日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち―(新潮選書) [Kindle]

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  • ノーザンパシフィック事件だけでもおもしろい。

  • 日露戦争を財政面・資金調達面から切った良書。日露戦争というと、一般には、国力数倍のロシアに対して、陸戦や海戦で次々勝利を挙げ、旅順らで大量出血し、武器弾薬の補給もギリギリの中で辛勝した軍事面、日英同盟の下で、英国などのバックアップを得てバルチック艦隊を疲弊させたと言った外交面にフォーカスが当たる中、財政面でもギリギリの戦いをしていたこと、財政こそが戦争努力を真に支えていたものだということを教えてくれる。

    高橋是清は、後の日銀総裁の深井英伍を連れてロンドン・ニューヨークなどに足掛け三年に渡る資金調達の旅に出るが、当初は一流国ではない日本の資金調達のリスクは高いと見なされ、ロシアよりも相当高いプレミアムを払う必要があった。そうした中で、高橋は人脈を構築し、なんとか必要額の確保に努めていく。

    また、戦闘の結果がそのまま利率や株価に直結せず、むしろ血の日曜日事件など敵失によって変動することも多かった。いずれにしても、同盟国・友好国と言っても最重視するのは日本の元利支払い能力(親戚の浪費家の連帯保証人にはなりたくないのと同じ!)であり、利益も冷徹に計算されていた。そのような中、担保をつけたりして証明する必要があった。

    また、重要なのは国家の信用であり、満州の門戸開放に日本が消極的となった戦後の資金調達は更に協力を得ることが難しくなった。

    資金調達後の支払いも重要で、均衡財政を前提とするなら当然に国民負担が発生し、賠償金もなかったため、戦後の税率は、戦前の2倍にも跳ね上がっており、こうしたところに日比谷焼き討ち事件の背景がある。

    関連して、情報公開や報道も重要。国内メディアは一部を除いて戦争を煽り、賠償金が無いなら継戦をという主張だったが、財政的・生産能力的・兵力的に、賠償金の有無を問わず、もはや停戦が適当な時期に来ていた。そうした現状を開示していないために国民の不満が爆発したところもあり、国家機密は守らねばならないが、その辺りをどう考えて世論と向き合うかというのも重要な課題であることが浮き彫りになっている。

    筆者は教訓を三点にまとめている。
    ① 借りた金は返さなければならず、公債の発行は、増税の先送りでしかない。
    ② 市場アクセスの問題。信用が無ければ借りることはできない。
    ③ インベスターズリレーション。投資先は分散しま方が良い。

    こうしたことを考えると、第二次大戦中と同レベルに達している日本の財政赤字をどう考えるか。特に、安全保障環境が悪化している中で、有事に財政面での余裕はあるか、本書は、こうした問をまさに現在の日本に突きつけている。



  • 日露戦争は現場での戦闘だけではなく、資金調達を巡るロンドン市場などの欧米での金融市場の中でのロシアとの競争だった。両国とも資金を獲得しなければ戦闘を継続できないというギリギリの状況にあった。これは現在のロシアのウクライナ侵攻による兵力・武器枯渇問題と通じるところがあり、一層興味深かった。資金調達とは公債発行であり、市場における日露の国力の比較がレートにも影響。当初はかなりの差があり、ロシアが勝つと予想する人が多い中で、日本の公債はジャンク債扱い、そして日本海海戦を経てもようやくロシアと同等の1.5等国扱いだったとは、その中での高橋たちの苦労を感じる。日露戦争を経て、日本のGDPに占める国債発行高のウエイトが高まり、第1次大戦が救いになったというが、今の日本はそのウエイトをはるかに超える国債を抱え、第2次大戦前に近づきつつある!日露戦争後の満州鉄道の所有を巡る米国のハリマン財閥との鞘当てで日本が半ば裏切る形でものにした、それが第2次大戦への伏線にもなっているとは驚いたところ。高橋が重臣たちにロンドンに赴いて公債募集することを依頼され、引き受けたとい築地の料亭で、彼らが抱き合い、泣いていたという証言が残っているという。それだけ明治時代の人たちが純粋な青雲の情熱をもって政治をしていたという感動的な逸話の紹介である。

