バレンボイム音楽論──対話と共存のフーガ

  • アルテスパブリッシング
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903951102

作品紹介・あらすじ

パレスティナ自治区での奇跡のコンサートを実現させたマエストロが、サイードとの共著『音楽と社会』(みすず書房)ののちに到達した思想がここに結実。不条理に満ちた時代に音楽による希望を力強く謳いあげる。日本版オリジナルの序文付き。

感想・レビュー・書評

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  • 音楽ははるかに価値ある手段、自分自身について、社会について、政治についてつまり人間について学ぶことのできる手段をあたえる。音楽が魂 の性格や品性に一定の性質をあたえる。(アリストテレス)

    音はそれ自体で単独に存在するものでなく、静寂との間に永続的、恒常的で不可避な関係を持っている。最初の音ははじまりではなく、静寂が先立つ。(全体論的!)最後の音もそのあとの静寂とセット。人生そのもの。無からはじまり無に終わる。

    オーケストラ。個人と集団の関係を教える。
    人は各自それぞれのやり方で社会に貢献することが必要でありそうすることで全体が各部分の総和よりはるかに大きなものになる。有機体として統合されなくてはならない。

    テンポを早く決めすぎると演奏者はテンポの奴隷になってしまう。しかし十分な研究過程をへて最後にテンポを決めれば全ての要素を考慮に入れることができる。人生の多くの事柄と同様に決定の正しさはその決定がなされるタイミングと分かちがたく結びついている。

    音楽の様々な要素の相互依存性を理解するためには空間と時間の関係、言いかえれば題材つまり内容と速度の関係を理解することが重要。

    演奏家がたえず自らに問い続けなければならない問い「なぜ、どのように、なんのために」

    音楽の世界ではあいまいさは多様な発展の可能性を与えてくれるという点で美徳。音には全ての要素を結びつける力があり、そのため完全にネガティブな要素、ポジティブな要素というのはない。

    存在と生成。(ホワイトヘッド)

    音楽は直線的に進むときでさえつねに相反する要素が存在しときには互いに対立しあっている。喜びと悲しみは同時に存在して調和しあっている。自分を忘れると同時に自分を理解することを容易にしてくれる。

    人生において最も難しい課題。規律を持ちながらも情熱を失わず、自由でありながらも秩序を失わずに生きるか。にたいする教訓にあふれている。
    とてつもない大変災のあとでは私たちは道理に合わない楽観主義や悲観主義を心に抱くこともあるが、人生の転変は音楽の転変同様に受け入れざるをえない。

    イスラエルにおけるパレスティナ人はスペインにおけるマラーノより深刻。
    互いを分離する壁の土台でなく、協力しあうための公共広場を築くために、意識して二つの民族の類似性を見出すよう努めることが必要。

    人生におけるものと同様、主観性と客観性の間に常に関係性がなければならない。

    ワーグナーの音楽はヒトラーを連想させるために、イスラエルではワーグナーの演奏を中止する方がホロコーストを生き延びた人々に対して思いやりを示すことになる。

    ハンナ・アーレント「イェルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告」
    悪とは思考の欠如と定義できるなら、忘却はその遠からぬ親戚であり、このこともまたイスラエル国民にとって重要な教訓となった。思考と道徳は密接に関わりあうもので、思考を欠いた道徳などありはしない。

    ホロコーストへの恐れが1967年以降のイスラエルの行動を残虐にした。パレスティナ人の方が道徳に優れているじゃないか。

    パレスティナ人はイスラエルの歴史(ホロコーストを含めて)を理解しなければイスラエルを受け入れられないのなら、イスラエルもホロコーストを唯一の道徳基準とする限り、パレスティナを対等な相手として受け入れられるようになれない。もしイスラエルが中東に永続的な居場所をえたいと思うなら、イスラエルは中東にしっかり溶け込むことが必要。そのためにはもともと中東にあった文化をしっかり理解することが必要だし、それについて偽りの主張をしてはならない。イスラエルの文化と中東の文化は連続的であるはずだし、その結びつきを持ってこそより豊かなものになる。

    リーダーシップは人々の強さではなく、弱さから生み出される効果をその基盤としてきた。個人の集団への服従を拠り所としてきた。

    ユダヤ的なものの考え方にはこれまで常に人間の経験の普遍性をあくまで尊重しようとする傾向があった。(スピノザ、ハインリッヒハイネ、マルティンブーバー、フロイト)はユダヤ的なものと非ユダヤ的なものを全く区別しなかった。

    紛争が決して孤立主義的、軍国主義的考え方によって解決されるのではないことはたしかである。

    スピノザが到達したもっとも重要な結論の一つ:人間は有限と無限の間の矛盾を克服すべき。(ユダヤ教とキリスト教に共通の思考方法)

