エクソシスト ディレクターズカット版 [DVD]

監督 : ウィリアム・フリードキン 
出演 : エレン・バースティン  リンダ・ブレア  ジェーソン・ミラー  マックス・フォン・シドー 
  • ワーナー・ホーム・ビデオ
3.45
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感想 : 55
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988135530431

感想・レビュー・書評

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  •  『エクソシスト』、有名な作品ですが初めてちゃんと観ましてですね、自分の好きなホラー映画4位以内に入りました。因みに1位『シーバース』2位『キャリー』3位『ローズマリーの赤ちゃん』。『シーバース』以外は有名な作品なんで、昨年発表された「米サイトが選ぶ『死ぬまでに見るべきホラー映画20本』」というのに3本とも入ってますが、選ばれるには選ばれるだけの理由がやっぱりあるな、と。
     オカルトホラー映画といえば『エクソシスト』と『オーメン』ってイメージですが、3年後の『オーメン』が駄作・・・は言い過ぎか、冗長で惜しい映画だったのに対してオカルトブームの火付け役となった『エクソシスト』はやはり大名作でした。
     この前『エスパー魔美』のレビューで書いたんですが、オカルトブームの年ってはっきりと1973年でして、ユリ・ゲラーも『ノストラダムスの大予言』も『エクソシスト』も全部この年。翌年エスパー魔美の原型『赤毛のアン子』と『キャリー』の原作小説が発表されます。なんで73年にオカルトブームなのか?ってよくわかんないんですが、何があったかというと第四次中東戦争と、それを受けてオイルショックが起きた年でした。そういう「世界が破滅するかもしれない」という気分と合致したのかも。
     この『エクソシスト』もイラクから始まります。冒頭に出るのはメソポタミアの魔神(悪霊)像で、あそこらへんの神話は旧約聖書・ユダヤ教・キリスト教やイスラム教のご先祖様でもあるんですが、表面的に見るとアラブ世界=邪教の魔神ということなんじゃないかな。
     
     この映画の特徴として、怖いシーンは当然だから置いといて、普通のドラマパートがとっても「変」なんです。普通の映画の場合だと登場人物の行動には意味がありますよね。ちょっとしたカットやアップ、動作が伏線になったりしますけど、この映画の場合まったく意味がなかったり、話にあまり関係ないカットがけっこうある。そこが「怖い」とは思わないけど、とても不可解なんです。
     これは後で知ったんですが、監督のウィリアム・フリードキンは元々ドキュメンタリーを撮ってた人で、『エクソシスト』はドキュメンタリー映画の手法で撮られてるそうです。日常を切り取った様な撮り方なので、普通の映画とは全然違う不可解な動作が入ったりする。

     最初に書いた『シーバース』『キャリー』『ローズマリーの赤ちゃん』等、好きなホラー映画に共通する特徴があって、それは性的な話だということです(ただのサービスエロシーンに非ず)。『エクソシスト』も女の子が思春期を迎えて変わってくっていう話です。これまたこの映画の面白い点は、前半が非常に科学的なんですよね。お母さんは全然信心深くないし、脳のX線検査もする。(科学的な)精神疾患、思春期に変調をきたしてそうなったのか、それとも悪魔や霊が憑依したのか・・・科学とオカルトの間を意図的にぼやかしてるんです。だから観客は「これどっちなんだ?」ってなる。そこが怖いし、面白いところでもあります。

     もうひとつこの映画の特徴としては、この映画はアメリカンニューシネマに非常に近いというかニューシネマそのものだと言っていいと思うんですよね。フリードキンが『エクソシスト』の前に撮ったのは『フレンチ・コネクション』ですが、これも一応ニューシネマに分類されます。アメリカン・ニューシネマの特徴って、最後に主人公が負けたり死んだりしますよね。

     キャストについてですがマックス・フォン・シドーはこの頃まだ40代だけど老け役をやってますね。老けた後(最近)のイメージしかないからびっくり。
     エレン・バースティンはほんとに良い女優さんで素敵でした。数本しか観たことないけど『アリスの恋』も『レクイエム・フォー・ドリーム』も(あと最近だと『インターステラー』か)、作品も女優さんとしても好きです。

  • 物語は神話を内包します。
    考古学者でありエクソシスト(悪魔祓い)でもあるメリン神父と、過去に闘った宿敵である太古の悪魔パズズの善と悪の対決をクライマックスに、古来から変わらぬ、思うようにならない人生に行き場のない悩みを抱えて藻掻きながら歩む人達の愛と孤独と葛藤を描きます。

