父ありき [DVD] COS-018

監督 : 小津安二郎 
出演 : 笠智衆  佐野周二  津田晴彦  佐分利信  坂本武  水戸光子  大塚正義  日守新一  西村青児  谷麗光 
  • Cosmo Contents
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4582297250383

感想・レビュー・書評

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  • 小津映画におびただしい頻度で出演する笠智衆が唯一主演として位置づけられているのが本作品。撮影中に日米が開戦するという微妙な時期であったこともあるのだろう、政府の目も無視できなかった時代だからこそこういう話の筋にならざるを得なかったのかもしれない。同じ戦時中の映画として最近鑑賞したものの中に木下惠介監督の「陸軍」(1944) というのがあったが、こちらにも笠智衆が出演しているのが印象的。当時はみている側も、撮る側も、そして制作費を出す側も誰もが「日本の父」として彼にイメージを重ねていたのだろう。さぞかし責任重大な任務だったに違いない。

    大きくなった息子を演じるのは佐野周二。もう何本ぐらい彼の出演作を観たことになるのだろうとざっと数えてみると6~7本になるらしい、最近はその彼の実の息子、関口宏の顔よりも彼の顔の印象の方がすっかり強くなった(笑) 彼の印象が急に強くなったのは木下作品の「お嬢さん乾杯!」(1949) での三枚目的演技であったが、本作は若干物静かな優等生息子を粛々と演じている。ある意味少し異質な役どころに感じる。

    なんという釣り方なのだろうか、二人が川辺で同じリズムで竿を操るシーンが強く心に焼き付いている。「浮草物語」でも同じく父と息子の情景として繰り返し現れたためなおさらのことだ。小津はあの適度な距離感と反復動作をなにゆえあの間尺で撮りたかったのか、訊けるものなら訊いてみたい。

    なによりも驚くのは彼ら二人が実年齢8歳の歳の差で親子を見事に演じきっていたこと。そして終盤では水戸光子に再会できてさらに満たされた。

  • ドラマティックな要素はいっぱいだけど、泣かせどころになりそうな場面はガンガン省略されていて、演技も静かで、演出はいたって淡々としている。
    父という存在が厳粛に扱われていた時代性が反映されているところもあるんだろう。

  • 小津作品を観ていて、いつも感嘆させられるのはその省略の潔さである。ことに彼の作品の中では必ずと言っていいほど人が死ぬんだが、その人の死ぬ直前の様子からいきなり葬儀のシーンへとつなぐのは定石で、でも、いつ観てもこのつなぎ方にはびっくりする。そして今回はさらにびっくりするのが息子があっという間に大きくなるところ。普通の監督ならばそこにいくばくかの説明的カットを入れるだろうが、子どもが中学(?)に入って、その学費を稼ぐために笠智衆が東京に行くという話の次には、もう息子は大人になっているわけで、これには脱帽である。もちろん、そうでもしないと尺が足りなくなるというのもあるだろうが、しかし、この省略の美学にしびれるのであります。

  • 大胆なカットのつなぎと展開で、あっという間にエンディングまで誘われる。

    清流で竹竿を手にする親子2人の反復がすごい。父と息子が時を隔てて川辺で釣りをする。小さな支流には違いないが、これほどまでに「流れ」を感じさせる映画はない。時間を隔てて、2度に渡って映し出される小川は、この「流れ」が常に映画の根底に存在していた事を意識させる。これはもちろん、距離を隔てても変わらずに通い続けていた、親子間の愛情の暗喩でもある。

     ラスト、若い二人の門出は希望に満ちているわけではない。息子・佐野周二の坊主頭から目を逸らす事は出来ない。2人を乗せた夜行列車は、暗い時代へ向かって突き進んでいく。

     この幸せな時間、美しい映画の最後の場面が、戦争の記号に侵犯されていた事は偶然ではない。教師になっている佐野が、兄弟を戦争で失った生徒の母親に同情を寄せる場面もあったが、この映画は戦争というもの中にある「負」の部分を浮かび上がらせます。父親の死は、一つの時代の終焉を象徴している。


     この映画には「家」がない。父親と息子の2人は列車の中であったり、駅の食堂であったり、荒れ城の石垣の上であったりする。あるのは父と子の親子の絆だけで一緒に過ごす家はない。東京を訪れた良平と周平が過ごすのも「家」ではなく温泉宿だ。再度訪れた良平がはじめて父が暮らす「家」を訪れ1週間を過ごすが、それも息子の出征によって長くは続かない。そうこうしているうちに、理不尽にも父親の「死」がやってくる。

     結局この2人は互いに求めながら再び家族として同じ家で一緒に暮らすことがかなわない。この映画の作られたのが戦時中の、しかもそろそろ戦局が悪化してくる1942年であることを考えると、家族が次々と引き裂かれ、家がどんどん壊れていく中で、ひたすらに家族を求める姿を反戦的に描きたかったんだろうか、と推察せざるをえない。しかも、戦争に関する一切のものを画面に出さずに。


    【ストーリー】
     東京で学校の先生をしながら一人息子を男手一つで育てていた父親(笠智衆)が、先生をやめ故郷に引っ込む。しかし、再び小学生の子供を残したまま東京に出て、その後離れ離れの生活が続き、やがて、大学を卒業した息子(佐野周二)と再会する。
     多くを語らずとも、父と子の互いを思う愛情が伝わってくるのは、小津作品ならでは。セリフやナレーションに頼らず映像中心に登場人物達の心情を描く映画ならではの良さを堪能できる。
     また、この映画の細部を読解していくと、「仕事と家庭」に「戦争」というテーマが巧妙に重なっていることが分かる。厳しい検閲を綿密な計算で通した構成から、小津映画の最高傑作としばしば評されるのも頷ける。

  • 音が悪いのは残念だけど、台詞がききとれなくても感じ取れる2人の雰囲気とシンプルな構造がとても好き。

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著者プロフィール

1903年東京深川に生まれる。1923年、松竹キネマ蒲田撮影所に撮影部助手として入社。大久保忠素組の助監督を経て1927年、時代劇『懺悔の刃』で監督デビュー。以来1962年公開の『秋刀魚の味』まで、全54作品でメガホンをとり、サイレント、トーキー、モノクロ、カラーそれぞれのフィルムに匠の技を焼き付けた。1963年腮源性癌腫により死去。1958年紫綬褒章受章、1959年芸術院賞受賞、1962年芸術院会員。作品『生れてはみたけれど』(1931)、『出来ごころ』(1933。以上、松竹蒲田)、『戸田家の兄妹』(1941)、『晩春』(1949、芸術祭文部大臣賞)、『麦秋』(1951、芸術祭文部大臣賞)、『東京物語』(1953、芸術祭文部大臣賞、ロンドン映画祭サザランド賞、アドルフ・ズーカー賞)、『早春』(1956)、『東京暮色』(1957)、『彼岸花』(1958、芸術祭文部大臣賞)、『秋日和』(1960、芸術選奨文部大臣賞。以上、松竹大船)、『宗方姉妹』(新東宝、1950)、『浮草』(大映、1959)、『小早川家の秋』(宝塚作品、1961)ほか。

「2020年 『小津安二郎「東京物語」ほか【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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