    今日の平均的有権者はいかなる人文、科学の十分な知識なく現在および近い将来に目を奪われ政治上の行動がもたらす結果について理解できずにいる。不健全に。
    このような社会では政治家は権力の座にとどまるために戦略的(主体性)ではなく戦術的(受動性)
    に行動することを余儀なくされ、大衆はもっとも重要なことについてしらぬまま操作される。

    中東の歴史が示すように幾つかの集団を対話から排除することは長期的に不幸な結果をもたらす。テロ。

    全体主義体制下では文化だけが自立した思考をする唯一の手段
    パレスチナ文学。制約おおいと表現は抽象化するとテルアビブの美術館でみた。
    アンダルシアはユダヤキリストイスラムの3つの文化がせめぎあった場所。
    寛容という言葉が嫌い。傲慢(私の方がお前より優れている)という要素が含まれているから。単に寛容に処遇するとは侮蔑すること。真の寛大さは受容。(ゲーテ)真の受容とは他者の相違と尊厳を認めることかも。

    ラムジー・アブレドワン、サレーム・アッポウド・アシュカル

  • 2008年11月30日初版第一刷  蓑田洋子訳
    教養のために読む。難しい。
    今年でバレンボイム67才である。私の青春時代、彼は偉大なピアニストだった。まだ67歳だったのかと改めて。今も偉大であるが、仕事量が膨大だったのだろう。
    最近では、65歳のときに(2007年)カーネギーホールにて<平均律クラビア曲集>全曲演奏している。
    フルトヴェングラーに「11歳のバレンボイムは驚異の才能を持つ」といわしめて、18歳でベートーベンのソナタ全曲演奏している。

    病院のオペ室には、好みの音楽を流せる機能があるという。執刀医の緊張をとるためや、手術を受ける患者の緊張をとるため、場をなごませるためなど、理由はいろいろあるらしい。
    音楽好きのある外科医は、午前の手術が始まるときに必ずかける曲があるという。ベートーベンのピアノソナタ30番(作品109)。
    彼にとって一日の始まりの手術である。心地よくても叙情的であってはならないし、行進曲ではリズムが狂うし、感動して聞き入るようなことがあってもこまる。
    その外科医は言う。「この曲は、これから始めます、じゃなくて、気合が入りすぎず、なんか続きでスルーと手術に入っていける」と。
    バレンボイムが同じ表現をしていて驚いた。P17
    「ベートーベンのピアノソナタ作品109の冒頭では、音楽がすでに始まっていたという感じがするかもしれない・・・いわばすでに動いている列車に乗っかるような感じである。したがって、ピアニストが演奏をはじめるときには、現実の世界には存在しないにもかかわらず、すでに存在していたものに合流するような印象をうみだすことができるよう、心のなかに音楽が存在しなければならない」
    外科医が一日の最初のオペをはじめるとき、まさにこういう心境なのだろう。
    ちなみに、午後の手術の始まりは、ブラームスのインテルメッツオなのだそうだ。
    この外科医は、たいへん手術が巧いといわれている。
    私もこの曲がすきだが、理由は違う。

    バレンボイムは、いう。音楽と読書の違いは、止められないこと。
    読書は前に戻って読み直すことができるが音楽はそれができないと。
    今、CD,DVD,ユーチューブなど、音楽も前に戻って聞きなおすことは本のようにできる。
    バレンボイムの音楽観は、10年後、変わっているだろうか。

    最近、坂本龍一がグレングールドのコレクションをだしたが、
    第一曲めに、ベートーベンのピアノソナタ作品109の第一楽章が入っている。

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著者プロフィール

1942年ブエノスアイレス生まれ。7歳のとき同地で最初の演奏会をおこなう。1952年、家族とともにイスラエルに移住。同年、ピアニストとしてウィーンとローマで、1955年にパリ、56年にロンドン、57年にはニューヨークでレオポルド・ストコフスキーの指揮によりデビューする。以後、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、南アメリカ、オーストラリア、極東において定期的に演奏旅行をおこなう。
1975年から89年にかけてパリ管弦楽団の音楽監督、91年から2006年6月までシカゴ交響楽団の音楽監督をつとめる。1992年からベルリン国立歌劇場の音楽総監督をつとめ、92年から2002年8月まで芸術監督も兼任。2000年秋には、ベルリン国立歌劇場管弦楽団から終身主席指揮者に任命される。1999年、故エドワード・サイードとともに、イスラエルおよびアラブ諸国の若い音楽家たちをメンバーとするウェスト=イースタン・ディヴァン・
オーケストラを設立。
これまでに2冊の著書、『音楽に生きる』(1991/2003)、サイードとの共著『音楽と社会』(2004)を出版。2007年には、日本において高松宮殿下記念世界文化賞を授与され、また、バン・ギ・ムン国連事務総長から国連平和大使に任命された。
Daniel Barenboim Official Website:http://www.danielbarenboim.com

「2008年 『バレンボイム音楽論 対話と共存のフーガ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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