ガストン・バシュラールの「瞬間と持続」に触れたのは’70年代のいつ頃であったか‥、
紀伊国屋書店の訳本初版は1969年とある。
そういえば「火の精神分析」の訳本初版も同じ1969年であり、以後の’70年代前半、バシュラールの訳本は次々と出版されている。
バシュラールにとっての時間の本質とは、<持続>すなわち<流れ>ではなく、その<切断>としての<瞬間>にある。
ベルクソンは、時間から可能なかぎり空間的要素を排除して、純粋な時間を直観しようとした。
だが、バシュラールは、ベルクソンが見出した「持続=流れ」とは、まだ空間化される要素を含んでいるのではないかと捉え、むしろ時間とはそうした水平に流れるのではなく、<垂直>に突出する「瞬間=切断」なのだと考える。
同じフランスの音楽美学者.ジゼル・ブルレは、このユニークな時間論について、「バシュラールの示唆によれば、メロディは本当は非連続であって、連続的であるのはまったく見かけだけである。…こういう連続がつくられるためには、非連続的なものが必要であるとして、彼はベルグソン的持続に反対する。‥」と言っている。
こういった捉え方が、当時の私にとって衝撃的且つ啓示的なものであったことにはちがいないのだが‥