【よく聞く議論】xiii
ナショナリズムはなるほど対内的には社会的連帯の源泉として価値を持つが、対外的にはより広い目標を犠牲にして他のネーションへの敵意と国益追求の温床となる。
「ナショナリティの原理」は、私たちが何らかのナショナルな問題に、個人としてもしくは市民として、実際上の対応を迫られたときに理性的な指針を与えてくれるものである。p5
ミラーが「ナショナリティ」を提示するとき、包含する三つの命題。
1. 実体としてのナショナル・アイデンティティ
2. 倫理的共同体、境界線によって仕切られた義務
3. 政治的な自己決定 p21
「ネーション」とは、政治的な自己決定をおこないたいと強く願う人たちの共同体という意味であり、そして「国家」とは、そうした人々がみずからのために保持することを強く望む一連の政治的諸制度という意味で理解されなければならないだろう。p35
ナショナリティはネーションの
歴史的持続性を体現するアイデンティティである。p41
【ネーションの意志を体現する代理人】
政治家・兵士・スポーツ選手 p42
移民は、彼ら固有の要素をナショナル・アイデンティティにつけ加えるような場合がある。実際、移民は、ナショナルな特性を作り上げている豊穣な文化的資源と相互扶助の質を高めることがあり、それ自体ネーションを形成する契機とみなすことが可能な事例もある。p46
【ウィトゲンシュタイン縒糸の比喩】
私たちは、いかなる既存のネーションにもそのネーションに所属するためには一連の必要十分条件が存在するはずだと考えるのではなく、そのかわりに、ウィトゲンシュタインの縒糸の比喩の視点から考えるべきである。すなわち、縒糸の強さの秘密は「あるひとつの強固な繊維が縫い糸全体を貫いているという事実にあるのではなく、多くの繊維が重なり合っているという事実の中にあるのだ」p47
【ネーション要約】
①共有された信念と相互関与によって構築され
②歴史の中で長期にわたる広がりを持ち、
③その特性は能動的であり、
④ある特定の領土に結びついており、そして
⑤固有の公共文化によって他の共同体から区別された共同体である。p48
フランス革命期、シエイエス師がフランス革命に関する優れたパンフレットの中で記しているように「ネーションは、すべてに優先されるものであり、すべての源泉である。ネーションの意志は、つねに正当なものであり、実際、それは法そのものなのである」p51
ルナン「忘却やーあえていうならー歴史的な誤謬といったものは、ひとつのネーションが創造される際の本質的な因子である」p59
ジョージ・オーウェル「人々に信じられている神話は、結果として真理となる。なぜなら神話は、平均的な人間が最善をつくして真似ようとするある種の人間類型や『理想的人物像』を作り上げるからである」p65
ルナン「ネーションの本質は、すべての個人が多くの事柄を共有し、また全員が多くのことを忘却しているという点にある」p66
「救命ボート・モデル」p71
ナショナルな共同体に生きる人々は、想像上の救命ボートの乗客よりもずっと強く過去に拘束されている。
サルトル「国を守るために戦闘に出兵するべきか、あるいは病気の母を介護するために留まるべきかに悩む若者」p78
倫理的普遍主義と倫理的個別主義 p92
ナショナル・アイデンティティがつねに流動的であり、ナショナルな社会の内部に存在するさまざまな下位文化によって形成されているということをいったん認識すれば、移民がなぜナショナル・アイデンティティに対する脅威となるというのだろうか。p226
【移民は、次の二つの状況にかぎり、問題を発生させるかもしれない】
①移民の占める割合が大きくなりすぎて、受入国側と移民側双方の順応過程が始動する時間的余裕がないときである。Cf. カリフォルニアにおけるメキシコ移民
②移民集団が非常に強い結束力を持っているために、独立のネーションとでもいえるものを作りあげてしまうような場合である。p227
移民が住んでいる環境には、その中心的共同体の伝統や慣習がぬぐい去れがたく刻印されているのであるが、マイノリティ集団が必要とするのは、ウォルツァーの表現を借りれば「エスニックな意識に取って代わるものではなく、それに付加されるものとして」抱懐することのできるナショナル・アイデンティティなのである。p242
【ナショナリティは衰退しているのか】p276~278
①世界市場が個人消費とライフスタイルにますます大きな衝撃を与えており、その場合この市場にはテレビ、映画、出版界といった文化的商品の市場をも含むとされている。<中略>今では人びとは自分が他の人びととは違う生き方をしていると考えたり、実際のところ住む場所を選ぶことは人生の重要事であると考えたりすることが、だんだんむずかしくなっている。
②地理的にな移動が容易になったことも同じ効果をもたらす。
③人びとはますます自分自身を、ネーションの下位に属するもしくはネーションを超えた集団や共同体によって定義するようになってきている。
④政治的決定の場としての国民国家は、ある程度統治に関する地域的および超国家的機関に席を譲ってしまっている。Cf. EU
消費パターンの収斂化傾向はけっして必然的に政治的アイデンティティの収斂化を伴うわけではない。p280