  • 「戦費調達」の絶対使命を帯び欧米に向かった高橋是清と深井英五。
    未だ二流の日本国債発行を二人はいかに可能にしたのか?当時の証券価格の動きをたどることで外債募集譚を再現

  • Kindle版にて読了。

    べらぼうに面白い。
    一気呵成に読んでしまった。

    『坂の上の雲』の世界を重層的に理解することができる、というか。

    日本軍は、ロシア軍の失策もありつつ激戦を制して日露戦争に薄氷の勝利を実現したわけですが、そうして戦争を継続するためには莫大な戦費が必要になる。
    金本位制下であった当時、戦費調達の手段として外債の発行に頼るしかなかった一方、国際社会において一等国としてまだ認められていなかった(そしてロシアに戦争で勝てるとは全く予想されていなかった)日本が外債発行による資金調達を実現することは極めて困難な命題だったわけです。
    そのミッションを担い、戦争期間中ほぼずっとロンドンを中心に欧米に滞在して工作・交渉にあたったのが高橋是清です。
    高橋が、ロンドンのマーチャント・バンカーや米国のユダヤ資本とリレーションを構築し、戦況が有利になっていくのに乗じて有利な発行条件を勝ち得ていく過程が丹念に辿られていきます。

    面白いなと思ったのは、旅順陥落、奉天会戦、日本海海戦など、日本軍が戦争のポイントとなる戦いに勝利しても、それが必ずしも外債価格に影響しないことがあるという点。
    むしろ、ロシア国内で発生した血の日曜日事件や、バルチック艦隊が起こしたハル事件などのほうがむしろ影響が大きかったりする。
    市場の目は常に冷静なわけです。

    それに対して、熱狂しやすく移ろいやすく、そして制御しづらいのが世論の力。
    当時の日本国民が戦況に一喜一憂し、新聞などのマスメディアが煽りたて、政治家たちもそれを御しきれない様子が描かれています。
    高橋自身、初回の外債発行時には、有利な発行条件を勝ち得ることができなかったとして世論のバッシングを受けます。
    ポーツマス条約で賠償金を取ることができなかった責任を負わされた小村寿太郎は、桂・ハリマン協定を破棄することに動く。
    桂・ハリマン協定がそのまま実現していたとしたら、日本が満蒙権益に固執することはなく、その後の歴史は変わっていた…と言えるのか。

    そのことに限らず、戦況にしても資金調達にしても、歴史の歯車が一つ狂って日本が日露戦争に敗れていたとしたら、いったいどうなっていたのだろう?
    満州や朝鮮半島はロシアが支配し、日本は貧しい二等国の地位を強いられたかもしれない。
    そして、その代わりに国際社会で孤立し第二次大戦で破滅的な道を歩むこともなかったかも…
    いろんなことを考えてしまいます。

  • 高橋是清の外債公募ツアー回顧だけならば、ちょっと面白い歴史物に過ぎない。日露戦争当時の世界経済・ファイナンス概論だけでは勉強になっても無味乾燥である。両者をうまく組み合わせることで、面白く読める上に、知的興奮のある読み物となっている。

    舞台となる20世紀初頭というのは、産業革命が世界に一通り浸透して、ちょうど経済がグローバル化した時期になる。ヴィクトリア朝は終わっているがまだ英国が世界のリーダー的位置にあり(GDPは人口に勝るアメリカが既にダントツ一位だが)、太平洋に達した新興勢力米国の勢いはすさまじく、極東の島国日本がようやく世界に向かって本格的に開かれ、ロシアでは革命の予兆が漂っている。

    <日露の国力差>
    当時のロシアの人口は日本の3倍。しかし一人当たりGDPはほぼ同じ水準(英米はその4倍近くあった)。

    陸軍国ロシア。常備兵力は日本の10倍あった。講和直前の極東での戦力比はロシア80万人(全軍の4割、国内情勢不安)、日本70万人(たぶん全軍の7割くらい、島国の利)。

