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- / ISBN・EAN: 4527427651975
感想・レビュー・書評
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彼女もだけど、彼もわたしもとても傷ついた。彼は若さで忘れられる。でも、ラストの彼女のあの表情を観てしまったわたしは忘れることなどできない。
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前回ハネケの作品を観たのは『ファニーゲーム』だが、あまりの不愉快さ、描かれる肉体的精神的痛みの強烈さに最後まで観れなかった。本作もいったいどんなに不愉快な映画だろうかと恐怖しながら観たが、そこまで強烈ではなかったので助かった(身体的痛みがあまりなくて助かった!)。とはいえ、さすがハネケ作品だけあって、うかつな気持ちで観ると立ち直れなくなるくらい重く痛々しい映画だった。
エリカの満たされない人生を象徴するかのように、母親とかなりキツめのケンカシーンから物語ははじまるが、彼女にとってすべてであろうピアノに関する描写もかなり辛いものがある。エリカはピアノ教師をしているが、教え子に対して非常に厳しい。まだ若い教え子にたいした才能もないし生涯をかけてもせいぜい三流にしかなれないからピアノなんて辞めてしまえと厳しい言葉を投げかけたりもする。しかし、これはまさしくピアニストとして成功できなかった自分自身に対する言葉であって、いっさい感情を表情に表さない彼女を見ていると、どれほどの失望や閉塞感から自分を守りながら生きてきたかと想像するだけでも苦しくなる。
そんな彼女も若い美男子に見染められちょっとは報われるかと思いきや、そんな甘い展開にならないのがハネケらしい。彼女が閉ざした心のなかで長い年月をかけて育ててきたものは、他人が受け止めるにはあまりにも強烈に歪みすぎていた(しかも伝え方が不味すぎる!)。
積極的にアプローチをしてくるワルターに対するあまりに冷たく強圧的な対応に、はじめは恋愛の駆け引きをしているのかと思ったが、単に恋愛経験がないだったとわかったときの悲しさと言ったらなかった。直球しか投げられないエリカが、妄想のすべてを必死で書き綴ったであろう手紙が、ワルターによって読み上げられるシーンの凄まじさと言ったらない。あれは本物からしか出てこない言葉だ。
ワルターに対してしようとしていたことを、エリカが自分にしたところで映画は終わる。きっと彼女は自分自身が許せなかったのではないだろうか。才能も知性もあるだけに自分がどうしてもできないことを、まわりの人達があまりに簡単にこなしているのを見ることはとてもとても辛いことだろうと思う。人としてどうかと思うが、教え子にあんなことしたのもわからなくない。
彼女が向かっていった先に、少しでもその痛みを和らげるものがあればなぁと願わずにはいられない(きっとないだろうが)。 -
厳しい親の抑圧によって、ピアノだけに打ち込み、他者とのコミュニケーションが取れず、感情は全て一方方向。。
年をとってもAVレベルの想像力しかない。。
分かりやす過ぎるんだよなぁ。
まるで、作中のエリカの言う、作曲者の意図を解釈できず、ただ自分の特徴の中で弾くことしかできない、ダメなピアニストみたいに。
ひどく構造的で、それだけ。 -
多くの女の子に恐怖を教える存在第一位は母親で、第二位はピアノの先生じゃないかと思いながら見ていた。
ピアノの先生、とはまあ確かにピアノを教えるので先生は先生なのだけど、プロにはちょっとチャンスや腕が足らなかったピアニストがなることも多いので、ピアノの技術でなく精神面では自分の面倒も見切れていなかったりして、子供に苛立ちをぶつけたりする。
また、グループならまだしも、マンツーマンだと狭い部屋で二人きりだし。
ただ、ピアノの先生については、子供もやがてピアノを教えられることと善悪の区別がついていることは別だと踏ん切りもつき、自分が悪かったわけではないと思えるのだけど、母親は複雑だ。
母親は母親になれようがなれまいが母親なので、ピアノが弾けるだけよ、先生じゃないわ、という具合に、ただの女で母親ではないとは言えない。
決別し切ることは出来ないのだ。
なんて思いながら見ていたのは、この映画に色々な意味が込められている風なので、何とか読み解かなくちゃと懸命になったからだ。
でも途中からもう、うわぁ…という内心の呻きしか出なくなって、考えることを放棄した。
私、入り込まないと考えられないのだもの。
自己中だからね。
でもこの映画、誰一人入り込みたくなる人物がいないのだもの。
一言で言えば、不快。
ただ、嫌いかと言うとそうでもない。
デフォルメしてはいるけれど、全く思い当たらない醜悪さでもないのだ。
この不快なものの幾ばくかを、多分私は内に飼っている。
音楽は大変美しかった。 -
わお
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一筋縄ではいかぬかなりの問題作。何かひとつのためにすべてを犠牲にして不幸になるなら、そんなひとつのものなんて要らないから平凡すぎるけどそこそこ幸せの方があなたの場合は良かったよね、と観終わって思う。「不幸にもピアニストになった」というのが正しい表現ではないか。
この人がもっている重いものにのせられたシューベルトの楽曲たち。何だろうなあ。リンクするようでいてしてほしくないようなこの重みといったらない。
そのナイフで本当に刺したかったのは、自分自身の欠陥とも言える多くをはらんだ傷だったのだろうと思う。でも傷はあまりに深いものだからナイフ一突きでは消えてはくれない。なんという苦々しさ。無音でクレジットが流れる中、映画館で観てたら放心状態で立てなかっただろうと想像した。恐ろしくて生々しくてあまりにほんとうで、もう観たくはない。これは褒め言葉。
(20131127)