詩とデカダンス (1966年) (名著シリーズ)

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  • 以下引用

    ★もののあはれは、ものそのもののおもむき、属性の如くでもあれば、またものに感じる主体の状態のことでもある


    主観と客観が厳格に区別され

    東洋は、主客の区別されないところ、存在と認識との区別のないところ、存在と認識との区別のないところにその特色をもった

    風狂、風流は世俗を逸脱しながら直ちに自然に帰っている。自分の力を信じているのではない、ただちに自然と歩みを共にし、もののあわれ、諸行無常に結びついている

    ★風でも雲でもない五体をもった人間が、たよりなき風雲に身をせめるということは、実はつねに自らを棄却し、否定していることに他ならない


    近代の人間は自己を主体として定立し、一切を対象化し、自己に好都合なさまざまな条件を自由に対象の中で実験し、作成し、そこに技術と機会をつくりあげ、かくして「自然」の支配者となった

    根拠である「存在」とのつながりがきりとられてしまい、自然がその故郷を喪失したばかりでなく、主体として、技術の行使者としての人間もまた故郷を忘却した

    ハイデガーは、リルケの「開けたもの」にたよる。それはすべての遮断し、区切りし、制限するものをとりのぞいた世界、時間の枠も空間の手立てもない自由で全きところである


    現前に存在する個々きれぎれのものを、「眼には見えないもの」の世界、全体の世界へつなぐこと、そこで相互に繋がりあうことによって、人と人、人と物、物と物とが時間の束縛を超えて話し合い認め合うこと、そういう世界を言葉を通して建てることが詩人というものの任務とされている

    ものはそれぞれの形をもち、それぞれのいのちをもつことによって、いのちの世界、共通の根をもつ

    存在するものが、その根拠である存在=絶対者を喪失し、故郷を喪失してしまったのが現代の特徴

    詩人が「無防禦」であるということである。認識の対象として、カテゴリイを、おって対象界を構成するのでもなく、、、


    人と人、人と物、物と物を、単に、主従の関係、空間的な関係で結ばずに、共通の広場、時間と空間の協同体において、深さをもって結ぶことが、ニヒリズムからの脱却

    ★★「存在」と「存在するもの」は、つながっているのである。自然と人間、全体と個人とは相互につながり合って、ともに「開けた世界」にいるのである。自然は認識の対象でもなく、意志の素材でもない。自然はそのうちに人間を包んで生きているのである。月や花や鳥とともに人もそこに住んでいる。

    聖書-風は己が好むところに吹く。汝その声を聞けども、何処より来り何処へ往くを知らず。

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