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感想・レビュー・書評
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茶室における「闇」は、人間を「原初」へと誘う。
混沌に放り込まれた者は、そこで新たな知覚を得る。
その時に、光がおそらくは差してきたのであろう。
以下引用
茶の湯は確かに非日常の時空に開かれています。しかしそれは人の心の中に開けてゆく非日常なのだと思います。
学問の客観性なんてものを信じていない
「私の」利休、「私の」光悦を語らなければ意味がないと思っている。
作家はそうでないとだめだ、学者の言葉に左右されているようでは何も生み出せない。
茶会も、人とのやりとりがなければいいのだけれど、茶室の暗がりで見る炭の赤さや、窯にたぎる湯の音などは、何か、太古のヒトの記憶を呼び覚ますような清らかさがあって、粛然とする。
茶の湯は日常世界に非日常的な場を出現させる。あの小さな潜、結界を超えれば薄闇の支配する極小空間。茶室は日常と離れて異界と交信する場である。人は日常世界だけでは生きてはいけない。光が闇にささえられてこそ、その美しさが理解できるように。
近代社会は光を求めて闇を排斥した。
以上に扁平な日常が世界を席巻する。詳細をみるコメント0件をすべて表示