- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909972002
作品紹介・あらすじ
公立学校だって、どんどん面白くなってます!
教員と話をしていると、こんなに酷い職場だという話をよく聞かされる。
酷い、良くないことが分かっているのなら、「それを変えてみたらどうですか」と質問すると、「誰かが改善の声をあげたら同意しますよ」という返事がかなりの確率で返ってくる。(中略)
明るくて前向きな情報は、学校現場を自分たちの力で変えていく実践をしている人たちの話である。
そういう話から、自分たちが行動するためのヒントが得られるかもしれない。
保護者にしても、明るい前向きな情報が我が子の教育、学校を考えなおしてみるきっかけになるかもしれない。
そんな前提から、明るくて前向きな情報を求めての取材を始めた。
そして、教育を真剣に考えて実践しているたくさんの人たちがいることを知ることができた。
取材してみると、そういう人たち、そういう人たちの周りから聞こえてくるのが、「面白い」だった。 ――「はじめに」より抜粋
地域ぐるみで校庭に「里山」を作っちゃった学校、いち早く企業と連携してICTを積極的に取り入れている学校、「美術館」という異分子に協力を仰いで朝時間を有効活用している学校などなど、「学び」の質や職員室を変えようと奮闘している各地の学校を訪ね歩いたルポルタージュです。
目次情報
●「勉強は面白い」といえる子――モンテッソーリで学んだ女の子
●広島県福山市が挑戦する「分かる授業」
●普通ではない「役立つ」英語の授業をする教員(千葉県柏市)
●変わる教員たち――反発から率先へ(埼玉県所沢市)
●変わる教員たち――対話型鑑賞を教員に広げる試み(愛媛県)
●生徒・児童中心の考えが学校を変える――校則のない学校(世田谷区)
●学校に里山をつくる(横浜市)
●「大事なのは遊び」という世田谷区長
●学校はカラフルでいい(横浜市)
●ファーストペンギンをめざして(埼玉県戸田市)
●変わり始めたのか?文科省
●教員が授業を決める
感想・レビュー・書評
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ずっと心に抱えていた日本の教育に対するモヤモヤがまとまっている1冊だった。
思い返せば、小学校・中学校の授業では始めに「めあて」、最後には「まとめ」が書かれていた。まとめさえ覚えておけばテストでいい点数がとれた。これは教育委員会によって授業の内容について厳しく決められていたからだと分かって納得した。小・中学校ではテストでいい点数を取れることに面白さを感じていた。高校に入ってテストで良い点数を取れなくなり、勉強する意味がわからなかった。勉強に楽しさを見出していたわけではなく、テストでいい点数をとれることが嬉しかっただけなんだと思う。
新しいことを見たり、聞いたり、体験したりすること、勉強することって人間の本来の意義というか生きがいだと思う。子供たちに勉強は苦痛だと感じさせてしまうのが、日本の教育であるように感じる。でも、学校以外に学ぶ場所はたくさんあるし、本来の勉強は机に向かうだけのものじゃないと思うから、学校や日本の教育が悪いと文句を言うのではなくて子供も大人も一緒に日常生活の中で学ぶ機会を作ることが大切なんだと思う。
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・モンテッソーリ教育を全面的に認めると文科省の従来の教育を壊れてしまう。
文科省の従来の教育:子供はこうあるべきという概念に基づいているので、必要なことを教え込む教育
モンテッソーリ教育:教育は個々の違いに合わせて行われるもの
通常の学校では教員の「教え込む」という姿勢が強い。それに対して、モンテッソーリ教育では援助する姿勢。子供が自分の興味に従って展開していくのを助ける。
嫌なことを強制させられると面白いとは思えない。強制されれば成長するどころか、精神的にも鬱な状態にしかならない。興味を持って取り組んで結果を出せた自信が、新しいものに取り組んでみようという気持ちにさせる。
従来の教育は「競争心をあおる」ことが多い。その結果、学校は挫折を経験する場になってしまっている。一方で、モンテッソーリ教育では「個々の良いところを認める」ことを基本にしている。
・「先生の期待する答ばかり探す子どもを、たくさんつくってきた」教員が主体で子どもたちは無視されている従来の授業。
全国学力テストは自治体や学校の競走道具になってしまっている。
日本の教育そのものがテクニック優先になっているのかも。教員は「自分は子どもたちより上」という意識が強いために、ついつい頭ごなしになってしまう。「生徒の前で先生が間違ったことをしてはいけないとおもっているから体面を保とうとする。だから、先生も生徒の前でたくさん失敗すればいい。失敗しちゃったら、「ごめんね」っていえばいいんだから。」
規則ありきの環境は、結局のところ、子どもたちを信用していないということ。
・自然とふれあわないとこどもは育たない。人として大事なことは自然とふれあうことで学べる。そうしたものを経験できる場を、今の子どもたちは失ってしまった。体験もしないのに知識だけを詰め込んでも意味が無い。
・明治政府以降の日本の教育は「起立、礼、着席」から始まって、教員が板書して、それを子どもたちはノートに写して暗記し、その結果をテストで調べるというスタイル。日本が工業製品を大量につくって輸出する工業化に向かう中で、そういう教育で育つ素直な子どもたちを産業界が求めた。早く覚えて、目の前の作業を正確に処理する能力、規則的に同じことをやる若者が求められていた。それに学校は応えてきた。でもそんな時代は終わった。学びの質の転換が必要な時期に入った。教育は、人生を豊かにして、選択できる可能性を広げ、バックアップしていく役割でなければいけない。
・社会全体をリードする役割を教育が果たすべき。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読了。中一の娘に薦められた本。学校が変わりつつあることを知ってワクワクしたが、最後の2章を読んで、まだまだ道は険しいなと思った。