市井昌秀監督作品、公開2日目テアトル新宿。
客層は、星野源ファンと思しきハイセンス女子が9割。
夏帆目当てのおじさんは肩身が狭かったよ。
以下、ネタバレです。(映画をご覧になっていない方はご注意)
全く予想外だったが、涙と笑いのバランスのとれた佳作だった。
まず、吉野家。
吉野家と言えば、「モテキ」の麻生久美子を思い出すが、そういえば
この作品の主人公健太郎は、モテキの幸世と似ている。オタク、童貞、衝動的行動、妄想、一途・・・。。モテキを意識したようなカットもあるし、「モテキ」の麻生久美子の吉野家のシーンの前に、星野源の「ばらばら」が流れていたのも、不思議な因果か。
少しずつ変化する状況の中で、同じ場所を舞台にしたシーンを入れることで、観客は健太郎や奈穂子の変化を見ることができる。3度目の吉野家の対面シーンは、とても切なくて素晴らしい名シーンだと思う。
テーマとしての「障がい」にも触れておかないといけない。
この話は結局の所、「箱入り息子」と「箱入り娘」の恋なわけだが、「箱入り」となる背景は、「視覚障害」という(ある意味わかりやすい)身体的障がいを抱える奈穂子に対し、健太郎の場合は「上がり症、目を見て話せない、人にばかにされる、自己肯定感の欠如」などの「コミュニケーション障がい」を抱える。二人の初デートで、見えない目でしっかり健太郎を見つめ、他の五感をフルに使って彼と向かい合おうとする奈穂子に対して、健太郎が視線を合わせることができないのは皮肉だが象徴的である。そんな二人の「(不器用だが一途な)恋を阻む障がい」として「親」が存在することが興味深い。子が障がいを持つが故に、人一倍自分の価値観や希望を子どもに押し付けてしまう親の不器用さ、滑稽さが繰り返される。森山良子、平泉成、大杉漣の過剰な滑稽さの描き方は秀逸で、親たちをコメディタッチで描けばこそ、ラストの「オチ」が生きているのだ。
二度の「事故」を挟んでの親たちの変化の描き方も、吉野家のシーン同様で、さりげないけど上手い。
監督の市井昌秀は「元髭男爵」とのこと!驚いた。芸人ならではのコメディセンスとお見受けするが、個々のキャラクターの描き方や、1つ1つのシーンが丁寧に作られていて、監督としても相当な技量だと思う。
最後に、星野源の怪演はもちろんだが、夏帆。みんなエスパーだよ、に続いて(とった順番は逆か?)、見事に脱皮したと思う。ポスト菅野美穂と呼んでおく。