- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784902943221
作品紹介・あらすじ
弱冠20歳にしてフランス画壇に現れ、独自の画風を築き上げた、ベルナール・ビュフェ。エキゾチックな美貌でパリの華となった、アナベル。1958年、二人は運命的な出会いを果たす。アナベルをモデルに描かれた作品、初期から晩年に至るまでのビュフェ作品を収録。
感想・レビュー・書評
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いやあ
ステキな本に出会った
ビュッフェなんて好きだと思ったことなかったけど
この本に出会って
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一世を風靡したビュフェの女神、アナベルの存在感。
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ベルナール・ビュフェ(1928-99)
「キリストと十字架からの降下」 -
フェルナルド
あぁどうか 君に描いてほしいものがあるのだ。
ビュッフェの絵は非常に強烈だ。
たぶん四方の壁紙を彼の絵にして暮らしたら、3日ともたずに発狂するだろう。
勿論、いくぶん誇張しての表現だが、あながち嘘でもないとも思う。
強烈な線、気味の悪い描写、暗い色彩。
美しい人すらビュッフェかかればたちどころに変化する。
しかしそれは劣化する、のではなく彼の持つフィルターがあまりにも強烈なため、被写体から取り出される部分が特異なのだと思う。
なんだかんだとクサしたが、私はそんな気味の悪さが”やみつき”になっている。
先日、わざわざ三島市にあるベルナール・ビュッフェ美術館に足を運んだ。
駅から20~30分程バスに揺られてたどり着いたのがクレマチスの丘。辺鄙な別荘地のような場所。
閑散とした美術館でじっくりと鑑賞を行う。
本当に誰もいなかった。おかげでじっくり絵を鑑賞できたが。
美術館に足を運んで私は初めてビュッフェ夫人であるアナベルの存在を知った。
『画家というのは、たった一人で仕事をしている。非常に稀な創作者です。アトリエから展覧会場に運ばれるまで、絵画は画家自身の手の中にあり、生かすも殺すも作者次第なのです。
芸術家は愛の喜びと創作の苦しみを同時に味わう両性具有神のようなものです。作品が出来上がって人々に受け入れられた時に初めて、肉体的にも精神的にも平静が得られるのです。だから絵画を前にして、あまり喋りすぎてはいけないのです。絵画は生きており、子供のように僅かなことで傷つくからです。』
本書にも載っているこの言葉がとても印象で惹かれた。
二人は非常に運命的な出会いよって夫婦になったようなのだが、ビュッフェに対するアナベルの考察は非常に理知的。いわば冷静で、しかし表現が美しい。
ビュッフェは好んでアナベルをモデルにしたという。
いくつか彼女を描いた作品も見た。
ビュッフェの線を持ったアナベルはよく特徴を捉えていた。そしてその姿には感情が見えた気がした。いわば愛情や思慕と表現すればいいだろうか。おそらくアナベルに関してはビュッフェの強烈なフィルターが和らぐのだと思う。
彼女のエキゾチックだがくっきりとした目元がとみに印象的だった。性格を如実に表す肖像画。どことなく私にはそう感じられた。
運命的な出会い。
そして、理解のある結婚生活。
画家としての成功。
一見してみれば満たされた人生に見えるが、ビュッフェは自殺でその生涯を終えている。
アナベルを残して、だ。
二人の晩年の生活にどういった影が訪れたのかは私には知るよしもないが、あれだけ愛情を込めてパートナーを描いていたのを知っているだけに悲しかった。
運命も愛も名声もビュッフェをとどめることが出来なかったのだ。
私は、残されたアナベルの悲しみよりもベルナールの焦燥を悲しく思った。
『絵画は私の命です。これを取り上げられてしまったら生きてゆけないでしょう。絵画は今までも私を支配してきたし、これからもずっとそうだと思います。絵画はすべてを破壊し、食い尽くすものであり、ごまかしを許さないものですから、書き始めた瞬間から自分を見失ってしまうのです。』
本書でもベルナールの言葉としてそんな言葉が綴られている。
晩年の画風の変化に彼の焦燥が隠されているように思えた。
それは芸術家としての美を求める焦燥か、もしくはパーキンソン病を煩ったが故の不自由に寄る焦燥か。
どちらが焦燥を絶望に変えたのかは定かではないが、絵を描くことが生き甲斐であり全てだった人の結末としては救いようがないように思えた。
しかしやはりどこまでもこの人が画家であったことが伺える。
ほどよい言葉と絵、そして写真に飾られた二人の軌跡。
深く知るよりも、思いを馳せるという意味ではとても素敵な本であると思う。