海に夜を重ねて (1984年)

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  • 海に夜を重ねて

    著者:若一光司
    発行:1984年1月25日
    河出書房新社
    初出:「文藝」1983年12月号(昭和58年度文藝賞)

    テレビのコメンテーターとしておなじみの著者は、もともとCM制作やコピーライターなどをしていたが、1983年に文藝賞を受賞して作家デビュー。この作品はデビュー作となる。以後、小説も出していたが、優れた歴史書を書いていて、近年はそちらが中心になっている模様。僕も歴史書は読んでいたが、小説はこれが初めて。実は、文藝賞受賞の1年前、僕も文藝賞に応募していて、一次選考通過作品のリストに若一さんの名前があった。その隣に僕の名前と作品名。同じ豊中市だった。以後、僕は小説を書いていないが、若一さんは翌年、この作品で世に出て活躍している。

    主人公はマミというストリッパー。5歳年下で、知的障害のある男性・民夫と一緒に各地のストリップ劇場を回っている。シングルマザーの家庭に生まれ、医師を目指していた優秀な弟がいたが夭逝し、母親も病気になった。母を支えるため、喫茶店勤務だけでは不足する生活費を、絵のヌードモデルをして賄った。そのうち、彫刻家を目指す男性と知り合い、恋をする。

    彼はニューヨークに行きたがっていた。そこで決断をし、ストリッパーとして稼ぐことに。渡航費用を稼いで渡し、彼が行った後も仕送りを続けた。しかし、1年の約束だったのに2年たっても帰ってこない。嫌な噂を確かめに現地に行くと、そこには女性がいた。2人は麻薬にうつつを抜かしながらセックスをする。マミも誘われ、麻薬を打たれそうになるがなんとか逃げる。

    以後、ストリッパーとして働き続け、淀川ミュージックに出ていた時に民夫と出会う。彼は投光(照明)担当の人の紹介で入った雑用係だった。知的障害につけこまれ、彼女の1ステージ出演料である2万5千円の月給でこき使われていたが、よく働いた。しかし、いろんな人からばかにされ、殴られたりした。マミは淀川ミュージックを辞めさせて、一緒にストリップ劇場回りをすることにした。

    最初は死んだ弟がわりなのか、民夫を男として見ることがなかったが、博多で別のストリッパーに股間を見ろと言われて顔を近づけたら股で締められ、苦しくなって太ももを咬んだら、そのストリッパーが激怒。マミは必死で詫びたが、みんなの変態扱いがエスカレートしていった。そのあたりから、2人は男女の関係にもなる。

    民夫はなんでもない小石をいくつも持っていて、それを真っ直ぐ並べている。意味が分からないが、彼も幼児期に辛い体験をしていて、母親が彼以外の兄弟を連れて出て行ってしまい、父親と暮らしていたが、父親からは可愛がられ、神戸の水族館に連れて行ってもらったのが一番の思い出だという。その小石並べは、水族館の思い出と関係があるのかも・・・

    大宮で、別のストリッパーの子供(5歳の女の子)が、その小石を蹴ったので民夫は怒り、彼女を蹴ってしまった。マミは激怒した。これ以来、民夫はマミとほとんどコミュニケーションを取らず、小石並べばかりをしていた。

    加賀の片山津温泉にあるストリップ劇場。あまりに石にばかり夢中になるので、マミはとうとうそれを隠してしまった。田んぼの中に投げたと嘘をついて。彼はどろだらけになって探したが、見つからなかった。そして、出て行ってしまった。行くところなんかないのに。

    みんなが気にかけている中、何日か後に電話があった。再び彼に会うことができたマミ。もう離れないと決意する。そして、民夫を抱くのではなくて、民夫に抱かれたいと思った。楽屋暮らしの2人は、その日、宿を取って過ごすことに。

