- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784903853833
作品紹介・あらすじ
殺人か、尊厳死か。延命治療中止をめぐって命の倫理が争われた「川崎協同病院事件」。もう"安らかな死"は選べないのでしょうか-。
感想・レビュー・書評
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率直に須田医師の行為は善意の医療行為であって殺人ではないと思う。患者Aさんの気管内チューブの抜管を申し出たのは妻であり、須田医師はそのことでどういう結果を招くか説明し承諾したはずだ。しかも、3年も経過してから捜査、逮捕には何か損害賠償絡みの胡散臭いものを感じる。それはさておき、意識のない患者を生命意地装置や人工呼吸器に繋ぎただ生かすだけの処置に疑問も感じる。延命治療の中止の適法、尊厳死の法的整備を国は真剣に考えるべきでないだろうか?自分が治癒不能な病状に陥った時、消極的安楽死又は間接的安楽死を選択したい。
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1998年11月16日に川崎協同病院で重症患者さんに対して医師が筋弛緩剤を使用して死にいたらせるという事件がおこりました。
事件は、刑事事件となり医師は告訴されて最高裁まで争い有罪判決を受けています。
当事者の須田医師本人が事件の詳細と裁判の経過を書いた本です。 -
疑わしきは罰せず、ではないんだと思いました。
何せ訴えられたのが、すぐではないことにも疑問を感じます。 -
医師が患者の気管内チューブを抜き、、筋弛緩剤を投与して死亡させたとして殺人罪に問われた「川崎協同病院事件」の著者書いた本。
タイトル買いしてしまいそうなうまいものだ。これを読めば「いいえ、あなたは悪くない」と言いたくなるが、一方的な情報しかわからないため判断できない。
ちょっとしつこいが、興味深い内容だった。
気になったのは以下の文章。
・東京高裁判決によれば、尊厳死法あるいはそれに代わりうるガイドラインが策定されていない現状では、医師はたとえ苦しむ家族に頼まれたとしても、もし延命治療を中止すれば、殺人罪も適用もまぬかれない(p.8)
・医師による安楽死として許容されるための4要件は
①耐えがたい肉体的苦痛(精神的苦痛は認めない)
②死が避けられず、死期が切迫している
③肉体的苦痛の除去・緩和のための手段として他に代替手段がない
④生命短縮を承諾する本人の明らかな意思表示
(p.52)
・私は、病気を治し、延命することだけが医療とは考えていません。(p.213)
・「装着したら最後、はずして死んだら殺人」とされるわが国の法律のもとでは、医療者は離脱できるかどうかを考えると、恐ろしくて、ぎりぎりの患者さんに人工呼吸を装着することを中書してしまいます。それは助かるかも知れない人を見殺しにする、それこそ命を軽視することにもつながりかねません。装着しないことは罪にならず、はずす行為だけが罪に問われる、どこかおかしいと感じるのは私ばかりではないと思います。(pp.221-222)
(まっちー) -
家族から延命治療の中止を要請され、三年後その家族より「殺人罪」として訴えられ、「殺人」との有罪判決受ける・・
怖ろしい話です。
今現在でも救命病院の受け入れ拒否が問題になってますが、この判決により「最初から延命措置をしない」もしくわ「延命措置をし続ける」という医師が増えるかもしれません、それしか身を守るすべがないですからね。
そして、この判例は医師や病院関係者だけでなく、介護に携わってる人(家人も含む)、これから介護に携わる人にも重くのしかかるでしょう。
あと、この問題を政局に結び付けるべく、裏で焚き付けていた公明党には激しい怒りを覚えます。 -
安楽死・尊厳死にけっこう関心が強く、タイトルを見て即買いしました。
とりあえず本の内容については…途中から中だるみしながら読んでしまうって感じ。
他者もレビューで書いているかもしれませんが、「くどい」という感じに陥りました。
安楽死・尊厳死についてはしっかりとした法整備を求めます。ここは僕もこれからもっと勉強してみようと思います。
そして、あなたがしたことは殺人かそうでないか。
この本を読んだだけでは「殺人ではない」と思いますが、遺族の実際の話も分かりませんし、そもそも当事者・関係者じゃないのでわからないことが多すぎ。ここに利権なども絡むんでしょうし。
本書では遺族は「チューブを外して」と言ったが3年後に「そんなことは言っていない」と。ここらへんの本当のことを正してほしいと単純に思った。
これがほんとに利権・圧力などがかかって遺族の意思が変わったのなら…。
人間の性か…。
ちなみに僕自身の安楽死・尊厳死への賛否は「賛」です。
細かい部分でしっかりとした整備は必要ですがあって良いものだと思っています。 -
人の記憶ってなんて曖昧なんだろう。
慢性的な疾患を抱えて、ずっとお世話になっていた主治医に最後を看取ってもらった。
呼吸を確保するのための管を、家族の要望により抜いた。家族がそろって見守る中で最後を迎えた・・・はずなのに。
管を抜いてくださいと頼んだ家族は、主治医に感謝をしていたはずなのに、5000万が手に入るかもと思ったら、頼んだ覚えなどないって・・・。
人の記憶はそんなに簡単に改ざんされてしまうのか。
作者のいう事が本当だという前提で読むと、とても恐ろしい。
作者の言うように、自然に死を迎える事が出来なくなる事も恐ろしい事だが、裁判となった時に、証人の記憶が正しいと、どうやって証明するか。記録と記憶をめぐる司法の判断など。
裁判って結局、裁判官のサジ加減なんだと思うと、恐ろしい。
自分が無罪である事を誰よりもよく知っている本人が、堂々としていることは、弁護士にとって情状酌量を訴えられないので戦略として苦々しい。
間違ったことをしていないと胸を張るより、しおらしく反省したふりをする方が裁判に有利。
そんな判断をして、自分の態度を決めて臨むのが、裁判という物なんだろうか。
殺人の刑が確定したのちも、作者は患者に支えられて医者を続けている。
医者として患者に親身になって向きあう姿勢があるから、患者の信頼を得ているのだろうと思う。
心肺が、機械に動かされているだけで、回復の見込みがない。その状態が医学的に「死んでいない」のだとしても、生きているとは言えない。
生きていない状態で長く居たいと思わない。延命治療は要らない。
緊急事態になって意識がなくても、医者に自分の意思を伝える方法を考えなければならなんだなと思う。 -
2012年2月22日
装丁/加藤茂樹 -
川崎協同病院事件の被告となった医師の著。本人の見解は消極的安楽死。司法の判断は殺人罪。
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安楽死という非常に興味深い内容であったが、著者の意見が途中からくどく感じ、内容もぼやけてしまったように感じた。