EUは経済的集合体であり、各国家の多様な価値観によって成り立っている。 Cf. ユーロバロメーター p286
★デイヴィッド・カナディン「ヨーロッパの大部分の人々は今なお自分たちのナショナルな共同体の文脈の中で生活しており、自分たちの過去と未来をそのような政治的枠組みの中で考えつづけてる。なるほどネーションは創られたものかもしれない。けれども車輪や内燃機関と同様、いったん創られるとネーションは現実の確固とした実在性を付与され、それは市民の主観的な見解に見出されるのではなく、法、言語、慣習、制度、そして歴史に具体化される」p291
文化的スーパーマーケットという発想は、社会をひとつにまとめるものは何か、私たちが相互に負っている義務ーつまり、社会保障制度や市民のニーズに対応する公的支援といったものに表明される義務ーの源泉とは何か、といった問題に答えることができない。p311
【D・ミラーが提起する主題】
①ネーションそのものは想像の産物であり、その見せかけの連帯は、過去に生じた事柄についての、また私たちが共有している事柄についての一連の誤った信念に基づいているのだろうか。
②もしネーションがたんに想像ではないとすれば、ネーションは私たちにどのような実際的な要求を行うのか。
③私たちが同胞への特別の義務感を認め、それに基づいて行動することに正当な根拠はあるのか、またこのことはナショナリティに関係なく全人類を等しく尊重しなければならないという私たちの感覚とどのように調和しうるのか。
④政治的自律を要求するネーションを正当化するものは何か、またある領土内のマイノリティ集団が政治的境界線を引き直そうという要求をするとき、私たちはそれにどう対応すればいいのか。もっと一般的にいえば、現代の多文化主義を前にして私たちはどこまでナショナル・アイデンティティを守っていくべきなのか。p326
⇒こうした問題に答えるために私が提示しようとしてきたのは、いわばナショナリティの自覚的な擁護である。
【コスモポリタニズムを受け入れられない幾つかの理由】
①大多数の人々は自分が受け継いでいるナショナル・アイデンティティにきわめて深く結びついている p327
②ナショナリティは人々がそれを背景にしてどんな人生を送るかについて、いっそう踏みこんだ個人的決断をくだすことができる、共通の文化への手掛かりを提供してくれる p328
【リベラルとナショナリストが正反対の立場に立つことになる4つの局面】p342~344
①個人の自律
②社会制度や政治制度の正当性
③公的生活に本質的価値があるか、否か
④文化的に中立か、非中立か。
【訳者あとがき】
ポストモダンの近代批判の観点からネーションとナショナリズムの脱構築が語られる一方で、歴史社会学の分野で実証的でユニークな成果が相次いで現れた(ex. B・アンダーソン、E・ゲルナー、A・スミス)こうした議論の過程でネーションやナショナリズムの「構築性」もしくは「虚構性」はほぼ明らかにされたといってよい。p350
加速化するグローバル化、多文化主義の台頭、それらの底流にあるアイデンティティ問題への関心の高まりという現代政治の規定条件の中で、構築された虚構としてのネーションの観念は消滅の兆しを見せるどころか、相対化されながらも無視しがたい影響力を発揮している。p351
<本著の構成>
デモクラシーの精神的基盤としてのナショナル・アイデンティティの意義(第二章)、ナショナルな共同体が要請する義務とその限界(第三章)、ナショナルな自己決定の現代的条件(主権、自治、分離独立、連邦制など)(第四章)、文化多元主義または多文化主義とナショナルな政治統合との関係(第五章)、ナショナリティがもたらす現代の危機(第六章)p352
【ミラーの議論の要約】
ミラーにとって、ネーションとはたしかに歴史的形成物であり、過去からの文化継承を重視するが、同時にそれはつねに未来に向けて可変的であり、現在の開かれた公的熟議を通してそのつど定義しなおされていくものである。彼は本書でナショナリティとは「思考の能動的過程と、集団内の当事者間の意見交換とによって創造され、維持されるもの」(本書13頁)と述べているが、彼はここにナショナリティとエスニシティの違いを見出すとともに、デモクラシーとの親近性、ひいては世界へ開かれた性格をみている。p352
ミラーの立場は結局「リベラルなもの」と「ナショナルなもの」との共存・共生の可能性と必要性を説く「リベラル・ナショナリズム」の一ヴァリアントと考えることができるであろう。p355
ネーションあるいはナショナリティが「虚構」であり「想像」の産物であることを承知した上で、そうした「虚構」や「想像」が自由・平等・熟議的民主主義・自己決定・品格ある暮らしなどの価値理念とどう関連しあっているのか、あるいはそれらがどのような条件の下で受け入れ可能なものとなりうるのかという問題を提起し、それに対してひとつの規範的な見方を提示しているところに本書におけるナショナリティ論の独自性と意義があると考えられる。p356
【出版以降の反響】p356
①グローバルな正義論
②分離独立の条件
③市民教育とナショナリティの関係
④非西欧文化圏におけるリベラル・デモクラシーの基礎