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- / ISBN・EAN: 4988707542299
感想・レビュー・書評
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小学校の同級生だった女性の訃報を聞いた登場人物たちは、お葬式に出席するため海辺の町に帰省する。集まった人たちの断片的な記憶からその女性(少女)のことを思い出そうとするのだが、浮かび上がってくるのは決して幸せと言えるような姿ではなかった。
僕が大学2年生の時に公開され、新宿の映画館まで2度見に行ったほど好きな作品。麻生久美子さんを初めて知った作品でもある。進学で上京し(横浜だけど)遠くから熊本で過ごした時間を想うようになった時、子どもの頃に住んでいた水俣のことをよく思い出した。海辺の小学校に2年生まで通った僕自身の記憶とも重なる作品である。
現実と幻想、現実と記憶が交差する映画が好きなのだが、この作品もその一つだ。物語の後半、亡くなったはずの同級生が主人公の男性のもとに現れる。海難事故で遺体が見つかっていない状況設定により、現実とも幻想とも言い切れない、見る人に想像の余地を残すシーンとなっている。小学生の時「ボールが汚れるからドッジボールで(ボールを)当てなかった」と言われた女の子は、転校する時、そう言った男の子にひまわりの種をあげた。その種から咲いたたくさんのひまわりを見て、亡くなった女性の中でずっと生きていた少女は、ようやく微笑むことができただろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
みんな忘れてたのに、みんなが朋美のことを思い出し、語り、
死ぬってことは、みんなの中にその人が生き返ることでもあるんだなって思った
死んだら思いっきりみんなの中に生き返りたい -
今観ると、中々豪華な面子。
とは言え、15年以上前なのでとにかく皆若いの一言。
小学校の時の同級生だった女、真鍋朋美が死んだ。
その葬式で再び集まった同級生たち、そして朋美を知る男たち。
それぞれ、思い出を語っていくのだが、
結局のところ、誰も朋美のことをわかっていなかった。
という様な流れなのだが、どうもしっくりこないことも。
結局作られた記憶なのか、実際の記憶だったのか、
それは実際にはそこまで重要な物ではない。
ただ、彼女がそこで生きていたという事実が重要なわけで。
う~ん、どこか消化不良のまま終わった映画だった。 -
どこにいても、誰といても、陽の当たる場所を探している。
確か麻生久美子が見たくて見た映画だけどさっぱり思い出せない。
初恋の人が死んで、久しぶりに同級生が集まってその子との思いでを思い出す的な。 -
紺野輝明(袴田吉彦)は、海沿いにある故郷を離れて、東京で暮らしていた。そして今日も、同棲中の恋人、由香里(河村彩)と些細なことで喧嘩をしていた。テレビでは海難事故のニュース。そこで輝明は、小学校のクラスメイトだった真鍋朋美が(麻生久美子)行方不明になったことを知る。しかも、数日前の留守中に、彼女から電話があったと由香里が言う。輝明は戸惑いながらも葬式に出席するため故郷に戻った…。
麻生久美子の演技が素晴らしく、得体の知れない存在感や孤独感が出ていました。
海難事故で亡くなった真鍋朋美の過去が、彼女の葬式に集った人々の回想によって明らかにされていく過程は惹き込まれましたが、この映画は輝明が少しづつ初恋のエピソードを思い出していくことに主幹が置かれている為、途切れ途切れのエピソードを全て繋ぎ合わせても朋美の実像が明らかになりません。個人的に期待していた展開とは異なり残念に思いました。
また、コミカルな演出は緩急をつける狙いだったのか、笑いを取るべきでないシーンにまであざとい笑いを狙うなど、個人的には邪魔に感じる演出でした。 -
2014/3/2
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小学生時代の友達を思い出しました。
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かなしいけれど温かい。
誰の記憶のなかにも眠っている初恋の郷愁
うまくは言えないけどいろんなひとに勧めたい作品。