

    言葉は言語霊の芸術作品である

    「あらゆる自然現象のひとつひとつが言葉であった。それは合図であり、象徴であり、新しくて、神秘的で、言葉にはできない計画とエネルギーとアイデアがひとつになった誓約であった。原初、人が耳にし、目で見、手で触れたものすべては生きた言葉であった。なぜなら、神はことがであったから。この言葉が口と心にあったので、言葉のはじまりは、子どもの遊びのように身近でやさしいものであった。」(薔薇十字の騎士の最後の決意と聖約 ハーマン)

    第三章 思考のめざめ
    思考の目覚めには以下の条件が必要
    1言葉がかなり発達していることが大切
    2記憶力が思考のめざめに欠かせない(記憶と回想)
    3空想と遊び
    4時間の観念が理解できること

    記憶の形態をしめすドイツ語例
    merken(記憶する、覚えている)は、markierung(印をつける)と語源が同じ
    besinnen(思いだす)はbe繰り返し+sinenenn熟考する
    erinnern回想するは、erinnnerung

    記憶 
    第一段階:場所的記憶=印をつける marking merken
    第二段階:リズム記憶=再考する be-thinking besinnen
    第三段階:映像記憶=解そうする recollecting erinnern

    空想と遊び~切っても切り離せないもの
    「我々の思考が反感から生じるのと同じく、我々の意志は共感から生じる。反感が強いと、心のなかの映像は記憶として残り、共感がつよいと、空想が生まれる」
    認識(思考)~意志
    反感~共感
    記憶~空想

    「空想は何もないところからは決して生じない。空想の要素はいつも実際経験したものに基づいている」シュテルン
    これに対して、
    「子どもがものごとを実際に体験するのは空想が基になっているから。つまり、子どもは空想を意味づけるもとして周りのものをとらえる。この世に存在するものは意味づけられてはじmて体験されうるのですが、その意味づけをするのが空想なのです。空想があらゆるものの意味づけの基になり、あらゆるものを体験させる原動力になっている。子どもは空想を絶え間なく楽しむことで、さまざまの体験をしながら、この地上世界にめざめていく。子どもが万物を愛し、すbえてを受け入れて、お互いを結びあわせたり、混ぜたり、より良いものいしようと夢中になるとき、それが空想であり、その空想が外にあらわれた遊びなのです。

    思考がもたらす最初のもの~我のめざめ
    「ひとつの概念が、ひとつ、またひとつと獲得されてくるにつれて、それらの概念をまとめようとするはたらきが出てくる。そして、そのはたらきのなかから、想像的な思考が育ちはじめる。そして、これ以降は、子の創造的思考が精神的な成長を内側からコントロールしていくことになる。想像的思考の糸が縦横無尽に伸びて、必要に応じて、あらゆるものを結びつけたり、切り離したり、並びかえたり、切り捨てたりする。この判断力は言葉の力がとてもおよぼないところにまで及ぶ」

    思考が言葉をしのぐ時がくる~言葉よを発するまえに考える子どもの姿

    思考が歩行や言葉と根本的に異なっているのは、習得されていかないところ。
    歩行によって子どもは空間を支配し、言葉によって一つ一つ名づけられた周りの世界を所有する。ところが思考は魂の持つ能力なので、肉体器官を使わない。思考は光のようなもの。あらかじめ、存在しているが現れていない。眠っている。

    わたしはわたしだと直感的にわかる。

    思考を獲得すると、この思考が自我の鏡となる
    字がは、思考という鏡に映った自分を見て、自分自身を経験する
    そして、自分自身を経験することで、反感的
    姿勢が可能になり、それが自我感覚を形成する
    この時期、こどもにおとぎはなしや童話を聞かせてやるときにも動物や植物をまるで人間のようにしてとりあげたほうがよい。子どもには、まだ自分と世界との区別がはっきりついていないし、その戸の世界をみるときも、自分の内的体験のなかでとらえているから、

  • 3つになるまでに子供の体、精神でどのようなことが起こっているか について。
    3つになるまでに何かしないといけない、という本と思っていたけど違いました。

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