8 1/2 普及版 [DVD]

監督 : フェデリコ・フェリーニ 
出演 : マルチェロ・マストロヤンニ  アヌーク・エーメ  サンドラ・ミーロ 
  • 紀伊國屋書店
3.76
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感想 : 48
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4523215038669

感想・レビュー・書評

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  • 誰しもが生きていく中で少なからず体験するであろう、現実世界における行き詰まりと、当人の心の中で起こる精神的逃避を、境目が曖昧で混然とした、けれど、とても吸引力のある映像構成で形にし尽くした監督の技量に感心した映画。

    有名映画監督のグイドは、長らく新作の構想を完成させられないまま、映画の撮影準備に追われる羽目になっていた。
    そんな中、彼の新作映画になんとか関わろうと、役割欲しさに彼に群がる俳優や製作陣が彼の神経をさらに苛立たせていた。
    そこに加わる、妻と愛人の間に起こる軋轢と、埋められない心の溝。

    精神を圧迫され続けた彼は、必死に映画の構想を考え続けるうちに、幼少期のとりとめない記憶の回想から始まって、やがて、身勝手で奇妙な妄想に心を囚われていくけど…。

    映画監督が映画監督を主人公に据え、映画の構想に悩むという設定を活用したからこそ、現実と虚構の境目が曖昧なままの、不可思議で魅力的な映像を撮れた、という面はあるとは思います。

    しかし、それと同時に、グイドの生々しい身勝手さや愚かさ、そして卑小さが、心のうちで起こり、やがてそれに囚われていく現実逃避を、誰もが少なからず持つリアルなものとして、鑑賞者に突きつけてきます。

    現実がとうとう空想に呑み込まれてしまったかのようなラストは、狂気じみていて、強い印象を残しました。

    ただ、私が狂気と破滅の象徴のように感じたラストシーンに対する印象は、観た人によってかなり違うようです。
    中には全く正反対のことを考える方もいるもよう。

    他に観た人の感想を聞いてみたい、なんとも不可解かつ蠱惑的な作品。

  • OTTO E MEZZO
    1963年 イタリア+フランス 138分
    監督:フェデリコ・フェリーニ
    出演:マルチェロ・マストロヤンニ/アヌーク・エーメ/クラウディア・カルディナーレ

    映画監督のグイド(マルチェロ・マストロヤンニ)は新作の撮影を目前にしてスランプ、温泉地に療養に行くが、プロデューサーや女優、関係者がひっきりなしに押しかけてきて少しも心休まらない。とはいえ彼自身も人妻の愛人カルラ(サンドラ・ミーロ)を呼び寄せたり、さらに妻のルイズ(アヌーク・エーメ)も呼んだりと無節操な私生活。次第に追いつめられたグイドは、過去の回想や妄想に現実逃避を始め…。

    若い頃にビデオで何度か見て好きだったフェリーニの名作を改めて。記憶の中には幻想的で美しいシーンやラストの祝祭感ばかりが強く残っていたのだけど、すっかりグイドより年をとった今見ると、グイドのクズっぷりばかりが目についてイラッとすることしきり(苦笑)まあそこも見据えて監督が自分の分身としてグイドを描いたことはある意味潔いといえるかもしれない。

    幸福だった少年時代の回想と、サラギーナが砂浜で踊る場面がとても好き。大勢の女性が登場するけれど、サラギーナはとりわけ異彩を放っている。浜辺で暮らすサラギーナは、一応家らしきものはあるけれどたぶんホームレスのような狂女。子供たちは彼女を冷やかし半分、性的好奇心半分で、お金を与えてルンバを踊ってもらう。

    愛人と妻なら妻役のアヌーク・エーメが圧倒的に好み。メガネも知的で素敵。そのせいもあって彼女に感情移入してしまったので余計にグイドのダメンズぶりに苛立った。愛人カルラは美人で華やかだけれど会話の内容は空虚、あまり知性が感じられないタイプ。とはいえそんな彼女を好き好んで愛人にしているのはグイドなのだから一番悪いのは彼女ではなくグイドの趣味の悪さ。