    <金本位制とロンドン市場>
    ロンドン金融市場が世界の中心。普仏戦争以降は大きな戦争がなかったことに加え、主要国が金本位制を採用(1844年イギリス〜、日本は日清戦争の賠償金を利用して1897年に導入、ロシアも同年)していたために為替リスクがなかったので、金融商品の売買や貿易が盛んだった。日本は在外正貨として英ポンドをロンドンの銀行に預け、それを裏づけに兌換紙幣を発行していた。つまり日本銀行が物理的にゴールドを保有していたわけではない。

    金本位制導入当初は、ゴールドの供給制約のためデフレ状態だった。日本が金本位制を始めたころは、1886年に南アフリカで金山が発見されるとともに新しい採鉱法が開発され、ちょうど世界的なデフレが終焉するタイミングだった。

    イギリスでは名誉革命により、国王の徴税権に議会の同意が必要となったことで、イギリス国債は君主ではなく国家の公的債務と捉えられるようになった。・・・継続性・信頼性の向上

    ウォルター・バジョット『ロンバード街』より1873年の銀行預金額。ロンドン120m£、パリ13m£、ニューヨーク40m£、ドイツ8m£。イギリス以外の金持ちは銀行に預けないので、産業資本として貸し出されない。基軸通貨ポンド。

    資金調達をしたい人はロンバード街に来る。外国の政府・企業による資金調達は、イギリスにとって資本輸出。毎年GDP比5〜6%くらいだった。1914年には残高4,000m£。

    1903年末の国債利回り。英コンソル債が2.84%、ロシア4.06%、日本5.02%。

    <銀行家たち>
    マーチャント・バンク:貿易商が起源で金融業をも手がけるようになったもの。自分自身の資産とともに国王や貴族など富裕層の資金を預かっていた。商社金融+投資銀行のようなイメージ。ロスチャイルド商会やベアリング商会など。ドイツ系ユダヤ人かアメリカ人が多くて、ロンドン市場は当時からウィンブルドン現象だった。
    コマーシャル・バンク:株式銀行とも。中産階級から小口の預金を集める現代の銀行のイメージ。19世紀末から徐々にマーチャント・バンクと証券発行分野で競合するように。ユニオン銀行、パーズ銀行(のちのロイヤル・バンク・オブ・スコットランド)、香港上海銀行、チャータード銀行など。
    インベストメント・バンク:こちらは米国。英同様にマーチャント出身(特に綿商人)が多い。早くから金融業に転じ、鉄道などの産業に資金を供給した。JPモルガンが代表格で中銀(当時の米国にはまだなかった)の代わりとして金融危機のたびにNY市場を支えていた。

    1893年のロンドン市場では時価総額の49.4%が鉄道の株・債券だった。このうち、半分以上が外国の銘柄。NY市場は1899年末で時価総額の63%が鉄道株。

    アメリカで乱立した鉄道会社は競争が激しく経営が安定しなかった。JPモルガンは買収による集約化を進めた。1890年のベアリング恐慌では英国からの資金流入が止まり、JPモルガンは国内銀行や生保の資金を新たに使い、鉄道独占企業体となる。アメリカの資本をヨーロッパから自立させる契機。

    アメリカでJPモルガン商会に対抗していたのが、日露戦争の資金調達で登場するヤコブ・シフのクーン・ローブ商会。

    <日露開戦>
    ロシアとの戦争近しとなると開戦前から東京株式取引所の株価は暴落。取引所は渡辺治右衛門に、帳簿を操作して証拠金を負けるからとまで申し出て買い支えを依頼。当時の株式市場は現物より先物取引が圧倒的に多かった。

    いざ戦争が始まるとうやむや状態が去ったためか、仁川沖での勝利もうけて株価は一時的に反発する。今も昔も市場は変わらないところがある。鉄道王根津甚一郎も「負ければ財産も何もあったものじゃない」と下げ相場の中で押し目を拾っていた。

    アジアの国である日本が白人キリスト教国と戦うにあたり国家広報、さらに資金調達のためのIRの重要性が認識されていた。欧州へ派遣された末松、アメリカの金子。

    <日本の戦時財政>
    1904年5月に1回目の外国公債発行。1905年3月の調達で、日本有利による外国公債利回り低下、国内の公債購買力の限界により内外利回りが逆転。

