狭山裁判〈上〉 (1976年) (岩波新書)

  • 1976年6月21日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 狭山事件の裁判記録を検討し、被告となった青年の置かれていた環境にも触れながら、裁判の杜撰さを指摘している本です。

    著者は、評論家としてのスタンスに立つのではなく、弁護団の一員というべきスタンスに立って本書を執筆しているように感じました。このことはむろん、著者が現実に進行しつつある事件に真摯に取り組んでいることを意味しているのですが、事件から半世紀以上が経ったこんにちでは、事件の本質について考えることは読者にゆだねられており、本書はむしろそのための資料としての価値をもつといってよいのではないかと思います。

  • 被差別部落の運動として著名な裁判。
    狭山地方で起きた事件の犯人探し、取調べ、裁判のずさんさを記録している。

    その後、多くの冤罪事件で、警察、検察の自浄能力が問われてきた。
    組織の問題と、組織に属する人を育てる問題の両面から考えると、
    冤罪事件の再発の防止になるだろうか。

  • (2007.02.15読了)(2005.09.23購入)
    作家、野間宏が書いた「狭山事件」に関する本の上巻です。狭山事件の犯人とされる石川一雄被告が無実であることを訴えるために書かれたものです。
    事件のあらましは、『史上最大のミステリーを推理せよ!狭山事件』下田雄一郎著、の方を参照してください。
    下田さんの著書のほうでは、イニシャルで表現して、名前は書いていないのが多いのですが、野間さんの本では、みんなフルネームで出てきます。個人情報保護法の影響がここら辺りにも出てきているようです。
    ●狭山事件(2頁)
    狭山事件は、1963年5月1日、被差別部落の青年、石川一雄氏が、埼玉県狭山市の女子高校一年生中田善枝さんを誘拐し、暴行、扼殺し、脅迫状を作り、その父親の中田栄作氏宛に出し、その身代金を要求したとして起訴され、最初は犯行の覚えはないと主張し続け、次いで自分を入れて三人の行為であると自白し、最後に自分が単独でやりましたと自白、供述し続け、一審の浦和地方裁判所において、内田武文裁判長によって、死刑を言い渡された事件である。
    ●狭山裁判において重要な点(4頁)
    狭山裁判の中で重要だと考えられるのは、一つは石川一雄被告が被差別部落の生まれであると言うこと、二つは別件逮捕により捜査が始められたということ、三つはもっぱら被告の自白に基づいて裁判が勧められたということ、この三点である。
    ●事件前の目撃者(92頁)
    善枝さんの中学校の時の担任、相沢建一先生は、この日三時前後、第二ガードの前にいる善枝さんを見かけ、声をかけている。裁判の証人としては、呼ばれていない。
    ●被害者の性経験(118頁)
    解剖の記録によると、事件の際に暴行を受ける以前に処女膜が破れていると記述されている。この点について、相沢先生は、「女子の処女膜は体育運動などでも破れることがあると聞いております。善枝さんは体育が得意で、もっぱら体育に力を入れていましたので、運動が原因でそのようなことも起こりえたと考えます」と述べた。
    また、男性関係があるとすれば、何か家庭的な事情があって、それが原因になって、そのようなことが生じたものと考えるほかには、考えられないと言った。
    (犯人は、身内の誰かの可能性もあるということにつながる。)
    ●変死のO氏(163頁)
    当初、有力な容疑者とされた奥富玄二氏は、親戚のアリバイ証言によって、容疑者からはずされてしまう。変死でもないとされる。

    以下の点についても論じられています。
    善枝さんが当日学校出た時間が同級生達の証言と相沢先生の間で一致しないこと。
    身代金を持って、犯人と話をした、登美恵さんが犯人の声と石川被告の声が良く似ていると証言した事。
    見つかった善枝さんの時計の側番号が時計店から借りてきた見本の時計の側番号になっていたこと。

    著者 野間 宏
    1915年2月23日 神戸市生まれ
    1935年 京都帝国大学文学部仏文科入学
    1938年 大学卒業後、大阪市役所に就職
    1942年1月 応召してフィリピン戦線に従軍
    1944年2月 富士光子と結婚
    1952年 『真空地帯』で毎日出版文化賞受賞
    1964年10月 日本共産党除名
    1971年 『青年の環』で谷崎賞受賞
    1989年 朝日賞受賞
    1991年1月2日 死去
    (2007年2月18日・記)

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