    一番印象的だけれど一番最低なグイドの妄想は、妻や愛人、これまで関係を持ったり好意を持った女性を一堂に集めたハーレム生活を夢想する場面。本当にどこまでも自分に都合がよすぎて…。妻にはものわかりよく愛人と仲良くしてほしいとか虫が良すぎるでしょ。妄想ハーレムの中では、ある一定の年齢に達したら女性は「2階」に追いやられる。常に若く美しい女性たちにチヤホヤされていたいグイド。妻はその間シンデレラのように家事をさせられている。どんなドリームだよ。

    妄想の中だけど女性たちは反乱を起こす。しかしグイドは彼女たちに対して鞭をふりまわして少しも反省しない。基本的にグイドは女性たちにもそれぞれの意志があるということを全く認めていない。ただただ自分にとって都合の良い存在でいてほしいだけ。ついに彼は完全なる妄想で理想の女性クラウディア(クラウディア・カルディナーレ)を生み出すが、彼女ですらグイドの思い通りにはならない。

    …と、ついついグイドに対するディスりが止まらなくなりますが、映画全体としては白昼夢のような夢と現実の境界がどんどん曖昧になっていく雰囲気がとても好き。そしてラストシーンの祝祭感。おそらくグイドは直前のパーティのシーンで自殺したのだと自分は解釈しているけれど、そもそもその前からもうグイドは生きてる感じがしていなかった。死んでいることに気づかずウロウロしてる系の人みたいな印象もあり、そういう部分は今見てもやはりとても好きでした。

  • たまたま北野作品のことを調べていたら、『監督・ばんざい!』とかあの時期のはフェリーニの『8 1/2』だと言われていたので鑑賞。

    これで初めてフェリーニの映画を観てしまったんだけど、
    それまでの作品を観た上での方が楽しめたかもしれない。

    これ、わかりにくい作品では無いと思う。
    むしろよくわかる。
    つまんない作品でもなくて、個々のエピソード(妄想・夢・幻覚)は
    とても面白かった。
    そのかわり、それらのエピソードが入り混じって混沌としてて、
    ストーリーが分断されているのでその部分は一見わかりにくいのかも。
    ハーレムのくだりとか最高なんだよ・・・。

    以前から気になっていたこと、映画監督等ものづくりをする人間にとって
    アイデアが枯渇することはないのか?という疑問に答えてくれた作品でした。
    監督の自問自答をそのままフィルムに焼き付けたような内容。

    これのミュージカル版リメイク『NINE』は、よりわかりやすくなってます。
    僕自身何年も抜け殻みたいな状態になっているので、沁みる。


    キャスト、主演のマルチェロさんが非常にカッコいい。
    愛人役が全然かわいくなくて奥さん役がすごくかわいい。
    これはやっぱり、ヒロインはこっちですよーってことなのでは。

    そういえば、『NINE』も含めて主人公がモテてる話ってレビューを見ますが、
    モテてないです。むしろ逆。
    映画監督だから女性と知り合う機会は多いけど、
    結局性欲や恋愛感情と仕事の上で女優を探す行為も、
    全て混沌としてて、イコール愛を知らないってことなんじゃないかと。

    枢機卿がする鳥のさえずりの話って、
    冒頭で流れる『ワルキューレの騎行』につながってるのかもしれない。
    ここは要検証。

    あと車。
    ジュリエッタ・スパイダー、ポルシェ356、シトロエンDSと
    各国の名車がでてくるとこがすばらしい。

  • 映画監督のグイドはイタリアの高級温泉保養地を訪れる。
    風変わりな愛人、映画のモデル候補の蠱惑的な娘、清楚な泉の乙女、貞淑な妻。様々な女性に対して取り繕うような言い訳を弄し、綱渡りのような立ち回りする主人公。
    女に苛まれながらも女を求めてやまない主人公の回想と自身の半生を基にした撮影中の映画が交錯する。

