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- / ISBN・EAN: 4900950900305
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『戦場のピアニスト』[The Pianist](2002)フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作
“1939年9月、ナチス・ドイツのポーランド侵攻が始まった。ラジオ局専属のピアニストウワディスワフ・シュピルマンは、ユダヤ系ポーランド人だった。
ポーランド敗戦後、ワルシャワはドイツ軍の手を離れ親衛隊と武装警察の管轄化に置かれたことから、ユダヤ人の生活は一変した。
まずユダヤ人は家族ごとに保有できるお金の額が制限され、やがて青いダビデの星が印刷された腕章をつけることが義務付けられた。
1940年後半にはユダヤ人たちはワルシャワのゲットー地区に押し込められることになり、シュピルマン一家も例外ではなく、40年住み慣れた我が家を後にせざるを得なくなった。
ゲットー内にはユダヤ人ゲットー警察の警察署が設置され、署長のヘラーはシュピルマン一家に少しでもましな生活ができるようにとの配慮からシュピルマンに警察で勤務するように持ちかけるが、シュピルマンはその申し出を断りヘラーを激怒させてしまう。
しかし、シュピルマンの弟が警察に逮捕された時、ヘラーはシュピルマンの懇願を受け特別に釈放させる。やがて労働証明書を持っていないと強制収容所に送られるとの噂が広まり、シュピルマンは家族の分の証明書を手に入れようと奔走する。
ある日、親衛隊の命令により、シュピルマンとその家族はその他多くのユダヤ人と共に財産を取り上げられて戸外に集められる。労働証明書の有無に関係なく、収容所に移送されることになったのだ。
ユダヤ人たちは駅近くの広場に集められ移送を待つ中、最期を悟ったシュピルマンの父は、全財産をはたいて少年からキャラメル一個を買い家族で分け合う。ほどなく彼らは収容所行きの家畜用列車に乗せられるが、シュピルマンだけは警備に当たっていたヘラーの機転で救われその場を逃れる。
家族らと引き離されたシュピルマンは、ゲットー内での強制労働に従事することを余儀なくされる。ここでシュピルマンは、ドイツがユダヤ人抹殺を計画しているらしいこと、そして生き残ったユダヤ人たちが蜂起の準備をしていることを知る。建設労働をさせられていたシュピルマンは過酷な強制労働に耐え切れずに倒れてしまうが、仲間の配慮で倉庫番や食料調達の仕事に換わる。
シュピルマンは蜂起への協力を志願し、ゲットーへの武器の持ち込みを手伝う。食料調達のため街に出かけた時に市場で知人女性ヤニナを見かけ、彼女を頼ってゲットーの外に脱出することを決意する。
ゲットーを脱出したシュピルマンは、ヤニナとその夫アンジェイが加わる反ナチス地下活動組織に匿われて、ゲットーのすぐそばの建物の一室に隠れ住むようになる。ほどなくユダヤ人たちの“ワルシャワ・ゲットー蜂起”が起こる…”
ナチス占領下のポーランドを生き抜いた、実在のユダヤ人ピアニストを描いたドラマ。監督・製作は、ロマン・ポランスキー。“ポーランド人の血を引く自分が、撮るべき映画”と言わしめたほど撮影への意気込みは高かかったこともあり、いい作品にしあがりアカデミー賞 監督賞・主演男優賞・脚色賞の3部門受賞となったものの、本人が司法
取引により法定強姦の有罪の判決を受けた保釈期間中にアメリカを出国、ヨーロッパへ逃亡したこのため、アカデミー賞の授賞式には出席できなかったという皮肉なことに。
“ワルシャワ・ゲットー蜂起”を簡単にまとめておくと、
第二次世界大戦がはじまり、東ヨーロッパの諸国がドイツ軍に占領されると、それらの都市で暮らすユダヤ人たちは強制居住区域“ゲットー”に隔離されるようになった。
1942年から1943年にかけてナチス親衛隊(SS)は「ラインハルト作戦」を開始し、ゲットーのユダヤ人たちを続々と“絶滅収容所”に移送するようになった。
ワルシャワ・ゲットーでも過酷な移送作戦が行われ、数多くのユダヤ人がトレブリンカ絶滅収容所へ移送されて殺害された。
更なる移送作戦を阻止するため、モルデハイ・アニエレヴィッツ指揮下の“ユダヤ人戦闘組織”とダヴィド・アプフェルバウム指揮下の“ユダヤ人軍事同盟”が1943年4月19日から5月16日にかけてナチスに対して武装蜂起を起こした。
ユルゲン・シュトロープSS少将率いる武装SS・ドイツ秩序警察・ドイツ国防軍などから成る混成部隊によって完全に鎮圧された。
鎮圧後、ワルシャワ・ゲットーの住民ほとんどがSSによって捕えられ、トレブリンカ、マイダネク、あるいは強制労働収容所へと移送され、ワルシャワ・ゲットーは解体。
という経緯になります。この蜂起はワルシャワ・ゲットーのみの蜂起で、翌1944年にワルシャワ市内で発生する“ワルシャワ蜂起”とは別のものです。
“ワルシャワ・ゲットー蜂起”鎮圧に参加した親衛隊の兵士(実在の人物、ヨーゼフ・ブロッシュ親衛隊兵長がモデルと思われる)が所持しているのが、ハーネルMP28短機関銃。
第一次世界大戦中に、世界で初めて実戦投入された短機関銃ベルグマンMP18を、ヒューゴ・シュマイザーを中心に再設計を行いMP28として開発。MP18からの主な改良点は弾倉(マガジン)の変更で、それまでスネイル型弾倉から箱型の複列弾倉に変更し機関部横に大型の給弾口が設けられ、横から弾倉を装填する方法を採用した。銃床は木製のままで変更は無く、またMP18はフルオート射撃しか出来なかったのに対し、セミ・フルオート射撃のセレクター機構が追加。製造は1934年から主にヘーネル社で生産され、ドイツ警察に対し大量に納入している。その後MP28はその後政権を取得したナチス・ドイツの武装親衛隊での制式短機関銃となりました。
ちなみに、学生時代一ヶ月分の夏休みのバイト代を握り締め、上六にあったガンショップにベルグマンを買いに行ったものの物が無く入荷も望めないということで、三八式歩兵銃(ミロク製作所)を買ったことは、今でも懐かしい思い出です。
立て籠もったユダヤ人に業を煮やしたドイツ軍が、石畳の上をガラガラと引っ張って来た砲身のやけに短い大砲が7.5 cm leIG 18軽歩兵砲。
第一次大戦後、ドイツが最初に装備した砲であり、1927年より使用されていた。砲の機構は、砲身前部にあるピンを軸に砲尾を砲身ごと上に持ち上げ、砲尾が開放される仕組み。散弾銃をみたいな古い方式ですが、簡単にできていたため発射速度は速く、山岳兵用や降下猟兵用にもっと簡略化したタイプもあり、1945年の敗戦まで使用され続けました。
AFV関係も、チラホラ出演。しっかり・ジックリ作られた作品で、いろんな意味で一見の価値のある作品です。
最後に、シュピルマンを救ったドイツ軍将校は実在の人物で、ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉。演じているのは『スターリングラード』[Stalingrad](1993)でフォン・ヴィッツラント少尉役のトーマス・クレッチマン。『U-571』ではUボートの艦長、『ヒトラー-最期の12日間-』ではエヴァ・ブラウンの妹の夫ヘルマン・フェーゲライン親衛隊少将を演じています。