KOTOKO 【DVD】

監督 : 塚本晋也 
出演 : Cocco  塚本晋也 
  • キングレコード
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  • / ISBN・EAN: 4988003813642

感想・レビュー・書評

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  • 2012年 日本 91分
    監督:塚本晋也
    出演:Cocco/塚本晋也

    赤ん坊の大二郎を一人で育てているシンママの琴子(Cocco)は、情緒不安定なあまり、自傷を繰り返し、さらに他人が二人に見える。たとえば道端で赤ちゃんを連れた琴子に「可愛い!」と話しかけてくるスーパー帰りの主婦っぽい女性、笑顔で話しかけてくる彼女とは別に、憎悪をむきだしにして琴子に襲い掛かってくる彼女が現れる。どちらが本物なのか琴子にはわからない。あるときは、屋上で赤ん坊を抱いた手を離してしまい子どもは落下、泣き叫びながら階段を駆け下りるが、部屋に戻ると赤ん坊はいる。ついに琴子は近所の人に虐待を疑われて通報されてしまい、大二郎を沖縄の姉に預けることになるが…。

    とにかくCoccoありき、という印象の映画。リスカしまくるメンヘラ女性は、彼女の歌のイメージに合いすぎてて怖い(※もちろん本人はここまでヤバい人ではないだろうけど)。西加奈子の『円卓』の「こっこ」も本名は琴子だったことを思うと、Coccoの本名も琴子なのかもしれない。

    さてとにかく序盤からヤベエ人全開のCocco、沖縄の姉のところへ息子に会いに行く場面だけはひたすら平和。しかしその沖縄行のバスの中で、彼女の口ずさむ歌に惹かれたという田中(塚本監督が演じてます)という男が、彼女をストーキング、東京に戻った彼女に、結婚を前提に交際してほしいと告白してくる。琴子は言い寄ってくる男にはとりあえず手にフォークをぶっ刺す主義。しかしめげない田中。実は彼、有名文学賞を受賞している作家。反対側の手にまでフォークをぶっ刺されても彼は諦めず、リスカを繰り返す琴子を助けに何度も飛び込んでくる。

    このくだり一見純愛ぽいけど、どんなにキモくても何もしてきてない相手にフォーク刺したら傷害罪だし、夜中に血だらけでドア叩いて叫び続けられたら近所迷惑…と妙に冷めた目で観察してしまう。ことあるごとに琴子は叫び、わめき、絶叫、見ているだけで疲れる…。まあ本人もつらいんでしょうけど。

    結局、琴子は田中と一緒に暮らし始める。そして自傷する代わりに、田中をDVでボコボコに。ひー怖いよう。しかし血だらけになっても琴子への愛を貫く田中のおかげでようやく琴子も安定、大二郎を手元に引き取れることになる。しかし何故かその後、突然田中はいなくなる。なんでや。なんか見落とした?

    琴子は今度は息子が二人に見え始め、えんぴつで怪我をしないか等気に掛けすぎてまたしても発狂。さらに銃を持った男が乱入してきてボコボコにされる幻覚まで見て、こんな恐ろしい世界に愛する息子を置いておけない、いっそ自分で…と思い詰め…。

    気付いたときには精神病院に入院している。ある日、面会にやってくる、中学生くらいになった息子(ちゃんと生きてた)。赤ん坊の頃、琴子があやしたのと同じやりかたで彼は母に接する。バイバイの手の振り方とか、琴子がしたのと一緒。それを見送る琴子。この終わり方は、琴子の愛情がちゃんと息子に伝わっていたことが表現されていてとても良かった。

    ただ全体的に、琴子がとにかくやばい人なので見てるだけで疲れ果ててしまう。とてもじゃないけど共感などできない(したらこっちも狂ってしまいそう)。とにかく彼女の妄想・幻覚は、他者が自分に襲い掛かってくる、理由もなく異常な暴力をふるうというもので、なんでそんなことになっちゃうのか説明されないからとても怖い。Coccoが歌う場面もたくさんあり、口ずさむ感じのは良かったけど、結構本気の絶唱とかPVじゃないんだから…という場面もありちょっと浮いちゃうことも。熱演だし、彼女にしかできない役だったと思うけど、どうせCoccoなら、リップヴァンウィンクルの花嫁のほうが映画としては断然好きでした。