  • ストリッパーと知恵遅れの青年の交流

     「少し開いた便所の窓からは糾めの日差しがまぶしくさしこんてきて、ホーロー製の汚物入れが光を一身に浴びながら、キラキラと必死に純白の輝きを返している。まるで血に汚れたナプキンや海綿を腹いっぱいに呑みこんていることを悟られまいとするかのように」
     ドサ廻りのストリッパーと知恵遅れの青年のふれあいを描いた「夜に海を重ねて」は社会の底辺を生きる主人公たちにふさわしいかのように、二日酔いと涙にまみれたマミのトイレのシーンて幕を開ける。
     にもかかわらず、みじめさや裏切りに傷つきながら、なおも純粋に生きていこうとする主人公を予感させる美しいプロローグだ。
     恋人を、彫刻の勉強にニユーヨークヘ行かせようと、ストリップの世界に入ったマミだったが、裏切られ、いつしか最初の目的を見失なったまま、しかし舞台から離れられずにいた。「ふとしたはずみてすぐに坂道を転がり落ちてしまいたくなるような、そんな習性を皮膚にしみこませて」しまいながら。 そんなマミが劇場の雑用係として働く民夫と出逢ったのは大阪の淀川ミユージックだった。マミの一日分のギャラと同じ給料で毎日休みなくこき使われている民夫に「同情以上のもの」を感じたマミはある日民夫を誘って、淀川の河川敷へ散歩に行く。
      「古さでくすんだ家々と小さな商店とが密集し合う裏町通りを過ぎ、新大阪駅に続く広い道路を横切って直進すると、そこにはもう、丘のように高くなった淀川の堤防がえんえんとのびていた。かろやかな初春の日差しを浴びて、芽を出し始めたばかりの雑草が堤防の斜面をまばらに覆っている」
     問わず語りにマミがおそらくは誰にも語らなかった自分の過去を民夫に話すこのシーンは、小説の最初の山場でもある。
     「ため息まじりに話し終えて顔を起こすと、私はぼんやりと川下の方をながめた。錆びた鉄塔を思わせる淀川大橋のちようど真下のあたりに、何隻ものサルベージ船が連なって泊まっている。輝きを増した日差しがゆらめきながらおだやかな流れに降りそそぐ中、そのサルベージ船だけが古びたボロ雑巾にも似たわびしさに満ちて浮かんている」
      「愛してるってどういうこと?」の問いに「おとこの人とおんなの人が好きになってだきあうこと」と答え、「今度生まれ変わるとしたらなんになりたい」というと「ガラスのはへん。さわるのがこわいぐらい、きれいから」と笑う民夫に、「ひっそりと肩寄せ合って互いの寒さをたしかめ合っていたいような、そんな心淋しい親近感のようなもの」をいつしか感じているマミ。
     劇場の人たちから疎まれ、暴力をふるわれる民夫を、マミは連れ出し、共にドサ廻りの旅をするようになる。保護者のように民夫の面倒を見ることに生きがいを見出すマミだったが、やがて民夫も一人の男性てあり、自分に想いを寄せていることに気づいて愕然とする。それに応えることは際限のない崩壊を意味するようにマミには思われた…。
     この作品は83年度「文藝賞」受賞作て、若一光司のデビュー作てもある。彼は大阪市立工芸高校二年の時、初めてストリップに行き感動したという。社会に出てからは、友人とともにストリッパーに同行し、その生活を内側から知った。エッセー集「漂う光に」で、彼はこう述べている。
      「彼女たちは日常的に服を脱ぎ、素肌をさらけ出していることで、精神そのものが人間の原形質みたいなものを維持しているようなところがある(中略)そして、彼女たちをモデルにした小説を書いてみたいと考えるようになった。 作品の中でも、この体験は生かされ、エピソードをまじえながら彼女たちの日常と心情が実に生き生きと描写されている。「若い男も中年男も老人も、誰もが年齢と立場をこえてその瞬間に同じ表情を見せる(中略)共に人間であるということだけておおらかに許し合ってしまえるものがたしかにあるのだ」とマミは語る。
     マミも民夫もこの物語の中で、あるいは美化されすぎているかも知れない。しかし、裏切りや差別の中て、何ものをも失った者たちが、それゆえに自己に忠実に生きられることは事実てあろう。それは今の社会に失われつつある、人間の本質ともいえる。
     マミが民失と対等の人間として向き合い、ひたむきな愛に生きようと決意するラストは感動だ。

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