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- / ISBN・EAN: 4988102499037
感想・レビュー・書評
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これは何だろうか。日本人が良く使う‘愛国心’とは違う。
映画はどうみても実際のイランがワールドカップ出場を決めた瞬間を描いている。作品は意図してつくられたものなのだろうか。
この映画はイランの国民が観るのと、日本人が観るのとはではまったく違うものを与えることだろう。
イランという国を動かしているものは、日本人の私たちの価値観では測れない。そのことだけは強く感じた。
いろいろな国の映画を観ているけど、映画というフィクションと現実というリアリティのバイアスを考慮しても。日本という国ほど、自分の内面から湧き上がる衝動や感情を抑制している国民はない。難破船で見つけられた北朝鮮人だって、独裁者という権力に対しては服従し、自己を抑制するけれど、日本のメディアの前ではたとえ偽りだとしても、彼らのやりきれない生きる衝動を伝えてくる。
日本にいると、生きている自分と、自分が生きている社会が違う事象のように見せ、感じさせる空気があるように思えてならない。
この数年の社会に対する当事者意識の著しい低下も、
日本社会に閉塞感を感じる人が多いのとそこにあるのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
お国の事情は違えど熱い思いは万国共通
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数あるサッカー映画の中でも、特に大好きな作品です。
2006年ワールドカップアジア予選も終盤の2005年6月8日、イランはホームのアザディスタジアムにバーレーンを迎え、この試合に勝てば本大会出場とあって、スタジアムには続々とチーム・メッリ(サッカーイラン代表)を応援しようという人たちが押し寄せます。
イランでは女性がスタジアム観戦することは禁じられていますが(一部例外あり)、やっぱり見たい!どうしても生でワールドカップ出場の瞬間が見たい!という女の子たちはあの手この手で潜り込もうとします。
変装姿もいかにも場違いな、男の子になんか見えないよっていう感じの少女も、ダフ屋に足元を見られて値を釣りあげられ、アリ・カリミのポスターまで押し売りされ(このポスターはその後意外と使いでがあったが)、それでも彼女はこの試合をアザディに観に来なければならなかったのです・・・。
この映画をいいと思うのは、女の子パワーの迫力・新鮮さを素直に出しているということに加えて、イランにおける「格差」を、男女の問題のみならず、地域や階層の問題としても描けているところです。
スタジアム警備の兵士は地方出身の若者。
試合の行方とともに、実家の家畜がどうなっているのかが気がかり。
議論となると、女の子たちに適うわけがありません。
彼にとっては、禁じられている試合観戦にやってくる「オフサイド」な女の子は、都会の、高学歴の、優雅な、別世界の人間。
こんな子たちのお遊びの始末のために働かなくちゃいけないのかよ、俺は・・・とかなんとかぼやかずにはいられません。
ラストは(試合の結果を知っているからだけど)実に予想どおり、いわば「明日へのチケット」落ちです。
なお、監督のジャファル・パナヒさんは、この映画製作後、イラン当局との軋轢が大きくなっています。
特に、昨年7月にアフマディネジャド大統領再選の混乱の中での犠牲者追悼集会の折に一時拘束されたり、ベルリン国際映画祭への参加を妨害されたり。
今年の春にはかなり長期にわたって拘束されていました。
彼が現政権に批判的であるのは間違いないですが、マフマルバフ一家の、特に長女のサミラさんなんかの方が対決姿勢としてはより先鋭的なのではないかと思っていたのですが・・・。
サッカーの試合見たさに、冗談ではすまされないレベルの嘘を重ねてチケット代を稼ぎ、アザディにやってくる、イラン少年にしてはあんまり可愛くない男の子を描いた「トラベラー」。
大地震の後の瓦礫の中から、まずはラジオを掘り出して、ワールドカップの試合中継を聴こうとしている人々が印象的だった「そして人生は続く」。
