新版 雪に生きる

著者 :
  • カノア
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本棚登録 : 55
感想 : 2
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  • Amazon.co.jp ・本 (560ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784910029009

作品紹介・あらすじ

圧倒的な感動と共感を呼ぶ、昭和18年の名著を新装復刊しました!
著者の猪谷六合雄(いがや・くにお)は1890年、赤城山・猪谷旅館の長男として生まれました。生来の手先の器用さに加えて、何でもやってみる、何でも作ってみるという好奇心と情熱のかたまりのような人物で、10代のころからスケート、水彩画、油絵をはじめて、小さな組み立て小屋や飛行機の模型を作り、丸木舟を彫りました。
23歳の冬、粉雪の上に見慣れない二本のシュプールを見つけたことがスキーとの出合いでした。板と金具を自分で作って、毎日毎日粉雪の山へ出かける。そうやって、独学でスキーの技術を習得していきました。薪の上を偶然飛んだことがきっかけで、スキージャンプにも夢中になります。雪を求めて国後島、赤城山、さらに乗鞍へと移り住み、その先々でジャンプ台やゲレンデを建設し、世界に通用する練習法と指導法を確立しました。現地の人々と交流し、創意と工夫のつまった小屋を建て、薪ストーブなどの生活用具を作り、毛糸編み靴下まで開発するのでした。
そんな著者の半生を綴った、圧倒的な感動と共感を呼ぶ稀有な生活記録が本書です。さまざまなできごとが、丁寧な描写とみずみずしい筆致で描かれています。本人が撮影した当時の貴重な写真と小屋の平面図39点を収録し、読む者の心をとらえて離さない独自の世界観を再現しました。
昭和18年(1943年)に初版本が刊行された本書は、これまで新潮文庫(1955年)や岩波少年文庫(1980年)など、じつに7社が文庫化や復刊を繰り返してきた名著です。この『新版 雪に生きる』は、『定本 雪に生きる』(1971年)を再編集し新装復刊した新版です。

感想・レビュー・書評

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  • 猪谷六合雄と書いて「いがやくにお」と読む。
    私はこんな人は今までに知らない、周りにもいないし、見たことも聞いたこともない。
    どんな人かというと、一言でいうなら「スキーに人生をささげた人」とでもいえばいいのか・・・
    明治23年に赤城山のふもとで生まれる、家は宿屋をしていて、父は赤城神社の神主をしていた。
    大正3年ごろ、山にスキーの2本のシュプールを見つけ、自分もやってみたくなり、木を削って板を作り、トタン板と針金でビンディングを作り見よう見まねでスキー板らしきものをこしらえ滑ってみたのが始まり。
    以来生涯を通してスキー第一人生が始まったのだ。
    雪のある季節はとにかく滑りまくる、途中からはジャンプに目覚めて、シャンツェ(ジャンプ台)作りから手掛ける。
    雪のない季節は、ゲレンデの整備、藪を刈り払い木の株を掘り起こし、整地。
    後各地を回って、スキーにより適した場所を探す。
    一年中、毎日スキーのことばかりだ。
    そして適した場所を見つけると、その場に家を建てて住んでしまう。設計から建築の大半はすべて自分や家族でやってしまう。
    地権や移住に関しての細かいこともいろいろあるだろうに、昔のことだからあいまいな部分もあるのか・・・
    赤城から千島列島の古丹消、それから赤城に戻り最後は乗鞍へ落ち着く。
    すべてスキーをするためである。
    家族構成は?と思っていると、途中から奥さんが出てくる、千島時代に2人の男の子が生まれるが引き上げてすぐ、下の子供を肺炎で亡くす。
    とまぁ、家族も巻き込んでのスキー行脚である。
    良くついていくものだなぁと感心していると、奥さんは二人目で、やはり初めての奥さんはつき合いきれなかったのだろう、書かれてはいないが。
    息子さんのあとがきで、小さいころから、スキーを滑らされて、ゲレンデ整備などにも駆り出され、自分には楽しい記憶は少しもない、でもオリンピック選手にまでなれたのは間違いなく父親のおかげだと、最後は感謝しておられた。
    私が猪谷さんにたどり着いたのは、冬の靴下の編み方、なのです。猪谷さんが考案された編み方が紹介されていて・・・何でもされる人なのです。
    読み終わったので、これから挑戦しようと思います。

    私が読んだのは、1980年発行の 岩波少年文庫です。

  • 日本スキー界の先駆者は、山小屋暮らし、セルフビルドの達人でもあった。手作りと試行錯誤。究極のアウトドアアライフを描いた名著復刊!

    何より本書が戦時中の昭和18年の刊行の著作である事に驚かされた。

    1890年生まれ。赤城山・猪谷旅館の長男として生まれた筆者。23歳で見様見真似で始めたスキー。試行錯誤の連続の中、独自の鍛錬で技術を磨いていく。
    本書は筆者のスキー人生と山小屋の設計、靴下の編み方、など独自に培ったワザの解説。

    生活の拠点は赤城山から千島(戦前なので)、再び赤城山そして乗鞍へ移っていく。

    千島で生まれた二人の男の子。春に生まれた千春くんと2年後の夏に生まれた千夏くん。山暮らしの代償の千夏くんの急死。意図せぬドラマチックな人生。

    どうやって生計を立てていたのか不思議な程の山暮らし。山小屋の設計から建築、ゲレンデまで全て手作り。最初は変人扱いする地元の住民も、やがてはスキーの虜となる。近所の方のお手伝いや差し入れなど温かな交流も実に心地好い。

    自分で作ったログハウスに住むことを生涯の夢とする友人を何人か知っている。究極のアウトドアライフだろう。それを戦前に実現した日本人がいたことは何より驚きである。

    必要は発明の母。波乱のスキー人生と創意工夫。
    アウトドアライフを満喫したい方にきっと楽しめる幻の名著の新装復刊版です。

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著者プロフィール

猪谷六合雄(いがや・くにお)
自然ととも生き、生涯を暮らしの工夫と精進に費やした。日本スキーの草分け、先駆者と呼ばれ、長男の千春を冬季オリンピックの日本人初、さらに現在においてもアルペンスキー種目唯一のメダリストに育てあげる。明治23年(1890年)に群馬県の赤城山で旅館を営む家に生まれた。生来の手先の器用さに加えて、なんでも自分で作ろうとする好奇心と情熱のかたまりのような人物で、ジャンプ台、ゲレンデ、スキー金具、練習方法、毛糸編みの靴下の開発などから、家族の住む山小屋や薪ストーブなど生活用具の数々まで、独学で習得した知識と経験を活かして、身のまわりのあらゆる物を自作した。趣味の絵画や写真の技量は素人の域を超えており、文筆活動も精力的にこなした。71歳で自動車の運転免許を取得し、自ら改装したキャンピングカーの車内で生活しながら全国を旅した。明治、大正、昭和を生きた20世紀の傑物。昭和61年(1986年)死去、享年95歳。
交遊関係は幅広く、高村光太郎との家族ぐるみの付き合いや志賀直哉、里見弴、柳宗悦ら白樺派との交流もあり、皆それぞれの猪谷六合雄を文章に残している。六合(りくごう)とは、天地と東西南北の六方、つまり全宇宙という意味もあります。

「2021年 『新版 雪に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

猪谷六合雄の作品

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