ピアニスト [DVD]

監督 : ミヒャエル・ハネケ 
出演 : イザベル・ユペール  ブノワ・マジメル  アニー・ジラルド 
  • アミューズ・ビデオ
3.53
  • (34)
  • (27)
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本棚登録 : 220
感想 : 53
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4527427651975

感想・レビュー・書評

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  • DVD

    自分の胸にナイフを突き刺すエリカ!

    エリカはアラフォー。健康で安定した職があるにも関わらず、今だに母親の監視下で暮らしている。恋愛の経験も無いエリカの前に、突然彼女を好きだと言う若い男(※)が現れた。
    ここまでの設定(とDVDジャケット)を見ると「きょうは会社休みます」的な胸キュンラブストーリーを想像するが、同時に私はジャケットを隅々まで眺めて、監督がハネケである点にまで目をとめなくてはならなかった。
    私は久々に親子でほっこりした時間を過ごそうと、この映画を実家のリビングで父親と一緒に観てしまったのだ。完全な選択ミス…。

    エリカの禍々しい程の子供らしさは成熟され、大きなエネルギーを持って溜め込まれている。どこまでも続く胸焼けシーンが、全てその子供らしさ(をこじらせて出来たエゴの塊)を起点に出来ていると思うと恐ろしい。性への異常な好奇心のみならず、他人への一方的な態度、母親を疎むような行動は、反抗期の子どもそのものだ。極めつけは女生徒への行動。ステージで予想以上の演奏を聴いたエリカは、演奏会前の女生徒の手(ピアニストの命)を傷付ける。彼女の才能が自分を超えることを恐れたのだ。

    エリカはシューベルトの専門家だった。女生徒の演奏曲も、シューベルトの歌曲の伴奏。どうしてシューベルトだったのだろう?
    シューベルトと言えば小汚い装いで、葉巻中毒、アル中、水銀中毒、そして梅毒の末夭逝した作曲家。しかし恋愛の経験は少なく、自分の容姿を憎みながら叶わぬ恋を嘆いたのだろうか。
    恋の曲の傑作といえば幻想曲D940。強い恋心を抱いた教え子のカロリーネ(ロリコン?)に献呈された。全体に漂う深い哀愁、クルクル回るカラフルなスカートみたいな中間部、そして終盤のフーガ。
    この曲は死の年に書かれたが、同じく晩年に書かれた曲には深い哀惜を感じる傑作が多い。ピアノソナタ第21番の寡黙な美しさは、言葉では言い表すことができない。

    シューベルトは、自己を表現することが苦手な人物だった。
    エリカも自分の想いを伝えることが上手く出来ず、その恋心は歪曲した形で放出されてしまう。
    シューベルトとエリカの共通点は、音楽を通してしか、率直な気持ちを伝えられなかった所かもしれない。
    ワルターも、エリカのシューベルトを聴いてエリカに夢中になった。

    演奏会直前、エリカは会場から去り、突然自分の胸にナイフを突き刺す。この瞬間エリカは死に、エゴから解放されて母親から自立したのだ。
    結局シューベルトは演奏されなかった。そしてこれからも、エリカがシューベルトを演奏することは無いだろう。



    メモ:シューベルトシューベルト言ってるけど、一番印象的だったのはバッハの2台のコンツェルト(BWV1061-3)だった。

  • 先日不快映画ファニーゲームを再視聴してからハネケ監督をさらに考察する為に、近所には置いていなかったので少し遠出してハネケ作品を何本か探して借りて来ました。ピアニストはファニーゲームから4年後の作品。この監督と先に知ってから観てよかった。知らなければ誰かときれいなロマンス映画として観たかもしれないようなタイトルです。観始めてすぐに下品さに唖然としました。視聴中、この映画につけたい邦題が浮かびました「ピアニスト 高齢処女 色情レッスン白昼妄想」。にっかつのロマンポルノのタイトルのようです。とはいっても私はロマンポルノをほとんどみたことがなく1、2本くらいしか知りません。イメージとしてはストーリーのある長編のピンク映画というものです。タイトルに特徴があり成人指定で場末のいかがわしいピンク映画館で放映しているような一般的ではない成人映画です。映画監督が若く食えない時代にピンク(ポルノ)映画を撮るということはあるようですが、その存在はアダルトビデオの前身というようなものです。そんなタイトルをつけたくなるほどの描写があるといえば若い方にはわからないかもしれないが年配の方には理解していただけると思う。ドラマはクラシック・ピアノのレッスンで格調高く感じるが性描写が激しすぎてとてもお茶の間では観られる内容ではないです。カップルでも厳しいと思う。この映画には原作がありノーベル文学賞を受賞している女性作家のエルフリーデ・イェリネクが書いたものです。どうやら本国でも保守の人からポルノ作家などと批判されているようです。本人がウィーン市立音楽院に通っていることやウィーン大学に通っていたことから、経験による自伝的要素もあるのかもしれない。親はカトリックで本人は共産党員のようです。原作があるということでハネケがどこまで独自解釈をしているのかは私には判断できません。しかし取り上げている題材が視聴者の眉をひそめさせるような内容であるということは共通している。ゴールデンタイムのTVドラマでは放送できないような伏せられるような暴力や性描写を描く映画作品が多いのだろうかと思います。この映画を観て感じたのですが、どうやら私が違和感を覚える描写というのは女性側から見た男性描写のようです。同じように共感できなかった例としては先日視聴した「愛の嵐」。リリアーナ・カヴァーニという女性が原作脚本を書いたものです。この女性視点というものが私が違和感を覚え受け入れ難い作品要素になっているようです。実際作品を支持しているのは女性が多いようです。もちろんこの作品での青年の無邪気さなどの描写は実によく表現されていいたりしますが(私がそうであるということではない)、感覚的に受け入れ難い違和感のあるシーンが多いのです。それはやはり女性作家側からの受け止め方だからではないかと思うのです。そう思いながら不快なリアリズムを提供するハネケの術中にまんまと嵌っているわけです。暴力、性、嫉妬、狂気、醜い性癖。観るのに精神力が要りますね。ラストのナイフを突き立てる時のエリカの表情は“ホラー史上”に残る素晴らしい表情だと思いました。不快だと思いながらも星4つです。赤を恐れた人たちの気持ちがなんとなくわかったような気がします。気がするだけです。ハネケ映画を数本観てからしばらく呆けています。