  • 好きなシーンやセリフもあるけど、最後まで観て、好きじゃないまま終わってしまった。

    監督にはCocco以外の人を探して欲しかった。この映画はCoccoだから成り立っているようなもので、いろんな違和感のあるシーンの裏付けが「Coccoだから」っていう意識を持ってないと観れない。

    これだけ精神的に不安定の人が英語でいきなり唄えるなんて絶対ないから、作曲してるシーンを入れて欲しい。その時のおだやかな表情とか。
    「唄っているときだけは二つに見えない」がすごく好きだったから、姉のところに行って普通の女性のシーンを描くより、音に溶け込むシーンのほうが観たかった。

    塚本監督自身が出るのも今回は意識してしまった。他の作品ではそうでもないんだけど。。田中が消えるシーンも、消えたあとも、単に消えてまた不安になってくるじゃなくて、もっと違った形で描いて欲しかった。田中が有名人だから、存在の確認はしようと思えばできるし…。

    あと怖い方の人が見えるからフォークで刺すのか、単純に病んでて刺すのか、そこがどっちも精神的に不安定で片付けられてて残念。彼女がもし治るのなら、根本的に「おかしい」みたいに描かないで欲しい。後半ボコボコにしてるのは多分二人目が見えてるからだと理解したけど、フォークのときのは解せなかった。

    疲れてしまった人の哀しみを観るならぐるりのこと。のクモのシーンのほうがすごく好き。愛があって悲しんでいるから。
    この映画での琴子は、結局統合失調症でした。みたいになってる気がする。ラストに病棟に入ってるのも、なんだか解決になっていない。周りにはそう扱われても、彼女自身の中では救われていて欲しい。

    いろいろ思うところはあるけれど、ちゃんと向き合って、好きじゃなかったです。

  •  観たかったんだ。この映画。

     でも、映画で観てたら、この真っ黒いものに自分が飲み込まれていたかもしれない、と思った。


     「普通じゃない感じ」を、ここまでリアルに描いている映画もないんじゃないかと思った。


     でも「客観的に見て普通じゃない感じ」は、主観的に見たら別に普通、ということもあるんだろうと思う。


     「自分は正しいのか、正しくないのか。」に揺れながら、その判断をしていく母親には、きっと誰しもこういう面が、あるのではないかと、思う。でも、母親に限ったことではなくて、

     このお話を、

     「他人事。自分じゃない。残酷な映画ね。」

     と、一刀両断できるような想像力の及ばない人がいたら、


     わたしは、その人のほうが怖い。


     いつか、生きていく上で、何かの拍子に踏み込んでしまうかもしれない「あちら側」を、

     もっと、自分の身近なものとして、考えられる人間でありたいと、思う。

  • 人とは違うけど、それでも正気であるから傷つくのだと思う。
    結局、誰に石を投げられても負けない位の不貞不貞しい心を本人が持つしかないんだけどさ。

    私は、リストカットや不安定さを聞いた時に
    「俺にはわからない」という人こそ、グレーだと思う。
    本当に自分と違うならほっとく。それを必死に否定する事こそ不可思議。
    自分の中にその要素があるから必死にそれから逃れようとしていると感じる。

    色んな声や悲鳴を感じるような繊細な心を持って迷っていたのが過去のcoccoだと思う。
    だから、不安定な女性をcoccoが演じてそれをまた周りも彼女として見るような事はあっていいのか迷う。