    有名なテーマ曲「チューブラー・ベルズ」は、
    孤独や諦観に寄り添う、実に癒やしの曲なのです。

    夫と別居し、ひとりで娘を育てる女優クリス。
    その娘リーガンは母に愛されその愛を返す純真無垢な存在ですが、両親の別居により父親から引き離された心の傷、父親をけなす母親の汚い言葉、母親の新たな恋人の存在が、リーガンの心を徐々に蝕みます。

    貧困や不幸のなくならない世界に神の存在を疑い迷う、精神科医の資格を持つ神父カラス。
    カラスは母想いですが経済力がないため、体調が悪化した母を精神病棟に収容し、罪悪感に満ちたカラスは自責の念に駆られます。
    精神病棟の患者の姿に神が世界を見放したと感じ、自らも神に見放されたと感じます。
    収容されたことを非難して母も離れていきます。
    信仰のみならず母との絆も失います。

    一見、安らかで平和に見える世界が内包する混乱。

    やがて彼等は、パズズとの対決というひとつの線で結ばれます。

    徐々に異常な言動を起こすリーガン。
    クリスは娘リーガンを治癒するため、脳外科、内科、精神科ありとあらゆる最新医療を施しますが、医者はお手上げになります。
    あらゆる専門医を訪ねた挙句の果てに唯一残された道は教会だけでした。
    クリスの思いにカラスは心を動かされ、リーガンに会います。
    合理主義者でもある彼は懐疑的でしたが、リーガンの身体に浮かんだ「help me」の文字を目の当たりにして、教会へ悪魔祓いの儀式を要請します。
    そして悪魔祓いの経験者メリン神父が召喚されます。

    両者ともに畏敬の念を抱く、メリン神父と悪魔パズズの宿命の決闘が再び繰り広げられるのです。

    街頭に照らされ霧に包まれた屋敷の前に立つメリン神父。
    映画のポスターにもなった有名なワンシーンです。

    メリンはカラスに悪魔と対峙したときと悪魔祓いについて指示を出します。
    メリンは悪霊は一人だと言います。
    他に現れる連中は無視し、唯一の相手は悪魔そのものだと。

    闘いの武器は、一瓶の聖水と小さな十字架それにラテン典礼書、そして信仰です。
    二人は神の御名において行動を起こすのです。
    天上界へ心からの祈りを捧げ、イエス・キリストの御力を借りて悪霊を撃退するのです。

    悪魔は抵抗します。常套手段であるトリックや汚い言葉で応酬します。
    悪魔は、人生は生きる価値などないものだと思い込ませようとあれこれ仕掛けます。
    悪魔が、隙きあらばつけ入り常に試そうとするのは、彼等の神とこの儀式に対する信仰心です。
    これは悪魔のトリックに対して行われる太古の儀式です。
    メリンとカラスは自らの内なる力を絞り出しキリストの御力を借りて悪魔との対決に何度も挑むのです。

    この作品が描こうとしたのは、人の内なる葛藤です。
    誰もが毎日絶え間なく体験している善と悪の対決です。
    他者を害さず済むよう、自他を破壊せずに済むよう心のなかで繰り広げられる葛藤。
    太古の昔から、そして永遠に続く葛藤です。
    純真な子供の心にさえ存在するのです。

    「キリストの力がなんじを追う」
    「キリストの力がなんじを追う」
    「キリストの力がなんじを追う」

    悪魔祓いの神父達は、憑依されているモノが特に動揺する言葉があれば、儀式の手順に構わず、その言葉を何度も繰り返すそうです。
    悪の力を覆すのに、たとえ一時的でも効果があるならば、それを繰り返し使います。

    悪魔に母の幻像を見せられ信仰が揺らいだカラスを退出させ、持病の心臓病に苦しむメリンは最後の闘いに挑みます。
    メリンは心からリーガンを愛し、悪魔を憎みます。
    一方、カラスはクリスから「娘は死んでしまうの?」と質問され、再び闘志を取り戻します。

    カラスが戻るとメリンは息絶えていました。
    カラスはリーガンに馬乗りになり殴りつけます。
    悪魔に、リーガンから去り自分に移れと言います。
    そして一瞬憑依を許しますが、自力で正気を戻し、悪魔もろとも自ら命を絶ちました。

    この作品は、善が悪に打ち勝つ物語です。

    クリスとリーガンは町を去り、もとの生活に戻ります。

    クリス達が去った後にキンダーマン警部が家を訪れ、カラスの親友ダイアー神父と会います。
    警部は罪を問う気はありませんでした。
    そしてカラス神父の魂を忘れまいとして、信仰の魂、悪に打ち勝った善の魂を絶やさぬように、キンダーマンとダイアーはカラスの話題を語り、カラスの魂を永遠のものとします。
    クリス、リーガン、キンダーマン、ダイアー、一人一人の中に、カラスは生きているのです。




