カラマゾフの兄弟 01 上 [Kindle]

  • 2012年9月13日発売
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感想・レビュー・書評

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  • 驚くべきことに、読めたのである。
    しかも、面白いと感じてしまった。
    ロシア文学なのに!

    ロシア文学には、いつぞや、なんだったかに挑戦してみたことがある。
    長い。
    まどろこしい。
    ちっとも話が進まない。
    気短な私にはまったく向かないものだと断じて、私はそのなんだったかを投げだし、以来、ロシア文学にはさっぱり目を向けることもしなかった。
    それが、ひょっこり、読んでみようという気をおこしたのである。

    なぜか。

    月に一度、気の置けない数人で読書会をしている。
    それぞれが読んだ本、気に入った本を紹介しているのだが、先日、メンバーの一人が『カラマゾフの兄弟』を持ってきたのだ。
    上中下の3冊を全部、「読んだ。面白かった!」と目を輝かせて掲げてみせたのだ。

    「お父さんがいて、3人の息子がいて、もう1人それらしいのがいて。お父さんが殺されて。面白かったけれど、まだわからないところがあるから、また読み返すと思う」

    彼女は、フィクションであれ、ノンフィクションであれ、ドロドロしていればいるほど気に召すという癖がある。
    その彼女が「面白かった」と言い、そこまではまり込んだというのだから、それはそれはドロドロした話に違いない。

    「読んだ人と語り合いたいから、みんなに読んでほしい!」

    彼女は熱く訴えたのだが、周りの反応ははかばかしくなかった。
    「翻案された演劇を見たことはある。原作を知ったら面白いかなあとは思うけれど・・・・・・」と目を伏せる。
    「以前挑戦してみたけれど、脱落した。新訳が出たと聞いてまた挑戦したけれど、脱落した」と苦笑する。
    「だってロシア文学だから」と、私も丁重にお断りした。「私には無理だから」

    しかし、人とは妙なもので、ひょっと気まぐれをおこすことがある。
    そして、便利な世の中で、文明の利器はその気まぐれに応えてくれるよう進化しているのだ。

    その日の夜、ある本を読み終えた私は、次はなにを読もうかなと自分の本棚を眺めていた。
    しかし、あまり目を惹くものがなく、Amazonを開いてみたのだ。そして検索をした。

    『カラマゾフの兄弟』

    読書会で、私はいちおう訊いていたのだ。
    「いつ殺人があるの? それは解決するの?」
    彼女は答えて曰わく、
    「殺人は上巻。解決は下巻。でもその後も色々ある」
    やはり、ミステリー好きとしては、殺人と知って捨てておくこともできなかったのだ。

    見れば、なるほど訳はいくつもある。
    試し読みをしてみれば、おや、意外にも読める。しかも面白いではないか!
    文明の進歩というものはありがたいもので、
    今や本がそろっていそうな大型本屋に行かずとも立ち読みができるし、翻訳の比較吟味さえできてしまうのだ。
    『カラマゾフの兄弟』について言えば、冒頭に著者による前書きのようなものがある。
    それと、はじめの一章ほどを読み比べてみた。
    最近出た新訳とやらがこれで、その前にあったのがどうやらこれでと比較して、どれも読みやすいことに驚き、面白く感じることにさらに驚きつつ、選んだのがこれである。

    『カラマゾフの兄弟』 中山省三郎訳 

    Kindle版で、青空文庫、よって無料。
    無料というのは大きい。
    途中で投げ出したとしても、たとえ、試し読みだけで終わってしまったとしても、なんの損することもないのだ。
    しかし、自分には、古いこれが一番性にあったのである。
    教養ある人物の、若い時分(30代)の訳というのがよかったのかもしれない。
    文体が、古風でありながら、溌剌としている。
    思えば、のめり込んで読んだ『ポー傑作集』は、渡辺温・渡辺啓助20代の兄弟による訳のものだった。
    艶麗でありながら、やはりいささか難解なこれを読み切ったのも、今回、抵抗なく読めるようになった理由のひとつかもしれない。
    さらには、やはり『源氏物語』の複数の訳に、がっつり取り組んでいたのも、その大きな理由だろう。

    『源氏物語』でも書いたが、訳文というのは、本当に好みや相性があるもので、自分にあう訳に出会えたら、それは本当に幸せなことなのだ。

    このKindleの中山省三郎訳(1968角川文庫が底本 初出は1934)は、たいへん私に合うもので、お薦めできるものである。

    ではあるが、いくつか欠点がある。

    まず、人物紹介がまったくない。
    いっぽう、電子書籍の特徴で、しかも有名作品のことなので、出てきた名前をタップ、検索すれば、すぐさまWikipediaなどに飛んで、誰なのかはすぐわかるともいえる。
    ただし、その人のこれから先まで目に入る恐れがあるので、それを避けたいならば、面倒でもいちいちメモをとるのがよいかもしれない。

    そして、なんといっても、たまに訳が古いのである。いや、あてる単語が、古いというのを超えて、違うものになっている。
    庵、袈裟、僧正、 新発意 (しんぽち)・・・・・・

    東方正教会の教会が舞台のはずだが、これでは、仏教寺院である。
    この宗教をまたいだ言葉のあて方が、気にならない人ならば、あるいは笑ってしまえるならば、この訳もよいだろう。(ちなみに私は後者のほうである。)

    さらに、この訳の一番の難は、続きが出ていないということだ。
    Kindleには、上中下のうち、この「上」しか存在しないのである。
    私はこの『カラマゾフの兄弟』が気に入った。この訳も気に入った。
    続きを読みたければ、いつか出るかもしれない、続きの刊行を待つか、
    訳者は変わってしまうが、別の本に切り替えるか、
    なんとかするしかない。

    そんな理由で、私は『カラマゾフの兄弟』を、まだ3分の1しか読んでいない。
    通常、私は全部読んでからこうしたレビューを書くのだが、この『カラマゾフの兄弟』については、読みながら書くという形になりそうだ。
    どうにか次を読むことができたら、次を書いていくことにする。

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