上林暁傑作小説集『星を撒いた街』

著者 :
  • 夏葉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784904816035

感想・レビュー・書評

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  • 〈いま生活をしている、都市の、海辺の、山間の、ひとりの読者が何度も読み返してくれるような本を作り続けていく〉という夏葉社さん。
    先日読み終えた『昔日の客』、大好きな庄野潤三の「作家案内」というべき『山の上の家』、孤高の詩人尾形亀之助『美しい街』、本屋さんの日々の奮闘と未来への知恵を集めた『本屋会議』、冬と1冊の本をめぐるエッセイ『冬の本』。
    わたしにとって、ずっと手元に残しておきたいこれらの本は、気づけば夏葉社さんのものでした。
    そしてこの『星を撒いた街』も。

    著者の上林暁は、『昔日の客』にも登場した作家です。
    昭和7年30歳のころ、『薔薇盗人』でデビューし、戦後期を代表する私小説作家の1人として活躍します。
    その後、昭和27年(50歳)に軽い脳溢血を起こし、昭和37年(60歳)には脳出血を再発、半身不随となっても上林は作品を発表しつづけました。

    そのなかには、「病妻もの」と呼ばれる作品があります。昭和14年、妻繁子が精神病を発病、入院してから、昭和21年に繁子が亡くなるまでの彼の経験から生まれた小説のことです。この小説集には『病める魂』と『晩春日記』が掲載されています。
    わたしは、身内の病や苦難を素材にした小説というのは、ちょっと抵抗があったのですが、上林の作品には全く嫌悪感も苦手意識も起こりませんでした。むしろ、妻の繁子への愛おしさ、上林の滲み出る優しさ、涙が溢れてしまうやりきれなさや切なさ、そういったものがしみじみと伝わってきて、なんて美しい作品だろうとさえ思えたのです。そこには押しつけがましさや、同情心を煽るもの、そんなものは一切姿を見せず、ただ妻と生きることが愛おしい……そういう想いの丈のみがこみ上げています。

    なかでもわたしが惹かれたのは、何気ない情景を切り取った描写でした。直接的な愛を伝える表現でなくても、とても胸に染みいるのです。
    たとえば『病める魂』では、妻の入院先へ見舞いに訪れた「私」が、持ってきた蜜柑を茶餉台に並べる場面です。

    〈「今日はね、お菓子が手に入らなかったから、蜜柑だけなんだけど、食べるといい。」
    そう言って、私は持って来た風呂敷包みを開いて、茶餉台の上いっぱいに蜜柑を並べた。小さな金柑も、紙袋から出して並べていると、
    「それ、可愛らしいね。」と妻が言った。小さな金柑はつやつやした影を茶餉台に映して、黄色い小鼠かなんかのように背を並べていた。〉

    きっとお見舞いに金柑を手にとった「私」は、無意識にも金柑の可愛らしさと妻を重ねていたんじゃないかな……と思えたのです。

    『晩春日記』では、眼が見えづらくなった徳子と一緒に歩く何気ない一文にもそれが現れているようでした。

    〈それでも私は、徳子と一緒に歩きながら、時々眼を薄めてみるのです。そうして徳子の世界を想像してみるのです。〉

    徳子と喜びも苦しみも共に分かち合い歩みたい……。そんな想いがさりげない行為を通して垣間見れるようでした。

    『花の精』も妻への愛情が深く伝わってきます。入院中の妻を想い、その悲しい心を紛らわそうと庭に咲く月見草に心を託していた「私」。ところがある日、月見草を只の草と間違えた植木屋の若い職人に切られてしまう。
    ある日、月見草を喪い失望していた「私」は友人に誘われ、月見草がたくさん咲いているという川原に行くことになる。
    そこで「私」が見た、月見草の咲き誇る描写がとても美しく、同時に「私」の感情に再び光が射してくるのが伝わってくるのです。 

    上林暁の描く世界。いいなぁ、好きだなぁ。

    『和日庵』、『諷詠詩人』には、個性的な文学者が登場し、彼らの語りや思い出話には意外にも中毒性があって、途中で切り上げることができませんでした。

    『青春自画像』は、この小説集のなかでは群を抜いて勢いがありました。駆け出しの出版社員だった頃の「私」が奮闘するお仕事小説。まるでドラマを観ているような面白さ。
    なかでも改造社「現代日本文学全集」の宣伝のため、久米正雄が監督となって、諸作家の日常生活を撮影した映画を作ることになるのだが、これは観てみたかったなぁ。広津和郎、徳田秋声、芥川龍之介、佐藤春夫、武者小路実篤……。
    ちなみに断った作家先生も数人おられたよう。
    正宗白鳥は、「自分が死んでから、自分の生きた姿が動くのは嫌」と断ったらしい。(『昔日の客』でも正宗先生のキャラはそんな感じだったので、すごく納得)
    田山花袋は「久米君なんか、大嫌いだ。」とにべもなく断る。(なぜに?なにがあった?)

