ツヴァイク短篇小説集

  • 平原社
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  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784938391256

作品紹介・あらすじ

甦る巧みな物語。全集未収録の珠玉の作品集。

感想・レビュー・書評

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  • 見事に殆どの作品が死、特に自死で終わるという通勤中の読書にぴったりな短編集である。

    自我の成長とはosのアップデートに似ているのだけれど、アップグレードに近い事がある際、古いOSが叛乱を起こす事もある。幼児性が強く、古い自我に執着が強いと、それを擬人化し、成長=過去を否定しての上書き、という行為を、自己そのものの死と捉えてしまう。

    ウルフ「船出」のラストの唐突な死は、まさにそれなのだけれど、本書での「猩紅熱」のラストも、そっくりの精神構造だと言える。逆に、これを読めば「船出」のラストの死の持つ意味も納得できるはず。大抵の人は「船出」の納得のいかない唐突さを作家として未熟なせいと思ってしまうだろうけれど。
    リアルに自らの思考傾向を再現しようとすれば、唐突にならざるを得ないし、自ら納得を拒んでいるからこそ、そうした思考を辿るのであろうから、あれはむしろ正確である様に思われる。

    恋愛という、決定的な他者との邂逅。それを受け入れつつも、激しい動揺に耐えることが出来ない。
    古いプログラムが残存していて、矛盾する指令を出すせいで、固まってしまう。落ちてしまう。

    それを客観的・否定的な視点で描いたヴァリエーションとして、漱石「虞美人草」の唐突な死がある。あれに納得している人をひとりも見た事がないが、私は寧ろ漱石の人間分析の確かさに驚嘆する。
    藤尾にとって恋愛とは自己の延長拡大・他者への侵略でしかなかった。他者との邂逅は起こるべくもなく、むりやり突きつけられれば、自己を消滅させてでも他者の存在を否定するという方法で、その論理に準じてしまうのだ。

    神的認識とは自己=世界であり、数字は一しかない。世界が自己の延長ではなく完全な他者であると認識するなら、世界とは常にアクシデントであり、それに対応するには常にアップデートとアップグレードを繰り返さねばならない。それが生そのものである。
    神的認識を保持したままの幼児的な自我を潔癖に保ち続けるならば、その最終的な解決は死しかありえない。或いはトランプや安倍の様に世界自体を壊すかだ。
    三島や川端や太宰やウルフの死には何の謎もなく、全ての作品に刻印されたその世界観を貫徹するのならば当然、死へと向かうしかない。

    それは無垢さと愚かしさの2つの意味を持つ結晶として我々に何かを突きつける。
    本書のどの短編にもにもまた、そのような刻印がこれでもかというくらいにくっきりと刻まれている。

    「リヨンの婚礼」がベストの一篇。現実を一瞬塗り替えるフィクションの力の、見事な美しさ、これこそが著者の世界観を美に昇華させた最良の姿だろう。

    他、佳篇も多く、「昔の借りを返す話」は美しい人情話の系統。アイドル追っかけの未成年が家に押しかける話で、某グループの元メンバーに、そっと読ませてあげたい。
    権力欲と愛欲への執着がねっとりと描かれた歴史もの「ある破滅の物語」も楽しい。

    「森に懸る星」「レポレラ」はストーカーの心情。ストーカーというのもまさに自己と他者との境界を失っている人の話であり、テーマはどれも同じと言って良い。
    「レポレラ」は献身が度を過ぎると変態になり、ホラーにもなる、という事。
    丁度フローベールの「素朴なひと」やチェーホフ「可愛い女」が、もっと行き過ぎてしまうとこうなる、という事。
    (そう思えばこれら献身三作には、フィクション内における救いというよりも、読者が哀れにも愚かにも感じる事で人物に救いを生んでいる、という層を跨いだ救いを効果として持っているように今、気付いた。太宰の「饗応夫人」なんかもこの系統かも知れないね)

    「エーリカ・エーヴァルトの恋」一篇のみ、過剰な心理描写が面倒で放棄。後はどれも質が高く、陰惨な話が多かったにもかかわらず、過剰な熱さの中にどこか乾いた感覚があり、不思議と嫌な感じが残らない。一種の清々しささえ感じる。楽しく読めた。

  • 2001年に出版されたものだが、現在絶版になっていて、中古で購入。
    『絶望図書館』にも入っている「昔の借りを返す話」という、俳優とそのファンの話が好き。

    訳が上手くて、情景描写も心理描写もていねいで読んでいると「こういう言葉の重ね方があるのか」と驚かされる。
    これはツヴァイクの言葉について褒めるべきなのだろうが、それを上手く日本語に訳出した長坂聰氏も素晴らしい。

    訳者あとがきにもある「猩紅熱」が秀逸。
    田舎からウィーンに出て来た大学生ベルガーが、都会を知る先輩シュラーメクと出会い、シュラーメクの彼女カルラを知り、彼女から目を逸らすために病気のミッツィに近づく。
    『三四郎』や『青年』ではないが、特別憧れるものへの発作的な信仰から、訳の分からぬ恋を知り、それが失望や裏切りに変わり、一回り見地が広がっていく、そんな青い年頃の話が良い分量でまとめられている。

    短いが「駄目な男」も読まされる。
    教師にもクラスメイトにも馬鹿にされるリープマンの、誠実な怒り。
    問答は少ないながら、耐えることと諦めることの往復の末に、自殺を企てる。
    なんというか、啓発そのものを目的にした物語より、その心理の煮詰まってゆく様子に目が離せなくなる。感じるものがあると思う。

    他に、
    「エーリカ・エーヴァルトの恋」
    「置きざりの夢」
    「十字勲章」
    「リヨンの婚礼」
    「ある破滅の物語」
    「森に懸る星」
    「レポレラ」

    どれもエンディングの描き方、その結末を選び取ることへの流れが上手い。
    面白かった。

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