- Amazon.co.jp ・本 (2080ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894922037
作品紹介・あらすじ
軽太子は、天皇位をめぐる争いに敗れて追放される時、「い帰り来むぞ 吾が畳ゆめ」と歌った。
従来は「留守中は私の畳を大切にせよ」などと訳されているが、物体としての畳では軽太子の真意を読み取れない。
歌の眼目となる「畳」は、「すが畳 いやさや敷きて」と詠んだ神武天皇を想起させる語で「天皇位」を暗喩する。
軽太子は「私が即位するはずだった天皇位よ、きっと帰って来てその地位を取り戻すぞ」という強い意志を「畳」に込めた。
●本書は、全歌謡に対して原文・眼目となる語句・歌意の骨子を記し、重要語句の真意を解いて作者の言霊が読者に伝わるように歌意を詳述した。
倭建(やまとたける)は死ぬ直前、大和を偲んで「畳こも へぐりの山の 熊白檮(くまかし)が葉を」と詠んだ。この「葉」は"草木の葉"ではない。
畝火(うねび)の白檮原(かしはら)宮で即位した神武天皇が亡くなった後、皇子たちが天皇位をめぐる争いを始めた。この時に大后の伊須気余理比売(いすけよりひめ)は「畝傍(うねび)山 木の葉さやぎぬ」と詠んだ。"畝火の宮で神武天皇の子たちが難渋な事件を始めた"の意である。
これにより以後、「葉」は"子"や"子孫"を暗喩する語になる。
「畳こも」の「畳」は、「すが畳 いやさや敷きて」と詠んだ&"神武天皇"を暗喩する語。「白檮(かし)」も、白檮原宮に即位した"神武天皇"を暗喩する。
倭建は"神武天皇の子孫であることを誇れ"と言い残して死んだのである。
雄略天皇(若建命 わかたけるのみこと)は若日下部王(わかくさかべのおほきみ)に求婚して承諾を得た後、
「日下部(くさかべ)の此方(こち)の山と 畳こも へぐりの山」と歌った。
この「畳こもへぐりの山」を奈良県の平群(へぐり)地方の山と訳したのでは正しい歌意はえられない。
この語は倭建(やまとたける)の歌にある語なので、「たける」を想起させる。
雄略天皇はその「たける」を、自分の名「わかたける」にかけた。
雄略天皇のこの歌詞の意味は"妻の若日下部王と、私雄略天皇"である。