1973年のピンボール (1980年)

  • 1980年6月20日発売
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感想・レビュー・書評

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  • ややなんのこっちゃ感あり。

  • 「電灯のスイッチを切って扉を後ろ手に閉めるまでの長い時間、僕は後ろを振り向かなかった。一度も振り向かなかった」東京で友人と小さな翻訳事務所を経営する〈僕〉と、大学をやめ故郷の街で長い時間を過ごす〈鼠〉。二人は痛みを抱えながらも、それぞれの儀式で青春に別れを告げる。『風の歌を聴け』から3年後、ひとつの季節の終焉と始まりの予感。「初期三部作」第二作。

  • 村上春樹の本はまぁいっぱい出てるしたまにふと読んでみるわけだけど、いつ読んでも印象が変わらないというある意味安定感があるというか、恐ろしいのであるよ。
    嫌いではないんだけど何がいいってこの割と自分でも理解できていないのに意識高い系になれた気がするわけで。寝る前にカントを読むのか、いや100人に聞きましたら下手したら0人ですよこれは。ミルドレッド・ベイリーかぁ。いやこの名前がすっと出てくるようになれれば、ってわけですよ。そして壊れた配電盤を持って池に行って水に沈めてお葬式するわけですよ女の子二人連れて雨の中ずぶ濡れになりながら。
    そういう全てが今の日本には失われたというか最初からなかったんや、とか思いつつやっぱハルキストへの道は険しいわけですよ。
    また久しぶりに読んだら同じこと言いそうだな。。

  • 鼠シリーズ第二部。「風の歌を聴け」から引き続きの世界観。翻訳の仕事、双子との生活、謎の女、ジェイズバー、そしてピンボール。よくこんなことをテーマにしたなぁ。とても異質なような、なんてことない日常のような、不思議な作品。

  • ・どこに向かっていくのか分からない、不思議な読後感。

  • ピンボールが何を意味するのかやっと最後に理解できたような気がする。決して主人公ではないが、ジェイの生い立ちなどを想像し興味をそそられた。僕と鼠とジェイそれぞれがお互いのことを深く知らない中でも友情(?)が芽生えていく描写になんだか心が穏やかになった。そして、それぞれの心に「暗さ」があり人間らしさを感じた。

  • - 見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった
    - 涸れた井戸
    - 直子:彼女はいつだってゆっくりと、そして正確な言葉を捜しながらしゃべった
    - 1969年の春、僕たちはこのように二十歳だった
    - それから四年後、1973年の5月、僕は一人その駅を訪れた
    - よく晴れた日曜日の朝。双子の女の子
    - 鼠は四日目の朝に死んでいた…物事には必ず入口と出口がかくてはならない。そういうことだ
    - 12歳の歳に直子はこの土地にやってきた。1961年
    - 直子を愛していたことも。そして彼女がもう死んでしまったことも。結局のところ何ひとつ終ってはいなかったからだ
    - 1973年9月、この小説はそこから始まる。それが入口だ
    - ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある
    - 72年の春、翻訳会社を始める
    - 仕事が終るとアパートに帰り、双子のいれてくれた美味しいコーヒーを飲みながら「純粋理性批判」を何度も読み返した
    - 鼠にとって時の流れがその均質さを少しずつ失い始めたのは三年ばかり前のことだった。大学をやめた春だ
    - 無人灯台
    - 女の家は突堤の近くにあった
    - 砂が窓を打つ
    - 1970年、そういった年だ
    - 1971年。翌日は朝から冷たい雨が降っていた
    - 鼠が初めて彼女に会ったのは空がまだ僅かに夏の輝かしさをとどめている9月の初めだった
    - 週に一度、土曜の夜、二人は会った。そして日曜日には鼠は漠然とした気持で一日を過ごし、彼女はモーツァルトを弾いた
    - 「長く眠った?」と女が訊ねる。「いや」と鼠は言う。「たいした時間じゃない」
    - クロード・ルルーシュの映画でよく降っている雨だ
    - 哲学の義務ら誤解によって生じた幻想を除去することにある
    - 「本当に寂しくないの?」彼女は最後にもう一度そう訊ねた。僕がうまい答を捜しているあいだに電車がやってきた
    - 僕たちの心には幾つもの井戸が掘られている。そしてその井戸の上を鳥がよぎる
    - 夜は長い、ゆっくり考えろ
    - 彼女は素晴らしかった。3フリッパーの「スペースシップ」
    - 年が明けた2月、彼女は消えた
    - ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね
    - 僕たちが共有しているものは、ずっと昔に死んでしまった時間の断片にすぎなかった
    - ありがとう、と僕は言う。さようなら
    - 僕は後ろを振り向かなかった。一度も振り向かなかった
    - 鼠はもう女とは会わなかった
    - そして結局はこうなるはずだったんだ、と思う
    - テネシー・ウィリアムズがこう書いている。過去と現在についてはこのとおり。未来については「おそらく」である、と
    - 何もかもがすきとおってしまいそうなほどの11月の静かな日曜日だった

  • 昔読んだ本

  •  流刑地についてはトロツキーの伝記で少しばかり読んだことがある。どういうわけか、ゴキブリとトナカイの話だけは今でもはっきりと覚えている。それでは、トナカイの話…赤の広場には今でもこの四頭のトナカイの銅像が立っている。モスクワを訪れる人は土曜日の朝早くに赤の広場を見学するといい。赤い頬をした中学生たちが白い息を吐きながらトナカイたちにモップをかけているさわやかな光景を眺めることができるはずだ。

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