兄小林秀雄との対話―人生について (1970年) (講談社現代新書)

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  • 今日のように、仕事が分業的になり、機械的になると、どう考えても、すきになれそうもない仕事が、ますます多くなってくる。
    にもかかわらず、わたしたちは、どんなつまらない仕事でも、なんとかくふうして、考えをかえて、たのしんでできる方法を、それぞれに見つけなければならないような気がする。
     画家や文学者は、多くのばあい、その仕事が、書きたい、自分の思っていることを発表したいということが動機になっているから、めぐまれているといえよう。そのための苦しみや困難に、自分からすすんでぶつかっていく。そこに、生きがいがあり、よろこびがあるのだ。

    (高見沢潤子『兄小林秀雄との対話』講談社現代新書、昭和45年、169頁)



    ユリイカ!と叫んだ。
    仕事の分業化は江戸時代にはすでにあった。それ以前もあったと思うが江戸時代が一つの分岐点のような気がしています。(違うかも)
    「士農工商」という身分制度の下に、

    武士の子は武士に、農民の子は農民にと、予定調和的に職業が与えられ社会の中で分業を行った。
    翻って、90年代(いきなりw!)。
    「職業選択の自由〜ア・ハ・ハン♪」

    というCMが流れ、時はバブル絶頂期。
    市場稀に見る売り手市場であったが、
    自分の能力を見定めて一個の人格者としての完成を目指す感性のあるものは少なかったのではないだろうか?

    「分業」「能率化」。
    マスプロダクションの時代に適応するべく、人間は機械に近づいたのではないでしょうか?
    「機械になりたくない」10代の私の深い悩みはこの一語につきたのかもしれません。

    それが今わかった。
    私が、画家か小説家を目指していたことと上記文章とが奇妙な一致をみせる。
    画家にも小説家にも今のところなっていないのは、

    既存の職業に自分をあてはめるのではなく、
    自分自身を職業として再定義してみようという無謀な試みに挑戦した為だと思います。
    しかし、そんなことすると社会とぶつかる、ぶつかる(笑)

    それでもいい。
    自分に正直に生きなければ、楽しくないし。
    青年はうぬぼれが強いものですが、私ほどのものはそうはいないのではなかろうか?

    それならば、社会経験をある程度した今、
    改めて自分の倫理に従って、地球を再定義してみたいと思っています。
    それは非常に険しい道です。

    誰も通ったことのない道。。。
    周りの理解など得られるはずもなく、
    ただ自分を信じて強く進んでいく道。

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