    「エクソシスト The Exorcist」(1973、アメリカ)

    監督:ウィリアム・フリードキン
    脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッティ
    原作:ウィリアム・ピーター・ブラッディ
    製作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ
    製作総指揮:ノエル・マーシャル
    音楽:マイク・オールドフィールド、ジャック・ニッチェ
    テーマ曲:マイク・オールドフィールド「チューブラー・ベルズ」
    撮影:オーウェン・ロイズマン
    特殊メイク:ディック・スミス
    特殊効果:マルセル・ヴェルコテレ
    タイトル・デザイン:ダン・ペリ
    編集:ノーマン・ガイ、エヴァン・A・ロットマン、バド・S・スミス
    製作会社:ホヤ・プロダクションズ
    配給:ワーナー・ブラザース
    出演:
    クリスの娘リーガン・マクニール:リンダ・ブレア
    女優クリス・マクニール:エレン・バースティン
    デミアン・カラス神父:ジェイソン・ミラー
    ランカスター・メリン神父:マックス・フォン・シドー
    キンダーマン警部:リー・J・コッブ
    ジョセフ・“ジョー”・ダイアー神父:ウィリアム・オマリー
    シャロン・スペンサー:キティ・ウィン
    映画監督バーク・デニングズ:ジャック・マッゴーラン
    サミュエル・クライン医師:バートン・ヘイマン
    カール:ルドルフ・シュンドラー
    ウィリー :ジーナ・ペトルーシュカ
    タニー医師:ロバート・シモンズ
    チャック :ロン・フェーバー
    メアリー・カラス:バシリキ・マリアロス
    悪魔の声:マーセデス・マッケンブリッジ
    粗筋:
    イラク北部で古代遺跡の発掘調査に参加していたランカスター・メリン神父は、悪霊パズズの像を発見する。彼は「この邪悪な宿敵と再び対峙する日が近い」と予感する。

    女優のクリス・マクニールは体制側と対峙する若者を描いた学園映画撮影のためにワシントン近郊のジョージタウンに家を借り、一人娘のリーガンと幸せに暮らしている。

    同じくジョージタウンに住むデミアン・カラス神父は時おりニューヨークに住む母親のもとを訪れている。ギリシャからの移民である母親は小さなアパートで日がなラジオのギリシャ音楽を聴いて過ごしている。

    カラス神父は貧しく孤独な暮らしをしている母に申し訳なさを感じる。プラグマティストの精神科医であるカラスは身体を鍛える一方で、神父の仕事に自信を持てずにいる。やがて母は体調が悪化して入院する。設備の整った私立病院に移したいと思ってもその費用がない。病院に押し込められたと嘆いたまま母は死に、カラスは更に自分を責める。

    クリスの家では屋根裏から不気味な音が聞こえるようになるが原因がわからない。やがてリーガンの行動に異変が現れる。ベッドが激しく揺れだし、リーガンの部屋だけが異常に寒いなど謎の現象も起こるようになる。又、近くの教会ではマリア像を冒涜する事件が起きた。

    リーガンは病院でさまざまな検査を受ける。検査機器を付けられ血液を抜かれ、酷な体験をするがそれでも異常を見つけることは出来ない。臨床検査でリーガンはカウンセリングをする精神科医に暴力を振い罵り始めるが、その声は少女のものではなかった。

    マクニール家の周辺では更に異変が起き、クリスの友人である映画監督のバーク・デニングズが階段で転落し、首が180度ねじ曲げられた状態で死ぬ。現場はマクニール家の裏手に位置していた。事件を捜査するキンダーマン警部補は、怪死事件と教会の冒涜事件の関連を調べるためにカラスに会う。

    リーガンに対する治療方法が見つからない病院の医師のひとりがクリスに対して、荒療治のひとつとして〈悪魔払い〉を提案する。患者が「自分は悪魔に取り憑かれた」と信じている場合、それによって心が平静を取り戻すこともあるというのがその理由だった。

    リーガンの異常はますますエスカレートし、十字架で自慰行為をし、止めに入ったクリスを殴りつけると、首を180度後ろに向け、デニングズの声を使って嘲笑った。

    リーガンが悪魔に憑りつかれたと確信したクリスは、カラスに悪魔払いを依頼する。当初は悪魔憑きに否定的なカラスであったが、何度もクリスの家を訪れてリーガンの異常な姿を目にする。だがカラスの心を揺さぶったのは醜悪な姿になった少女の皮膚に浮かび上がる、助けて欲しいとのメッセージだった。彼は悪魔払いの儀式を行うことを決意し、大司教に許可を求める。儀式の責任者には悪魔払いの経験のあるメリンが選ばれた。