  • アヌーク・エーメがお洒落で素敵で最高! 目で追ってしまう。マルチェロ・マストロヤンニって今までそんなにいいと思ったことなかったけれど、はじめて格好いいかもと思った。スランプって怖いね。死んだのかと思った。きっと何度もこれからみかえす映画になりそう。

  • 映画が撮れなくなった映画監督の苦悩と解放を描く。
    奇抜なカメラアングル、劇中劇の設定や、現実と空想がないまぜとなった重層的な展開も見所。
    巨乳巨尻のケバい女や物悲しいサーカス団。フェリーニの原体験かのエログロは本作でも随所に発揮。
    タランティーノの「パルプ・フィクション」でマフィアが親分の愛人と踊るシーンの元ネタ見っけ。
    (旧友マリオが若き婚約者グロリアと踊るシーン)

    大事に愛された少年時代を過ごし、愛する人と結婚し、仕事もそれなりに成功している43歳の映画監督グイド。
    ところが近頃、家庭の愛を求め彷徨い、自分に嘘や妥協をしてまで続ける仕事に疑問を感じている。
    「なぜこんなことに どこで間違えた? どうしたらいい?」
    仕事や私生活で行き場を失うと、空想や回想に逃げ込むグイド。
    飛んで逃げたり、ハーレム作ったりとやりたい放題の空想や、懐かしき少年時代の思い出に浸る回想へ。
    しかし頭から離れず現実の問題が空想の世界にも入り込んでしまう。

    作中でフェリーニは、思い悩むグイドを、辛辣に批評する。
    「己のみを慈しむ人間は 己の感情に窒息して果てる」
    「彼はすべてを欲し貪りたがる 失うことを恐れるあまり 消耗してる」
    「愛せないからよ」「愛せない」「愛を知らない」
    さらにこの映画自体も批評する。
    「人間の内に潜む混乱を描く気だろ?独りよがりは困る 観客に判る映画でないと」
    「自分の偉さを示すのね 人様に何を教える気? 妻にさえ正直になれない男が」
    「この映画は内面の苦悩や過ちの集大成、いわば人生のゴミを寄せ集め、醜い足跡を残しただけの映画だ」

    同時にフェリーニは作中で解を提示する。
    「あなたは自由 でも時間がない 決意しなきゃ 急ぎなさい」
    「君も周囲に目を向ければ 幻想から抜け出せる」
    「そう 君の役はないんだ 映画もないんだ 何もない(意訳:望む通りの女性や仕事なんてものはない)」
    「許してくれ ぼくはわからず屋だった。君らを受け入れる 愛するよ 何て簡単だ この解放感」
    「混乱したぼくの人生は ぼく自身の反映だったんだ 理想と違うが もう混乱は怖くない」
    「君の目をまっすぐ見て こう言える 
     “人生は祭りだ 共に生きよう” 
     今はそれしか言えない 君にもほかの人にも あるがままのぼくを 受け入れ 再出発を。」
    「みんなで手をつないで広がって 大きな輪に」

    作中グイドが命を絶つ刹那、母の声が聞こえる。
    「グイド、グイド どこへ逃げる気?おバカさん」
    現実のシーンと空想のシーンがないまぜになっているこの映画では、このシーンが空想か現実か判らない。
    でもグイドが引鉄を引く前に気付けていれば…。よし、自分はどうやら気付けた。前向きに生きるぞ。
    と思えた。ま、フェリーニ自身も本作のあと長生きしています。

    そう、この映画は当時43歳等身大のフェリーニの人生賛歌なのだ。
    「生きてりゃいろいろあるけれど、みんなも同じさ。
     うまく行かないことはそういうものだと受け入れちゃえ。そこから始めたらいい。
     死んで花実が咲くものか 人生は祭りだ 共に生きよう」

    本作が名作と言われる所以を考察するに、恐らく人の普遍的悩みを描いていることがひとつ。
    それと、混乱は混乱のまま描けば良いのだ、人生とはそういうものだから、と宣言したことで、
    表現者達を錆びたしがらみから解放し、新しい時代の観者に合った表現法を提示したことかもしれない。
    明治時代に坪内逍遥が初めて作家の内面を描いた私小説を発表し、
    二葉亭四迷が初の言文一致の文体で当時の文学者たちに大きな影響を与えたように。

    日常生活のささいな苛立ちから、思う通りに行かない私の人生これでいいのか、みたいなエピソードが散りばめれている。
    “わかるなぁ。”この映画を観て共感する40代多いんじゃないだろうか。などと考える。
    “がんばれ!40代。楽しんで行こうぜ!”

