- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784899980223
感想・レビュー・書評
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路地恋花で紹介されていたので、嶽本野ばらを初めて読んでみました。
これは女の子が熱狂するのもわかる。
女の子は潔癖だから相手の愛情なんて信じられない。好きな人に嫌われたら世界が終わると思っている。本当は終わらないけどそんなこと知りたくない。
だから愛情をわからせようとする男の人なんて迷惑だし、でもそんな救世主に甘えて楽したい気持ちもある。自分1人の不幸な世界に閉じ込もるのを邪魔してくる人はとても迷惑だけど現実との境界線なのです。
相手を信じるとはこの人には裏切られてもいいと思うこと。そんなこと思えるようになったら、女の子ではなくて大人の女の人ですから。旦那さんが浮気してもたまにならいいよ、なんて言えるのは女の人。恋愛コラムを読んで相手に嫌われない術を持っているのも女の人。
自己流で何回も失敗するのは女の子的潔癖さを手放せないだけで、恥ずべきことでは全然ないのに。
それでも現実と冒険に飛び込みたい女の子は、きっかけは恋愛なんかじゃないほうがいい、本を閉じることですね。
現実を生きるのも悪くないよなんて言える大人になりたいな。
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この作品を読んでカフェーに行ってみたいと思った
野ばらさんの書く物語は恋に対して
すごくひた向きで真摯で思わず感嘆してしまう
すごいなぁ…綺麗な恋だなぁ……
どのお話も素敵でどれも誰かに勧めたい! -
実際に存在するカフェーを舞台に書かれた短編小説たち。
そのうちのいくつかのカフェーは既に閉店してしまっているみたいだけど。
京都の「みゅーず」に行こうと思ったら閉店してた。
ので、「フランソワ」に行ってみた。
さすがにいい空気のお店だった。
クラシックに詳しくはないので何の曲かは分からなかったけれど。
結構、盛況のようで流行っているお店だったみたい。
カフェーそのものの描写も詳しく、
それだけでもほうっとするのだけれど、
そのストーリーはすべて「僕」と「君」の恋愛小説。
社会から少し距離を置いたところで、
繊細過ぎるのに確かな自我を持ってもがいている少女が、
それでも恋愛に関してはどれだけ苦しんでも、
折れることはない。というよりはそれすらできない。
究極に苦しくて綺麗なお話達だった。 -
小奇麗でおしゃれな「カフェ」ではなく、「カフェー」と呼ぶのにふさわしい、古き良き時代の喫茶店文化を守り続けている実在の店を舞台にした、短編小説集である。
あらすじ抜粋 -
初めてのデートで行ったソワレ。
「ソワレの蒼は女の子が一番美しく見える蒼」
宿題のドイツ語の和訳に勤しんだフランソア。。。
そんな想い出の場所がたくさん詰まった想い出のカフェー達
それぞれの短編集と想い出をリンクさせて読むと、また楽しいです。
そしてCafeではなく、カフェーの持つノスタルジーに浸るれるのもこの本の魅力です。 -
雰囲気素敵です。行ったことある喫茶店が出てくると嬉しいですね。フランソアとスカラ座に行ってみたいです。
追記:スカラ座って閉店しちゃってたんですね……。残念。 -
カフェでもなく喫茶店でもない「カフェー」。
実際にある「カフェー」を舞台に紡がれるものがたり。
随分前に読んだ本ですが、『カフェー小品集』というこのタイトルに触れると以前この本を読んだ時のことばの質感であるとか、物語を覆う空気であるとかが蘇ってくるようです。
装丁も素敵なのです。 -
野ばらさんの本で、大好きなカフェの本なら買うしかない…と思って購入。
カフェじゃなくて、カフェーでしたね(笑)
それぞれの物語。素敵な描写に、実際に訪れてみたいと思いました。 -
久々ヒット!
野ばらちゃんを毛嫌いしてる人に薦めたいような作品。
この人はこうゆう作品をもっと書けばいいと思う。
ただ、同じような内容の続く短編なので、読んでてマンネリするかも。
でも書き方が上手いのか、作品の出す空気に夢中になってるとわりと気にならなかったりする。
私が嶽本野ばらを好きな理由を再確認した。
この人の出す、こんな空気が好きなんだ。
初めて野ばら作品を読んだ頃の衝撃と興奮を思い出した。
カフェー巡り、したいな。