たまゆらの宴―王朝サロンの女王藤原定子 (1984年)

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感想・レビュー・書評

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  • 清少納言が仕えたことで有名な、中宮定子について書かれた本です。
    古い本なんだけど、定子の本は少ないから貴重。。
    なぜか名前を、定子(ていし)を(さだこ)、貴子(きし)を(たかこ)など、訓読み調に読ませるのはなぜ?違和感・・・
    まあそれはともかく、全体としては面白かったです。

    華やかで知的なサロンの中心人物にいる定子は、女房達の知的好奇心を伸ばし、彼女らを機知にとんだ対話のできる個性と意見を持った女性に育て上げていきます。
    その代表格が清少納言なんですが、それ以外の女房達も皆はつらつとしていて、明るくユーモアにあふれています。

    定子の才色兼備でいながら優しく愛嬌のある性格は、こうやって女房達の他、一条天皇や多くの貴族を惹きつけてゆくのですが、そのルーツについての考察が面白かったのでちょっと書いときます。

    定子の母貴子は和漢の教養や詩人の心を受け継ぐ高階家の出で、もとは天武天皇の皇子である高市皇子にはじまるそう。
    その血統が、7代目あたりで一度途切れ、養子として在原業平の息子が入っているという通説があるんですって。
    元々文芸サロンに浅からぬ結びつきがあった高階家に天才歌人の血が入ってきてたなんて、それが定子のルーツだなんてすごいな!と。
    (だから貴子も相当な才女だったそうです。)

    そして言わずと知れた定子の父は、力と富と高貴さを伝える誇り高い中関白家の道隆。
    道隆は、当時の貴族の常識にとらわれない彼独自の価値観のようなものがあって、身分だけでないところで人の真価を評価することができたっぽい人柄だそう。
    だからこそ、性別や身分の障壁を超えて自由に知的なやり取りを楽しめているのです。清少納言たちとも軽口をたたいたりしてとてもよい雰囲気ですものね、こういう中関白家って素敵だなーと思うわけです。。

    また、二人の夫婦の関係も他と比較してずっと対等に近く、知的側面をも含んだ全人間的なものであったと思われ、そんな仲の良い両親を見てそだったのが定子なのです。
    定子は、生まれるべくして生まれた、サラブレットだったのですね。。

    それなのに、道隆の死後の定子が不遇過ぎて・・・道長を恨みます。
    が、度量の狭さは道隆だって息子伊周等へのえこひいきなどにみられるし、当時としては仕方なかったんですかね。
    切ないなあ。。

    あ、あともう一つ、当時の流行り病について。
    現在コロナウイルスが猛威を振るっているので、当時の流行り病についても敏感になってしまった。
    993年には一条天皇が罹病したほど天然痘が流行り、
    同じ993年に九州地方ではしかの一種が猛威を振るい、それが次第に東上して、994年の春から夏にかけて都で猛威を振るい、貴賤の区別なく、それどころか大臣クラスまでバタバタ亡くなります。それは995年まで続いたそう。
    その後、998年にも流行り病が猛威を振るい、その時は994年に罹患した人も感染していたそうなので、多分チフスか天然痘だったそうです。
    当時の主な防疫対策は祈祷、読経、恩赦、奉納だというから、そりゃあ感染しまくりでしょうね。
    ちょっと抜粋しただけでもこれだけのウイルス感染があるという・・・
    人類は常にウイルスと闘っているんだなあ、と実感してしまいました。。

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