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感想・レビュー・書評
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作曲家・箏曲家、宮城道雄のエッセイ。宮城は「春の海」の作曲・演奏などで知られるが、文筆家としても名高かったそうである。内田百閒と親しく、互いの随筆にしばしば言及があるという。
「幸ありて」「声を見る」「騒音もまた愉し」「音に生きる」の4編。
宮城は生まれついての盲人ではなく、7歳の頃から徐々に見えなくなり、9歳で失明した。その年から筝を始める。元々音楽好きだったこともあり、ずっと筝に向かっていたという。
目の悪い人は往々にして他の感覚が研ぎ澄まされるというが、宮城も大抵のことは不便がなく、また周りの様子も相当にわかるという。
おもしろいのは声の様子から、相手の身体つきや職業、気分もわかるというあたり。お医者さん、先生、坊さん、弁護士などというのはわかるものらしい。「頭を使う人の声は濁るようである。」とも言っているが、そんなものなのかな・・・?
声だけではなく、足音でもわかるという。家のものか、客か、弟子か。外を歩いていてもこれは芸者だな、等とわかる。とはいえ、外れることもあり、お巡りさんかと思ったら、女学生だったなどということもある。「この頃の女学生は活発な歩き方をするので、私の耳も判断に迷うことがある。」というのが半分負け惜しみに聞こえてちょっとおかしい。
その他、遠くの音が妙によく聞こえるときには、2,3日して天気が崩れるというのは確かにありそうなことで、やはり聴覚はかなり鋭敏であったものなのだろう。
中途失明者であった宮城には、うっすらと色の記憶があったようだ。作曲をする際には、音とともに色も浮かんだものだという。このあたり、少し共感覚のような感じだったのかもしれない。
代表作「春の海」を弾く際には、どんな色が浮かんでいたものだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示