  • フェリーニ「8 2/1」http://www.imdb.com/title/tt0056801/ … 観た、やっと観た、ウルトラおもしろかった!ゴダールみたいな気取った映画かと思っていたらコメディというか全体的にバカバカしい(褒めている) 2時間超なのにあっという間。そして音楽がとてもいい。アヌークエーメ♡

  • やっぱり作者が自分の言いたいことを正直に言っている作品はいいもんだ。
    人間が生きていくうちの混乱と挫折と絶望とでもやっぱり希望、そんな感じの映画。

    冒頭は白黒でもわかる画面の綺麗さに感動したけど、20分くらいしたら退屈。ハーレムの場面でようやくちゃんと物語に入っていけた。ハーレムは、馬鹿らしいくらい男の願望丸出しで、でも泣けた。こんな風にして何もかも思い通りにできたらいいのにねー。奥さんが下女みたいにせっせと家のことしてくれて浮気にも文句言わないで、それから年取った女は自分の目の届かないところで、だけど死ぬわけじゃなく平和に暮らしてくれるの。私は女だけど、でも分かる。現実にならないからこそ最高に幸せだな。

    作中劇の映画に使うロケットの打ち上げ台ってのが、もう可哀想になるくらいデカくて金かかってて笑える。映画監督である主人公はその映画の台本が全然出来上がらないし、俳優も下手くそばっかで揃わないけど、その打ち上げ台が完成しちゃってるから逃げられない。で、映画を取り止めにしようと決めるんだけど、ずっと映画にケチつけてたプロデューサーみたいな人がしたり顔で「賢明だ、駄作なら作らないほうがいい」って主人公に言う。
    そこで主人公が、「うっせー、俺の好きな通りにやるんだよ!」という感じで吹っ切れたように映画の撮影を始める。
    それがすっごくひねくれてて痛快で笑っちゃう。

    始まった撮影でロケットから主人公の関係者がぞろぞろ降りてくる。それからにぎやかに輪になって踊り始める所、あれは小説じゃ無理だなとも思った。
    というか小説だったらそれはそれで別のアプローチがあるんだろうけど、あのシーンは映像だから良かった。

    でてくる女の中ではサラギーナって女の浮浪者が一番好き。体型も顔も他の女性とは比べ物にならないけど、でもちゃっかりハーレムの一員なのは、きっと主人公の初恋だからなんだよね。幼い主人公が仲間に囃し立てられつつ彼女とルンバを踊ってるところ、あれが主人公の女性に求める救いの原型なんじゃないかなぁ。

    いい映画だった。やっぱりいい映画ってものはこの世に存在するなってことを思い出させてくれるくらい、いい映画だった。

  • フェデリコ・フェリーニXマルチェロ・マストロヤンニ
    の完璧な映画。完璧なんて絶対ない、いや、あるんです、ここに…。

  • 全体の中のほんのわずかな時間でしかないですが、冒頭の象徴的な夢のシーンは引きこまれますね。僕自身は空飛ぶ夢って見たことない。ストーリーから幾度となくフラフラ踏み外れてつかみづらいですが、主人公は難儀な映画監督として、愛不在の私生活、空想的な夢と子ども時代の思い出、といった辺りの側面が渾然一体と表出していて、一個の人間が生活する中で思いを巡らすというのはそんな感じなのかもしれないですね。見る度に発見がありそうなネタの散りばめ方ですが、個人的にこの辺りは趣味でなさそうな。うまく言えないですが。

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