    霧の立ちこめる夜、クリス宅を訪れたメリンはカラスを従えてリーガンから悪魔を取り払う儀式に臨む。二人の神父は祈りの声を少女に掛け続け、悪魔も、また抗い神父たちの動揺を誘い緊張が続く。リーガンが苦しむ様子にカラスは心を痛めるが、メリンは「悪魔は我々に人間が救うべき存在ではないと思わせようとしている」のであり最後まで諦めないように励ます。

    しかし、戦いの途中でメリンは持病の心臓病の発作を起こして急死してしまう。一人残されたカラスはほくそ笑むリーガンを殴りつけ、悪魔を自分の身体に乗り移らせた上で窓から飛び降り、命と引き換えに悪魔をリーガンから引き離すのだった。

  • もう何年前かも忘れたくらい昔に見たことあったのですが、取り憑かれたシーンしか印象に残ってませんでした。今回もう一度見てみて本当に印象が変わりました。よくあるただホラーなかんじじゃなくて卓越した演出はもちろんのこと、きちんとストーリーと心があります。1974年の作品とは思えない、やはり名作なんだなぁと思いました。

  • 撮影現場では火災が起こり、リーガン役の子役が殺害予告され、映画関係者が立て続けに亡くなって「本当に」悪魔祓いをしたなど、なにかと作品以外の面でもオカルティックな『THE EXORCIST』は、知らない人は居ない、ホラー映画の金字塔的作品です。上映禁止となった国も多く、ある国の映画館では嘔吐用の袋が配られたとか。とにかくめちゃくちゃ怖くてやばい映画…らしいです。

    でも実際観てみると、先入観よりかは怖くなく、むしろリーガンの豹変ぶりと、ちょっと大仰な、だからこそ味のある母や周囲の人々の演技に惹き込まれる作品でした。有名な音楽に有名なシーンばかりで、「あっ、これかあ」と感動したりもしました。
    意外と怖くない、とは言いましたが、恐らく日本人の感覚ではそうであると言うだけで、作品の重要なテーマは悪魔祓い。その中には悪魔はもちろん、キリスト教カトリック、黒ミサなど、様々な宗教的モチーフが当たり前ですが散りばめられています。その方面の怖さが、どこかこの作品をホラー映画の域に留めさせない恐怖として上手く機能して、悪魔の像を恐ろしく形成していると思いました。終わり方もしっくりくる感じではなく、「そこで終わっちゃうの!?」となにやら不穏な感じでしたが、全体を通してみると1970年代に作られた映画だとは思えないくらいに上手くできたカタルシスだとも思いました。

  • 緑のゲロ、回転する頭、浮遊するベッド、キリストにファックさせろ。

  • あの有名なテーマ曲。
    少女の首が逆回りする演出。
    後半のエクソシストと悪霊の戦い。

    名シーンの数々。
    後味の悪いラストも印象的。

  •  1973年公開のアメリカの映画。ホラー映画の金字塔としてあまりにも有名だが、「怖くない」という感想が意外と多いように、血みどろのスプラッターなどではないので、今の人には恐怖描写に物足りなさを感じる向きがあるのも理解はできる。とは言え、実在のカトリック修道会「イエズス会」の「悪魔祓い」という題材や、少女がグロテスクに変貌していく姿の描写は今もってやはり強烈。ローティーンの女の子にこれほど「性的」な芝居をさせるのも現在では困難であろう。解釈次第によっては、すべてをオカルトに帰す表面上のストーリーとは全く別の「真相」が成立するあたりに、この作品の「本当の怖さ」がある。

  • めっちゃくちゃおもしろい。こんなおもしろいなんて!古さを全く感じない。

  • かの少女ブリッジシーンは有名になりすぎたせいか、そこよりも悪霊に立ち向かう神父2人が最後には死闘の末2人とも死亡したのが衝撃だった。

  • 「ジャパニーズ・ホラー」というジャンルが確立してしまった今となっては、邦画の方がよっぽど恐い、なんていう感想もあるかもしれない。

    でも、ホラー・オカルト映画の先駆け作品として、この作品はいつまでも名作として君臨するはず。

    CMで話題となった、リーガンが階段をブリッジして降りてくるシーンとか、ポルターガイスト現象や、メリン神父とカラス神父が悪霊と対峙するシーンは、全体から見ると、割合少ない。

    そういった視覚的な恐怖よりも、カラス神父の苦悩や日常、シングルマザーであるリーガン母の苦悩を丁寧に描写することで、悪霊の邪悪さや悍ましさが際立ち、より一層の恐怖を与える。

    こういう作品を見る度に、キリスト教について知識があって良かったな、と思う。

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