ゴッドファーザー PartII <デジタル・リストア版> [DVD]

監督 : フランシス・フォード・コッポラ 
出演 : アル・パチーノ  ロバート・デュバル  ロバート・デ・ニーロ  ジョン・カザール  ダイアン・キートン 
  • パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン (2012年3月10日発売)
4.17
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988113823838

感想・レビュー・書評

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  • 逃れられない孤独と業のようなものが象徴的に描かれていて、印象的であると同時に胸に刺さる作品でした。

    イタリア系移民マフィアの親子二代のそれぞれの姿を、陰影と空気感に富んだ映像、哀愁溢れる音楽などを用いながら、重厚に描いた名作映画三部作中の第二部。

    シリーズ第二作は、初代頭領ヴィトーの少年期から青年期の姿(1900〜20年代)と、二代目で息子のマイケルの中年期の姿(1950年代後半)という、異なる時間を交互に描くことで、人生を対比的に、実に巧みに描いています。

    1901年のシチリア島。家族全員を地元のマフィアに殺された9歳のヴィトー少年は、たった一人、アメリカに逃れます。
    アメリカで成人した彼は、食料品店で店員として働き、貧しいながらも妻子を養っていましたが、あるマフィア男の横暴をきっかけに職を失ってしまいます。彼は、家族を養うため、窃盗などの軽犯罪に手を染め始めますが…。

    1958年のアメリカ・ネバダ州。父の跡を継いでゴッド・ファーザーとなったマイケル。彼はファミリーのビジネスを拡張させてはいましたが、若き日に誓ったように非合法ビジネスからの撤退は出来ておらず、常に他のマフィアファミリーとの軋轢を抱えていました。そこに加わる、妻・ケイや兄フレドとの溝。それでも、彼は必死に、父が残したファミリーを、そして、家庭を守ろうとしますが…。

    孤独な少年時代を経て、悪事に手を染めて稀代のマフィアへと変貌を遂げていきながらも、常に家族や仲間に囲まれていた父のヴィトー。

    家族に囲まれて育ち、父の残したものを必死に守ろうとしていただけのはずなのに、その冷酷な振る舞いのせいか、多くを失い、孤独に囚われていく息子のマイケル。

    二つの異なる時間を同時に眺めることで、父子二人の対照的な人生が際立ち、マイケルが抱える圧倒的な孤独と哀しみが一層胸に迫ってきます。

    特に、物語の終盤、父ヴィトー健在中の若き日のマイケルたち兄弟全員が集まっているシーンが挟み込まれていますが、父ヴィトーには決してなかった、マイケルが抱える、どことなく因果的で逃れられない孤独を巧みに表現しており、とても悲しくなりました。

    二人とも、ファミリー(この言葉には、自らの抱える「マフィア組織」と、「家族」の二重の意味がある)のために必死だっただけなのに、この差はどこから来るのか…。
    時代の違いだったり、ちょっとした性格の違いだったり、それとも、親の因果が子に…なのかと、しばらくグルグルと頭の中を駆け巡りました。

    若き日のヴィトーを演じたロバート・デ・ニーロと、マイケルを演じたアル・パチーノがあまりにうますぎるからなのかもしれませんが。
    特に、厳しくも端正な雰囲気の若き日のロバート・デ・ニーロが、実に魅力的でした。

    とても辛いけど、一度は観る価値ある映画です。

  • Blu-ray

    なんて悲しい話だろう。
    父から事業を引き継ぎ、周囲との関係に手こずりながらも奮闘するマイケルと、一代でコルレオーネ・ファミリーを築き上げた父、ヴィトの半生が交差して描かれる。
    最後のシーン。戦いには勝つが、代わりにマイケルはすべてを失う。真っ向から反発しながらも、父親を恐れ、尊敬し、ゴッドファーザーになりたいと願った、マイケルの背中が哀しい。