    表題にもなっている「星を撒いた街」は、まず綺麗なタイトルに心が踊りました。
    空の星を撒いたような灯の点綴した街。
    満天に星が乱れ咲くこの街に隠されたものを思う。遠き青春時代の輝きと、何かを喪ってしまった現在を思う。
    星空を見上げたくなるときのような、しんみりとした読後感でした。

  • 阿部公彦評 『星を撒いた街』上林暁著 【プロの読み手による 書評空間】 | 本の「今」がわかる 紀伊國屋書店
    https://www.kinokuniya.co.jp/c/20130117102448.html

    星を撒いた街 ー上林暁傑作随筆集 | 夏葉社
    http://natsuhasha.com/hoshimaita/

  • センター試験の出題で、初めて上林暁を知りました。試験中、あまりに優しい心情と背景の描写に泣きそうになったので、これはちゃんと読みたいなと思い、翌日にこの本を購入しました。(上林さんの本はなかなか手に入りづらいですね)
    忙しい時期の話でも、寂しい時期の話でも、上林さんの繊細な心がちゃんと日々の生活を丁寧に感じている感じがして、それは優しさであり強さだなと思いました。
    「聖ヨハネ病院にて」も読みたくて探しているのですが図書館や本屋にないので、今は「ツェッペリン飛行船と黙想録」を図書館で借りて読んでいます。

  • 日常を描いた私小説。読んでいてとても心地の良い、温かさを感じた。作者は本当に人が好きなんだろうなという印象。人に興味を持ち、交流するシーン、そのやりとりがとても微笑ましくて好き。なので『和日庵』『諷詠詩人』『星を撒いた街』が心に残る。そして情景を描く表現がとても美しい。また読み直したい。

  • 装丁がすごく素敵な本。

    上林暁、実はこの本を読むまでは詳しく知らなかった方でした。
    淡々とした文章の中に感情の機微が見え隠れする素敵な文章を書く方でした。

    特に心に残ったのは「病める魂」と「晩春日記」。
    妻を想い、さまざまな思いを巡らす流れがすごく沁みました。

  • 作者の周囲に暮らし、あるいは通り過ぎていった、とうの昔にこの世を去っている人々の街での暮らしぶりが、夜空の星々を慈しむような文体で描かれています。

  • ガケ書房の平積みから手にとった一冊。
    私小説というジャンルの本はあまり好きではないと思っていたけれど、この人の私小説はとてもよい。「私」小説だけに、作家との相性が肝になるということか(つまり、誰にでもおススメしようとは思わない)。書く人の息づかいや暮らしの色合いが目に映る文章に、肌のぬくもりのようなものを感じるここちよい読書でした。

  • 夏葉社の本。
    これもまた、美しい。
    佇まいが静か。

    「上林暁」など、名前は知ってても(ふりがな無しで読めますか?)入手し難いもののひとつだった。
    今般出版されたこれが、星が撒かれるように散らばって、そして「30年後」、それぞれしかるべき人の手の中にあることを思う。
    きっとそのはずだ、と信じることができる。

  •  表題作の他に「花の精」・「和日庵」・「青春自画像」・「病める魂」・「晩春日記」・「諷詠詩人」を収録。
     いずれも妻の闘病・己や周囲の生活苦・文学界における交遊を素材とした私小説。劇的なエンターテイメント要素や社会に訴えるテーマといった“華”は無いが、ずっと読んでいたい、終わってほしくないと思わせる何かを湛えている。ささやかだが、夢中にさせ感嘆させる美しさ、とでも言うべきものか。
     上林曉という作家だけでなく撰者の山本善行さんや、素敵な装釘で世に送り出してくれた夏葉社さんまでも一気に好きになった。純粋に小説を読みたい、文学を味わいたいという願望が形になった一冊。

  • 久々に私小説を読みました。文章が本当に美しい。
    上林さん初めて読んだのですが、読みやすくてすらすら進むんですけど表現の美しさに立ち止まることも多くて、独特の空気感がありますよね。
    タイトルにもなっている「星を撒いた街」の、時間とともに表情を変える富士山の描写がとても好きです。風景をこんなふうに切り取って文章にできるんだ、って、美しさにびっくりしてしまった。
    他の本も読みたくなってしまったので、手に取れそうなものから読んでいきたいなと思います。

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