たたかいはいのち果てる日まで―医師中新井邦夫の愛の実践

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  • エンパワメント研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907576189

感想・レビュー・書評

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  • 向井承子『たたかいはいのち果てる日まで――医師中新井邦夫の愛の実践』arsvi.com:立命館大学生存学研究所
    http://www.arsvi.com/b1900/8407ms.htm

    筑摩書房 たたかいはいのち果てる日まで ─人間的医療に賭ける / 向井 承子 著
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480023759/

    エンパワメント研究所 書籍詳細
    https://www.space96.com/php/user/item_detail.php?store_id=empower&item_cd=h036&flow_id=hsgEPl&from_page_id=index_read70214400

    ※(本書は1984年に新潮社より刊行された本の復刻です)
    なお、本書復刻の経緯については下記をご参照ください。

    「たたかいはいのち果てる日まで」復刻顛末記 2 by 田中正博
    http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/tatakai-2.htm

    「たたかいはいのち果てる日まで」復刻顛末記 by 久保耕造
    http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/tatakai.htm

  • 社会福祉や心理学の本を、意識的に避けるようになって暫く経つ。自身は、ケースワーカーの資格も、少ない年数と言えど、実務経験もあり、認定心理士の資格も、今になって目指しているのに。何よりも、私自身も生まれつきの治らぬ病と生きる身でありながら、専門書もルポも遠ざけてきた。

    正直、支えられる側に見られながら、実際は支える側として人と関わる事が多く、仕事と違って、突然飛び込んでくる区切り目のない相談事に疲れ

    『もう福祉や心理はいい。』

    『家族や友人の中で、自分の肩にかかる自分の苦しみは、どこで下ろすのか?』

    『いや、下ろすべき場所はない。それを思うなら、これからは自らを守っていくべきだ。でないと私が壊れる。』

    そういう思いを強くしたからだった。基本的に、社会的な支援を公的にであれ、私的にであれ、多少でも担うものなら、自分のことは、自らの胸に収めて、目の前の人に寄り添う覚悟と強さがいる。それが苦しくなった時は、支え手であってはいけないと想っている。いつも万全でいろとは言わない。しかし、万全でなくとも、飛び込んできたひとを受け止める土性骨がないと、苦しい思いで話してくれる人に、十全に答え得ないからだ。受け止めた以上は、そこに責任がある。そういうものだ。

    実際、母が病を得なければ、認定心理士も目指さなかっただろう。

    自分を優先したい。苦しい。ちらりとでもそう想ったら、社福や心理の専門書は、身から離すべきと決め、距離をおいていたのに、この本だけは、ものすごい勢いで読み切ってしまった。

    https://booklog.jp/users/randoku23/archives/1/4480023755

    こちらの、胸の熱くなるようなレビューを拝見し、矢も盾もたまらず読み切ったのだ。

    こんなお医者様がいらしたなんて…。

    そして、思う。この本に描かれた現状は、少しでも良くなったのか。この本の初上梓当時より、街で障害者の方もお見かけするようにはなった。だが、予約や煩雑な手続きなしに、急に障害のあるお子さんを預けられる場所や、突発的に病変や、悩みを堪え兼ねた家族を受け止め、社会にやわらかく戻してくれるシステムは、未だ出来たと言えない。

    突発緊急時の保護や一時預かり

    親や家族が、お年寄りや障がい者の方を見られなくなった時の受け皿の有無

    施設や病院への長期入所による、家族や地域との疎遠

    回復しても社会参加するのが、健常者並みでないと難しく、弾かれて生きがいがない

    などは、もうずっと何年も言われ続けて長い。支援を受けながら普通のくらしと、医療・福祉の場を往還するのは、今だって大変な課題では、ある。

    中新井邦夫医師。すぐれた技量と人格を兼ね備えたひと。このひとのように、痛みをともに感じてくれる医師がいたなんて。沢山の良いドクターに支えられてきたが、まるで夢の中の英雄のようにも見える。障がい児のいのちを守るために、とはいえ。長く生きて頂きたかった。もしも彼の構想がかたちになって、もっと進んでいたら、どうだったろう。いや、いまだって当時と比べたら良くなったけれども。

    どこかで、弱った者、手のかかる者は、見ていたくない。痛ましいし、面倒でもあるし。自分にも苦労はあるし…と、この社会は言っていないか。

    「しょうがないよ。大変だもの」

    しかし、自分が当事者として、何らかの問題を持った時、それを言う社会は、セイフティ・ネットが薄い。ネットが自分や周囲を受けとめてくれず、ネットの網目から落下してしまう。それは、誰にも起き得ること。なのに、ネットの薄さに気づいた時には、あざだらけになってしまう。

    この本で描かれているのは、障がい児の子たちのことだが、それは、お年寄りでも、有病者でも、いや、元気な人にだって、ある日突然、困難なことは降ってくる。その時に欲しい支援の形は、いつだって、簡単ではない。

    「ここさえあれば」

    と言われたネットの隙間をうめるものを、いいかげん、社会全体で洗い出して、組織的に解決していかなくてはならないのだ。いつまでも『愛の実践』という美しい言葉で、少数の志ある専門家や、篤志家の情熱や技術に背負わせていてはいけない。無論、『家族の愛』『母の愛』という言葉にまとめてしまうのも、同様に怖いことである。

    疾病、障害、老化、失業、子供や家族、仕事…様々のトラブル…それらの「ここさえ手助けがあれば」に向き合うのは、気が重い。楽しいこと、面白いことだけ見ていればいいのかもしれないが…。そこから目を逸らすより、本来は一つずつ向き合って、行政と社会全体で抜けをうめていく世の中のほうが、絶対に堅牢で’幸せだ。

    時間は’、もちろんかかる。今日言って明日結果がでるのではない。問題がなくなることもないだろう。だけどちょっとでも、生きてゆきやすい方に考えるしかないのだ。

    現職だった頃も、論文に同じようなことを書いたな…と思うとせつない。逃げたくなった自分にも、胸の奥を掴まれるような怒りが湧く。目の前には、自分用の車いすが、あって、華やいだフレームの色が、ぴたりと乗り手の私をみつめてくる。

    何年も歩いていなかったのに、望んで靴を新調し、20メートルの距離を再び歩くようになった。その、歩きたい意味を、根底からぐわっと揺さぶられるような読書体験だった。

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