- Amazon.co.jp ・本 (136ページ)
- / ISBN・EAN: 9784907240011
作品紹介・あらすじ
新しくて懐かしい街歩きのススメ。三州岡崎を舞台に散歩の歩幅で分け入る地続きの歴史。
感想・レビュー・書評
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愛知県在住の現代美術作家・ふるかはひでたかは、5年前に拙ブログでスパイラルガーデンにおける展示について言及させていただいたことがあるが、そのことを作家の方自身が覚えていてくださって、私が非常勤で講師をつとめる横浜国立大学あてに著書『岡崎散歩 二十七曲りへの旅』(正文館書店岡崎 刊)の恵投にあずかった。
徳川氏揺籃の地、三河国の岡崎を、残念ながら私は訪ねたことはない。だから本書を辿りながら私は、まだ見ぬ古き城下町を著者と共に歩いた。「目で歩く」とはまさにこのことであろう。著者曰く「もしかしたら今回出会った、若旦那の歴史も、セルロイドの矜持も、地中にうねる六供堀も、材木町のカクリと折れる音も、『あっち』の距離感も、クリームコロッケの存亡も、僕は岡崎という鏡に映る、自分の内側を見ていたのかもしれない。そう思い至ると、なんだか突然、カラカラと乾いた音とともにフィルムが終わり、映写機から放たれた光が銀幕へ跳ねかえって、眩しく顔を照らすような、そんな感覚に襲われた。」(本書 130ページ)
幻視と覚醒のはざまで、著者と読み手は同じ方角に向かってゆく。手前勝手な例であるが、私は日本橋の水天宮前や人形町といった生活圏内を歩きながら、この幻視と覚醒を気ままに往来することがある。小津安二郎が、永井荷風が、古くは歌川国芳が東洲斎写楽が、このあたりをそぞろ歩いた。彼らが何を思い、何に向かって視線を投げかけながらこのあたりを歩いたのか? そんなことに思いを巡らせながら歩くうちに、そういう境地に入っていくのである。
本書に誘われて、私もまた岡崎の街を──旧東海道が城下で戦略上または経済上の事情からジグザグとなった、通称「二十七曲り」を──空想の中で歩いてみせた(残念ながら「二十七曲り」はほぼ現存していない)。その道をいつの日か、実際の足で歩いてみたいものだ。そして、歩き疲れるがままに、そこの店に飛び込んで、ビールを飲みたいものだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示