  • 彼女もだけど、彼もわたしもとても傷ついた。彼は若さで忘れられる。でも、ラストの彼女のあの表情を観てしまったわたしは忘れることなどできない。

  • 前回ハネケの作品を観たのは『ファニーゲーム』だが、あまりの不愉快さ、描かれる肉体的精神的痛みの強烈さに最後まで観れなかった。本作もいったいどんなに不愉快な映画だろうかと恐怖しながら観たが、そこまで強烈ではなかったので助かった(身体的痛みがあまりなくて助かった!)。とはいえ、さすがハネケ作品だけあって、うかつな気持ちで観ると立ち直れなくなるくらい重く痛々しい映画だった。

    エリカの満たされない人生を象徴するかのように、母親とかなりキツめのケンカシーンから物語ははじまるが、彼女にとってすべてであろうピアノに関する描写もかなり辛いものがある。エリカはピアノ教師をしているが、教え子に対して非常に厳しい。まだ若い教え子にたいした才能もないし生涯をかけてもせいぜい三流にしかなれないからピアノなんて辞めてしまえと厳しい言葉を投げかけたりもする。しかし、これはまさしくピアニストとして成功できなかった自分自身に対する言葉であって、いっさい感情を表情に表さない彼女を見ていると、どれほどの失望や閉塞感から自分を守りながら生きてきたかと想像するだけでも苦しくなる。

    そんな彼女も若い美男子に見染められちょっとは報われるかと思いきや、そんな甘い展開にならないのがハネケらしい。彼女が閉ざした心のなかで長い年月をかけて育ててきたものは、他人が受け止めるにはあまりにも強烈に歪みすぎていた(しかも伝え方が不味すぎる!)。

    積極的にアプローチをしてくるワルターに対するあまりに冷たく強圧的な対応に、はじめは恋愛の駆け引きをしているのかと思ったが、単に恋愛経験がないだったとわかったときの悲しさと言ったらなかった。直球しか投げられないエリカが、妄想のすべてを必死で書き綴ったであろう手紙が、ワルターによって読み上げられるシーンの凄まじさと言ったらない。あれは本物からしか出てこない言葉だ。

    ワルターに対してしようとしていたことを、エリカが自分にしたところで映画は終わる。きっと彼女は自分自身が許せなかったのではないだろうか。才能も知性もあるだけに自分がどうしてもできないことを、まわりの人達があまりに簡単にこなしているのを見ることはとてもとても辛いことだろうと思う。人としてどうかと思うが、教え子にあんなことしたのもわからなくない。

    彼女が向かっていった先に、少しでもその痛みを和らげるものがあればなぁと願わずにはいられない(きっとないだろうが)。

  • おおおおお。久しぶりに「お、お、おもしろいものを観た!!」といった感じ。
    ハネケは知的指数が最高レベル。
    ちょっとずつひもといてかないといけない。分析だけで論文何本もかけそう。

    母からの抑圧(規律)、愛情表現、性的趣向、男・女がキーワード。フロイトなどの精神医学の分析が下地にあるのだと思う。特に母親との関係というのが性愛・異性への愛情へに影響を及ぼしているというのが非常にフロイト的。

    『白いリボン』でもそうだったが、ハネケの中で「規律」「権威」「自由」というのは大きなテーマなのであろう。ドイツ出身、ウィーン育ちという事実を聞くと納得がいく。

     主人公のエリカほどではないが、正直のところ私も母親とこの親子関係に似たものに発展してしまったことがある。だからか、マゾ的性的趣向はよくわからないが、激しいののしりあいの後に母親を求める姿は共感する。心の中に規律が埋め込まれているのだ。その規律と自由の板挟みの状況に、母親への愛とそれに反することで母親から愛情を得られなくなることの恐怖(と表現するのが適切かわからないが)が深くまとわりついているため非常にややこしい。(私は上手いこと脱せたが)
    まあ、この映画は主人公の中の男性性の話もあるのだけれど。(というかそっちメイン?)
    だから男性との行為の後に吐いたりするのは規律が埋め込まれてる身体による拒否とか、自分の中の男性性による拒否なのだと私は思う。

