- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909394217
作品紹介・あらすじ
いとうせいこう(音楽)、釈徹宗(宗教)、ドミニク・チェン(テクノロジー)、各分野で活躍する「すごい」人に『論語』を投げかけると――
2500年前を凌ぐ「すごい論語」が現れた!
「すごい論語」に問いを投げかけると――
・『論語』は「樂」を重視する
――人の命や国の命運を左右するほどの力が「樂」にはある。
・古典芸能には「片足」が多出する
――欠落をもつ者だけが君子になれる。
・人間関係に熟達するには?
――先祖(死者)とのコミュニケーションを活用すべし。
・日常的なイライラをおさめるには?
――「わからないもの」に自分を合わせる力を養うべし。
・「仁」とは?
――まったく新しい人間、ヒューマン2.0である。…etc.
大変化の時代を生きる知恵が次々と湧き上がる!
感想・レビュー・書評
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現代のすごい人たちと掛け合わせると、論語に新たな理解が生まれる。
編纂された時代に使われていた漢字にまで遡って、語られたメッセージを読み解いていく過程はとても面白い。
最先端の知見も横断的に語りながら論語に込められた知恵を読み取っていくのは面白いなと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本の読み方って自由でいいんだよな〜、と再認識。
本を書いてる人が文字にしたいと思った内容を、直接私たちが知ることはできない。著者が文字にしたものを読んで、それを手がかりに自分の頭の中で表象なり思考なり感覚なりを組み立て直したものがわたしの読書体験。高校生の時にそう考えてたはずなのにウッカリ忘れてた。
読書というものがそういうものであるのなら、著者の意図したものを忠実に組み立て直そうという文学研究的な読み方も楽しいけれど、著者の意図したものを拡大解釈あるいはそこから大幅に離れて自分の組み立て方でワクワクするような読書体験を得ることはひっじょーに豊かな読書だろうと思う。
そうそう、著者の本来の意図なんかより、そこに書かれたものからいかに豊かなものを引き出して自分で組み立ててワクワクするか、そっち目指したほうが絶対におもしろいし豊穣なものが得られそうやんね。
そういう豊穣な読書体験を追体験できる楽しい本です。
あとがきにこんなふうに書いてあった。
“いま世界は専門化しています。『論語』のことは『論語』の専門家しか話してはいけない、書いてはいけないという風潮があります。古典の読みですら狭量になっています。しかし、『論語』の本当の魅力を引き出し、そしてそれがこの混沌とした世界に寄与できるのは、このような方たちの、何にもとらわれない読みではないでしょうか。”
な〜んだ、安田さんの掌で踊ってただけなんかw -
難しいけど面白い
深い!
無意識に語りかけられてるような
この不思議な感覚はなんなんだろう?
安田登さんの本
しばらく追っかけよう
HUTBOOKSTOREにて購入 -
ドミニク・チェンとの対話が面白かった。
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安田登さんという能楽師と、いとうせいこう、釈徹宗、ドミニクチェンという職業バラバラの人たちとの論語についての対談集。
楽、虁、礼、読誦、選と択の違い、仁=ヒューマン2.0といった、今まで論語に抱いていたイメージとは違う観点からいろいろ議論してて面白い。 -
安冨先生が開いてくださった論語の扉、高橋源一郎を窓から投げ捨て、これは「対談集はつかれる」と本屋の棚に戻して図書館で取り寄せ。たら、なんと、面白かった。學而が「ほほう」となりました。「有朋自遠方來」の説明もしてくださいよ。仁=ヒューマン 2.0 というのは「…」となりました。孔子の時代に心はまだ「無い」と、古代文字から言われると説得される。古代人の思考はどのようなあり方だったのか。やっぱり白川静先生に教わろう…(2020-01-11)
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安田登さんと、いとうせいこう、釈徹宗、ドミニク・チェン3氏との対談。論語そのものの対談というよりも、論語を媒介として各自の専門分野に関するよもやま話という感じ。どんなテーマでも、優れた論者は自分の懐に引きこんで話せるという好例。個人的には、離見の見、場を感知する力、ヒューマン2.0の話題が興味深い。
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聞き手や読み手の受け取り方によって、次の人たちへの伝え方は変わってくる。当時の時代背景や当時使われていた漢字を手掛かりに孔子の真意を読み解こうとしており興味深かった。
理系の私としてはドミニク・チェンさんとの対話が読んでいて一番わくわくした。この対話で語られていた「文字というものは、ただ微分化(暗号化)するだけではダメで、享受者がちゃんと積分(復号)してくれないと成り立たない。」(p173)という表現はとても気に入った。 -
四十にして惑わず、惑という漢字は孔子の生きた時代にはなかった… 或という漢字のいわれから読み解く、論語の真の意味は… 自由奔放な論語解釈と対話に揺らされる。古典の無限の可能性について感じるところあり。