    戦争特別会計の総収入1,721百万円、うち公債による調達が1,124百万円、さらにうち外国公債が690百万円。これを213百万円の剰余金を残して使った。ちなみに1903年の一般会計歳出が250百万円、同年の日本全国銀行預金残高は759百万円。元利払いの負担は重く、賠償金期待にもつながった。

    支出内訳は陸軍1,283百万円、海軍225百万円。人数の多い陸軍は金を食う。大英帝国の繁栄も陸軍を軽くして海軍中心に軍備拡充したアドバンテージがあった。日露戦争後の日本が大きな陸軍を指向したのは、島国の有利さを捨てる誤りだった。

    <資金調達>
    ロシア国債は日本国債より利回りは低かったが、債権国フランスによる管理相場だった。新たな発行の余地は日本同様に限られていた。

    シフは1904年2月のユダヤ人商人会ですでに日本に投資するする方針は固めていたものの、(関係者の証言とは異なるが)鴨緑江の勝敗を見届けてから投資をコミットしたと推測される。

    高橋は最初の公債発行時の経験で、誰が国際金融市場のディール・メーカーであるかを見極め、のちのリレーション・マネジメントに反映させる。とにかく積極的に金融界の人間と会うようになる。そのうちコマーシャルバンクを通さずシフと直接に話をするように。

    遼陽会戦勝利後に日本国債は売られる。ロシア軍の退却を許したことにより、継戦能力に疑問が持たれた。旅順陥落あたりで元老ら日本のトップも、この戦争が国力の限界を越えるものであることを真剣に認識しだしたようだ(しかし国民は日比谷公園でお祭り騒ぎである)。伊藤博文は戦後は国力にあわせた財政・軍備の必要性を認識していたと思われる。

    奉天では遼陽の反省からロシア軍の包囲殲滅を狙ったが果たせなかった。しかし、奉天での敗北によりロシアはフランスからの調達の道を閉ざされる。ドイツも日本の資金調達に乗ってくるようになる。

    日本が調達した資金は、一時的に現地で運用されていた。8%程度の調達金利に対して3%余りの運用金利と、当たり前ながら大幅逆ザヤであった。

    日本海海戦の勝利でロンドンの日本国債価格は上昇したがロシア国債の利回りと同程度。一方、東京市場では株式が暴騰。日本勝利に対する内外の評価が乖離し始めた。

    ポーツマスではロシア代表ウィッテが上手で、アメリカの世論がそれまでの日本への同情から転じてロシアびいきになる。小村はマスコミ対策に失敗した。賠償金なしの結果は日本の外交上の敗北として国際的に報道されたが、ロシア国債暴騰のかげで日本国債もやや値上がりした。

    <南満洲鉄道>
    高橋は南満洲鉄道に外国資本を入れることで、資金調達の他に、満洲でのパワー・バランスの安定化を考えていたのではないか。

    ベアリング商会は外国人投資家が日本に投資できるように法律改正をお膳立てしたが、その法律が外資フォビアを呼んで、私鉄の国有化の動きを招いてしまった。ハリマンの南満洲鉄道への投資は絶望的になる。

    結果、満洲版東インド会社とも言える満鉄が誕生した。鉄道附属地の規定のもとで、清国の行政権を締め出し軍隊を常駐させ、植民地的政策を執行できるようにした。附属地と言っても線路沿いだけでなく駅周辺の市街地が含まれた。

    米英からの出資を募っていれば日本の歴史は大きく変わったのでは。その後「二十億の軍資金と十万の大和民族が流した血潮によって獲得」された満洲は、日本の外交を束縛していく。サンク・コスト侮るべからず。

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著者プロフィール

1955年、兵庫県西宮市生まれ。作家・コラムニスト。関西学院大学経済学部卒業後、石川島播磨重工業入社。その後、日興証券に入社し、ニューヨーク駐在員・国内外の大手証券会社幹部を経て、2006年にヘッジファンドを設立。著書に『日露戦争、資金調達の戦い 高橋是清と欧米バンカーたち』『金融の世界史 バブルと戦争と株式市場』(ともに新潮選書)。

「2020年 『日本人のための第一次世界大戦史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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