あの金田一京助に見いだされたアイヌの少女・知里幸恵(チリユキエ)。
19歳で持病の心臓麻痺のため急逝した、彼女が遺した、たった一冊の本が『アイヌ神謡集』(1923)である。
署名の「銀の滴降る降る まはりに」は、その冒頭の和訳だという。
幸恵の弟・真志保の研究を手がけた著者が、姉が弟に与えた影響に注目したことをきっかけに生まれた評伝である。
まず、筆者の立ち位置が良い。
評伝は、対象者への思い入れの強さのあまりか、まるで著者がみてきたことのような、小説仕立てになることがままある。
本書にはそれがない。
著者が集めた資料を基に、事実を推測していこうとし、安直な物語に流れることをしない。
それでいて、対象者・知里幸恵への敬慕の念がひしひしと感じられる。
一方で、対象者の背景への目配りも確かである。
幸恵の生きた大正期のアイヌの置かれた状況を、時に聞き書きで、時に新聞史料から、あるいは裁判の資料などを引きながら、浮き彫りにしている。
和人(シサム)である私は、そのあまりの下劣さに身が縮むような、迫害ぶりだだったことも、衝撃だった。
幸恵は書いた。
黙っていれば和人として通じると言われた時のこと。
私はアイヌだ。どこまでもアイヌだ、どこにわじんのようなところがある……と。
当時、アイヌ民族は、自らを卑下したものも多いという。
その時に19歳の若い女性のこの誇り。
言葉の力に目覚めたゆえではなかろうか……
私の借りた本は昭和48年版と古い。
新装版なら、新たな資料などもあるかもしれない。
機会あらば、読み比べてみたいと思っている。