  • 監督がCoccoを敬愛してるのが痛いほどわかる。

    鑑賞前は、力のある監督と観る者にある種の衝撃を与えずにはいられないCoccoとの企画自体が、なんかあざとい感じがして、敬遠してた。

    実際観ると、監督は田中としてCoccoの前に跪いていたので、なんか素直に受け入れられた。

    ただ、ここに描かれてる世界観は、休止前の彼女のものだと思う。

    今さらまたこれか、という感も拭えなくもない。長年のCoccoファンとして。

    琴子はCoccoにしか演じられない役だと思う。

    けど、なんていうか...惰性のような気もする。
    Coccoにはお手の物、というか、片手間というか。


    画面のあらゆるところに歌手Coccoが溢れていて、
    桃象ぬいぐるみとか、キッチンに立つ後ろ姿とか。
    お馴染みのCoccoマークとか、本人による自伝的小説とか
    バレリーナの写真とか。
    既視感満載。
    雑念多発。

    Coccoファン以外の人がこれを観てCocco関係なく感慨深くなれるのかどうか、私にはわからない。
    でもなんかの賞を獲得されていたからな。


    ただ、実際観たら最初の嫌悪感は払拭された。
    ひれ伏す者として観る、あの長回しの歌とか。


    でも、塚本監督は何でダンスのシーンでカメラも激しく動かすんだろう。
    『ヴィタール』のときもそうだった。
    両方動いて結果、ダンスがイマイチ伝わってこないんだよなあ。

    そこが残念。

    あと、物語としては琴子が何で東京で暮らさなきゃいけないのかもわからなかった。そこは考えちゃダメなのかな。


    要所要所で結構笑えたけど、劇場内で笑ってるの私だけだった。
    笑っちゃだめだった?


    是枝監督が撮って、塚本監督が撮った。
    今後、彼女に心酔している誰かが撮りたがるんだろうか。
    それとも多才なる御本人がなにかしでかすのかな。


    私はライブにさえ行ければ、まあそれでいいけど。

  • 「そういえば」

    『ファーザー』のストーリー展開に、彼の目線や思考でストーリーが進行してゆくことに「なるほど〜、こんなふうに見えているのかー」と愕然としていましたが
    こちらの方がもっと古い作品でしたね
    朧げながらとしか覚えていらせんが彼女の目線で物語られていたように思います
    もう一度観なければ。

  • 苦しい。
    生きることはあまりに苦しい。
    言葉ではなく、それを人と映像と音楽で見事に表現してしまっている。
    そしてそれは圧倒的なリアルである。
    どっちが作りモノの世界なのか、何が本当か、そんなことに答えはない。
    「逃げ恥」が好きな僕に見えているこの世界もリアルだし、
    彼女たちの瞳に映るその世界もまたリアルだ。
    キラキラした装飾で飾り付けられた部屋も、どこか遠い地で行われている戦争も、家族での団欒も、どんなに暴力をふるってもそばに居続けてくれる人も、いい母を演じるのも。そして流れる赤い血も。真っ白な世界も。

    だけど、それでも人生は「生きろ」と言う。
    だとしたら、たとえ狂気の沙汰だと思われようと、
    世界がひとつになって見えるもの、
    この世界に命をつなぎとめるための何かと、
    出会うために生きてゆきたい。

    とはいえ決して観ることをお勧めはしない、でも素晴らしい映画だと思う。

  • 自己陶酔が気持ち悪かった。
    統合失調症の態様も上手く表現できていないし、ガチャガチャした画面も五月蝿いだけ
    ほんと超絶劣化版デヴィッド・リンチだわ。
    才能がない。
    あと、coccoは歌だけ歌っとけば良いと思うよ。

  • ちょっと精神的にやられる。

    こうゆうのは苦手。でも一人で子育てはほんと大変なことなのは十分伝わりました。
    Coccoの細さがストーリーの深刻さを増す。

  • テアトル新宿
    渋谷アップリンク にて。

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著者プロフィール

1960年東京生まれ。29歳の時に『鉄男』で鮮烈な劇場映画デビューを果たす。製作・脚本・撮影・照明・美術・編集さらに出演と、すべてに関与して作り上げる作品群は国内外で高く評価されている。『KOTOKO』(2012)はベネチア国際映画祭オリゾンティ部門グランプリを受賞。近年ではマーチン・スコセッシ監督の最新作『沈黙Silence』に出演するなど、俳優としてもその才能を高く評価されている。

「2015年 『塚本晋也×野火』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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