    *途中で朦朧として、あまり内容を理解できなかったので、もう一度見たい。でも長い...。

  • パート2の方が面白い。

    アルがドンになりファミリーを築いていく過程の話。この人間味溢れる設定。時代に即したマフィアのあり方。

    父の凄みと、自分の凄み。ビトーとの対比を見せていて、違う形でファミリーを愛す。何が良いって映画としてのブレがない。

    アルパチーノがむちゃくちゃにかっこいい。これをやりたくて1があったのではないか。

  • 秀作。
    マイケル・コルレオーネ、その父のビト・コルレオーネが、ヤクザな道に進まざるを得なかった背景、その当時の社会の理不尽さ、やるせなさ。
    でも、富や権力を手にしていく中で人としての感情を捨て、家族や仲間や当たり前の生活を失っていく底知れぬ悲しさが、もう、全編を通して切なすぎる。
    それにしても、若い頃のビトを演じたデニーロのかっこいいこと! そのかっこよさに、若い頃の私は気づかなかった。年を重ねて初めてわかる魅力なのだろう。

  • 時系列が複雑だが、ビトーとマイケルの対比が素晴らしい。
    希望、不安、そして成長してゆく父親の様。
    組織を継ぐが、諸々の問題により時代に翻弄され葛藤する息子。
    枯れた落ち葉と目尻のシワ、一人佇む姿。
    ラストに集約されている。

  • やっぱゴッドファーザーは良い!
    パート1に比べて派手さは無いけども物語に奥行きが有るのはパート2。そんなパート2が私は大好きでございます。

    何と言ってもパート2は彼が居ない分様々な役者さんに丁寧にスポットが当てられてそれぞれ見所があるのが面白い。パート1はマーロン・ブランドに全て持って行かれた感があるので。

    若きパパンを演ずるロバート・デ・ニーロ。
    これでもかってくらい役に取り憑かれた声演技の素晴らしさはすごい。ネイティブでなくとも感じる事の出来る徹底した役作りのリアアリティーは見ていて気持ちがいい位。それにパチーノとはこれまた違う魅力でカッコイイのがいい。
    容姿というか姿見全体がすっごくイケメンです!!

    パート1と比べると格段に取り巻く環境や人々に翻弄されながらも動じない、何を考えているかわからない繊細なパート2のマイケルをアル・パチーノは見事に演じている。
    パート2のマイケルって生きてるのが大変そうでハッキリ言ってもう何考えているかわかんないんですけども。
    どしっとした威圧感ある佇まいがなんともこれがまた絶妙で演技なのか役者としての地位上昇のせいかわかりませんがすごく貫禄あります。パート1と別人に見えるくらい。
    やっぱパチーノ大好きだ。

    そして何と言っても情けない奴を演じさせると彼の右に出る者はいないジョン・カザールのフレド。
    この何とも言えない容貌を最大限に生かしきった素晴らしい役者はキャリーのシシー・スペイセクと彼くらいだろうなぁ。
    この人の存在感は凄まじい。
    みっともないくらい残念な奴なのだけどもどこか憎めない。
    ここまで視線を奪ってしまうのはある意味かれの魅力であり威力である。

    ところで映画史に残るキスシーンランキングなるものが存在しており本作もその中にまさかの異質のランクイン(!)という。
    しかもマイケル(アル・パチーノ)&フレド(ジョン・カザール)というこれはまさかのまさかで驚かされましたが。

    兄であるフレドの裏切りに失望しハッピーニューイヤーの祝福の包容と同時に抱きしめキス、そして首の根を締め付け告げる「残念だよ」
    たしかにキスっちゃーキスだけど意味が他の作品と180度くらい違います!
    いやぁー凄まじいシーンだ。ぞくぞくします〜(いろんな意味でww)

    まぁそんなところも含めゴッドファーザーには挙げればどんどん名シーンが出てきますよね。

    そしてニノ・ロータの音楽が浸み行く・・・素晴らしい!!