    「先生、演奏楽しみにしています」。残酷な響き。だが、最後のシーンは規律からの決別を表しているのだろう。見ていて少し自分の胸が軽くなったのを感じた。

    (つぶやき)
    カミソリで太もも(か性器)を傷つけるシーン、主人公が行為のあと吐くシーン、そして最後のシーンは非常に分析しがいのあるシーンなのだろうが、私の知能レベルだとまだ納得する答えが出せない。こういう映画こそ他者との会話を必要とすると思う。だが、観てる人がなかなか周りにいないのが辛い。

    (つぶやき2)
    ハネケの『白いリボン』の日本語訳監修を行っていた人が大学に教授としていて、映画の解説を受けたことがある。神学の教授で「キリスト教史」という授業名でドイツ史を神学の観点から見ていくのだが非常に面白かった。ハネケへの興味も倍増した。教授とはその授業でしか交流はなかったが、ユーモアがあって語り口も私は大好きだった。この映画の感想も聞いてみたいと思ったが今はどこにいるのだろう。

  • 普通のハッピーエンドのラブストーリーかと思って見ていたのですが、裏切られました。悪い意味で。
    待ち受けていたものとまったく違っていたので衝撃でしたが、それを差し引いても記憶に残る映画ですが、是非見てください! とは言いにくい作品です。
    あの演奏会場=エリカを縛っていたものだったのかな。
    最後扉を三つ開けて出て行くとき、一つはピアノ、一つは母親、一つは男から抜け出したように思える。
    ピアニストという題名だけあって、ピアノをたくさん演奏してます。たくさん音楽が流れるのに、ラストでは何も音楽が無いっていうのが凄いいい。ここでピアノでも流れてもしんみりするけど、無音はズドン、ときました。
    一番覚えているのはエリカの見せたあの歪んだ表情。一瞬のあの顔に鳥肌が立ちました。

  • 厳しい親の抑圧によって、ピアノだけに打ち込み、他者とのコミュニケーションが取れず、感情は全て一方方向。。
    年をとってもAVレベルの想像力しかない。。
    分かりやす過ぎるんだよなぁ。
    まるで、作中のエリカの言う、作曲者の意図を解釈できず、ただ自分の特徴の中で弾くことしかできない、ダメなピアニストみたいに。
    ひどく構造的で、それだけ。

  • 多くの女の子に恐怖を教える存在第一位は母親で、第二位はピアノの先生じゃないかと思いながら見ていた。
    ピアノの先生、とはまあ確かにピアノを教えるので先生は先生なのだけど、プロにはちょっとチャンスや腕が足らなかったピアニストがなることも多いので、ピアノの技術でなく精神面では自分の面倒も見切れていなかったりして、子供に苛立ちをぶつけたりする。
    また、グループならまだしも、マンツーマンだと狭い部屋で二人きりだし。
    ただ、ピアノの先生については、子供もやがてピアノを教えられることと善悪の区別がついていることは別だと踏ん切りもつき、自分が悪かったわけではないと思えるのだけど、母親は複雑だ。
    母親は母親になれようがなれまいが母親なので、ピアノが弾けるだけよ、先生じゃないわ、という具合に、ただの女で母親ではないとは言えない。
    決別し切ることは出来ないのだ。

    なんて思いながら見ていたのは、この映画に色々な意味が込められている風なので、何とか読み解かなくちゃと懸命になったからだ。
    でも途中からもう、うわぁ…という内心の呻きしか出なくなって、考えることを放棄した。
    私、入り込まないと考えられないのだもの。
    自己中だからね。
    でもこの映画、誰一人入り込みたくなる人物がいないのだもの。
    一言で言えば、不快。
    ただ、嫌いかと言うとそうでもない。
    デフォルメしてはいるけれど、全く思い当たらない醜悪さでもないのだ。
    この不快なものの幾ばくかを、多分私は内に飼っている。

    音楽は大変美しかった。

  • わお

  • 一筋縄ではいかぬかなりの問題作。何かひとつのためにすべてを犠牲にして不幸になるなら、そんなひとつのものなんて要らないから平凡すぎるけどそこそこ幸せの方があなたの場合は良かったよね、と観終わって思う。「不幸にもピアニストになった」というのが正しい表現ではないか。

    この人がもっている重いものにのせられたシューベルトの楽曲たち。何だろうなあ。リンクするようでいてしてほしくないようなこの重みといったらない。

    そのナイフで本当に刺したかったのは、自分自身の欠陥とも言える多くをはらんだ傷だったのだろうと思う。でも傷はあまりに深いものだからナイフ一突きでは消えてはくれない。なんという苦々しさ。無音でクレジットが流れる中、映画館で観てたら放心状態で立てなかっただろうと想像した。恐ろしくて生々しくてあまりにほんとうで、もう観たくはない。これは褒め言葉。

    (20131127)

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