そして、「私たちだって試合が観たい!」と、禁じられた生観戦に挑む女の子たちを見せてくれた、パナヒ監督の「オフサイド・ガールズ」。
サッカー映画の分野でも、綺羅星のごとく才能が輝いていたイランなのですが。
しかし、こういう「弾圧」が繰り返されると、バフマン・ゴバディのようにイラン国外に出るという選択をするしかなくなったり、自主規制をしたりするようになってしまうでしょう。
これからのイラン映画は、のみならず、イランは、どうなってしまうのでしょうか。
案じています。
「オデッサ・スタジオ」より転載。 -
イランでは女性がスタジアムでスポーツ観戦が出来ません。イランに居た時サッカー観戦に誘われましたが、夫だけ行き私は遠慮しました。「どうしてダメ?日本の女の子は入れるのに?」という台詞。ぜひ観て考えて。
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イランにおける競技場での男女差別を取り上げた映画です。原題は「オフサイド」
イランでは男性のスポーツを女性がスタジアムで観戦することが禁じられている、とのこと。しかしイラン代表の06ドイツW杯出場を懸けた一戦を前に、どうしても我慢できなかった女性が数多くスタジアムに駆けつけ、なんとか警備の目をくぐって、観戦しようと試みる、というところが話の出発点です。
まず感想を言うと、そこまでおもしろい、とは感じませんでしたが、サッカーを通じて体制を皮肉っている、実に『映画っぽい映画』だと思いました。
本作には、スタジアムに忍び込むも女性だとばれて捕まってしまい、客席で試合を観れなかった女性がフォーカスされます。一方で、途中で捕まってしまった女性や、最後まで捕まらずに試合を観れた女性の存在も示唆されています。
サッカーと、オフサイドをメタファーとして実に巧妙に用いているなと感じました。オフサイドはサッカーにおける”待ち伏せ禁止”といって良いようなルールですが、一瞬の判断の難しさゆえにサッカーにおいて最も誤審の起きやすい部分。そして、紆余曲折有りながら現在の形に落ち着いているものの、「なぜそんなルールが?」と聞かれると、万人が納得する答えが出にくいところでもあります。
本作でも、捕まった女性が、徴兵により駆り出された兵士に、「なぜ日本人の女はこのスタジアムでイラン戦を観たのに、イラン人の女はダメなんだ?」とか、「映画館は男女一緒に入れる。なぜスタジアムはダメなんだ?」と浴びせる質問に対し、兵士は歯切れのいい答えができない。
何より、兵士も彼自身の意思で取り締まりをしているのではなく、徴兵というルール、法律というルールの中で、行わざるを得ない。『決して悪人でない』描かれ方は、サッカーにおいても時に間違いを起こし論争の的となる審判の姿と重なります。
すべての登場人物は名前が呼ばれず、出てくる固有名詞は試合をするイラン代表のサッカー選手のみ。ハッピーエンドと言えばハッピーエンドですが、結局本作でフォーカスされる女性は最後まで観客席に入れなかった。すっきりするお話でもない。
でもそれもリアルだなと思います。みんないろんなものを抱えて、サッカーを観る。
そしてどんな環境であれサッカーを楽しみたい気持ちは一緒であり、その思いを妨げることはできない、というメッセージが伝わるストーリーです。
サッカー好き、中東好きなら、楽しめはしなくても、なんとなく共感できるでしょう。僕は好きだったけど、多分二回は観ない。でも、映像の軽さに似合わず、すごく考えさせられる映画でした。 -
イランでは女性のスポーツ観戦が禁じられている。そんな中、2006年のW杯出場がかかったイラン代表の試合を男装して何とでもして見ようとしている女達がいた。
どうにか試合を見ようとあの手この手を使うような話ではなく、淡々と進んでいくのでエンターテイメントとしては弱め。
イランで女性のスポーツ観戦が禁じられているという事実を世界に伝えたことは大きい。面白いのは映画の中でスタジアム観戦をしようとする女性達を好意的に見る人が多いところだ。この映画を見た時に私達は「イランはなんて差別的なんだ」と思うわけだが、イランの人達は「イランの人達も意識が進んだなぁ」と思ってるのかもしれない。
こういう映画が公開されること自体がイランの変化なのだと思う。 -
女の子だってサッカーを観戦したい!!