  • マイキーが踏んだり蹴ったりで可哀想だった。
    ゴッドファーザー・ビギンズ的なパートは面白かったな。20世紀初頭の再現が良かった。
    とりあえず長くてしんどかった。映画慣れしてないせいか、役者さんの顔がよく分からなくて混乱する。

  • Ⅰを観たのはいつだったか…もうけっこう忘れてしまったけど、放っておいた続編を今頃観に行く。
    ゴッドファーザーには取り囲まれている社会や家族から抜け出せない(居ざるを得ない)寂しさとか拘束されるものの孤独を感じる。でもそこに愛も必ずある。人を出し抜こうとする罠や偽りも、また愛からくるのだ。全ては愛なのだ、ということを実感させる作品。

    (20130110)

  • 3作品のなかでは、本作が一番考えさせられる。

  • 1974年。製作国アメリカ。202分。監督フランシス・フォード・コッポラ。出演アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ロバート・デュバル。

    言わずと知れた名作の続編。1作目を観たのは3年くらい前だったはず。話の筋は詳しく覚えちゃいない。父ヴィトが死んで兄ソニーが後を継ぐかと思いきや、なんやかんやで末っ子のマイケルが新しいボスになった、みたいな雑な記憶。今作はマイケルが新しいボスになるシーンから始まるのだが、ああジョジョ5部のラストってこのシーンのオマージュだったのね、と理解した。

    Part2はPart1の前日談と後日談が平行して描かれる、という作りになっている。つまり過去(1900年代初頭)の父ヴィト・コルレオーネの物語と、現代(1958年前後)の息子マイケル・コルレオーネが物語が交互に描かれている。ヴィトの物語はマフィアとして成り上がって行く物語なのに対して、マイケルの物語はマフィアとして落ちて行く物語なので、2者は対比されるように描かれることで、コルレオーネ家の栄光と没落が一つの物語として語られることになる。

    なんといっても、若き日のヴィトを演じるロバート・デ・ニーロだろう。美形ってわけじゃないのだがあの身体から溢れる色気はなんだろう。途中から段々声がマーロン・ブランドっぽくなっていくので気づいたのだが、よくモノマネされるデニーロの地声は別にそんなにハスキーでもない、のではなかろうか。

    ちなみに冒頭の部分だけ、大昔にビデオで見たことがある。お母さんが銃で撃たれてしまうシーンだけ、強烈に印象に残っている。

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著者プロフィール

これまで六つのアカデミー賞を獲得。代表作として主に『ゴッドファーザー』3部作と『地獄の黙示録』の監督として知られる。1939年、デトロイト州に生まれ、ニューヨーク州クイーンズで育つ。幼少期にポリオ麻痺に感染し、その治療期間に物語を書くこと、そして玩具として与えられた映画投影機に没頭し、映画製作への興味を育んだ。
 ホフストラ大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で演劇と映画を学びつつ、短編小説や戯曲を執筆(コッポラ自身は己のキャリアの発端を「作家」であると見做している)。1970年、『パットン大戦車軍団』の脚本家としてオスカーを受賞、1970年代には『ゴッドファーザー』、『ゴッドファーザー PARTⅡ』、『アメリカン・グラフィティ』、『カンバセーション…盗聴…』、そして『地獄の黙示録』などの作品で監督・脚本・製作を手がけた。その間に、カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを2回、アカデミー賞では計12回のノミネートのうち5回の受賞を果たし、フィルムメイカーとして、その10年間は史上かつていない成功を成し遂げたことは疑い得ない。
 コッポラはまた35年にわたり、ナパ・バレーとソノマ・バレーにてワイナリーを経営し、ワイン生産を手がけていることでも広く知られている。その他のビジネス領域では、中米、アルゼンチン、イタリアでの豪華リゾート経営のほか、受賞実績もある短編小説を中心にした文芸誌『ゾエトロープ:オールストーリー』の発刊を手がけている。現在は、劇場、映画、テレビを組み合わせた「ライブ・シネマ」と呼ばれる新しい形式での芸術に取り組み、この新しいメディウムにおける脚本の執筆を続けている。

「2018年 『フランシス・フォード・コッポラ、映画を語る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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