原子爆弾とジョーカーなき世界 (―) [Kindle]

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  • KADOKAWA
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  • ダ・ヴィンチ掲載の評論12編。ダ・ヴィンチだけに引用や参照は最小限で、取り上げられた作品さえ押さえておけば十分読める。取り上げられた作品のうち、僕が観たり読んだりしたことあるのは「ダークナイト・ライジング」「エヴァQ」「巨神兵東京に現る」「DOCUMENTARY of AKB48」「カーネーション」「木皿泉の作品群」「平清盛」「so long!」の8つ。いろいろ読み逃してるが、まあこれが限界かな。

    宇野の基本スタンスは、繰り返しのべられているように、社会のOSの耐用年数が過ぎてしまった状態として現代を捉える。だから制度は社会の変化には対応できず、さまざまな歪みがもたらされたまま放置される。それはマイナーアップでは解消できず、新たなOSを再インストールすることが必要となる。そして、その歪みをもっとも鋭敏に捉え、時代の空気を表出するのがポップカルチャーということになる。ある作品は旧OSの限界点を指摘し、別のある作品は新OSの可能性を描き出す。ときには、作品そのもののが旧OSの限界を体現して閉塞する。そうした補助線を引きつつドラマや映画、漫画と言ったものを読み解いて行くことで、新OSを再インストールするための示唆を引き出そうとする。この補助線の引き方はある種の図式化ではあるものの、作品の見通しを良くし社会との接続を助ける。このシンプルな整理によるわかりやすさは宇野の得意とするところ。

    ただ、家父長制への執拗な攻撃と、その裏返しとしてのネットコミュニティへの信頼とは、宇野自身の個人的な感情を反映し過ぎていて抑制できていない。本人が意識するしないに関わらず、デビュー作の「ゼロ年代の想像力」からずっと、宇野は父という存在の克服を目指してきた。父への反発と父への憧れという愛憎を抱え、それを自らの分析に反映させてきた。宇野本人としては一応「リトル・ピープルの時代」で決算宣言をしたのだが、実際はその後も父への拘りは続いている。宇野にとって家父長制的な体制は決して認められるものではなく、その意味で宇野が求めるのは「父殺し」だ。自らを華々しく世に紹介した恩人である東浩紀との決別もやはり父殺しといえる。しかしその父殺しは成功してはならない。父殺しの成功はすなわち王位の簒奪、父と同じ立場に自らが就くことであり、それは家父長制の肯定にほかならない。父は殺すが父の後を襲いはしない、この不完全な父殺しを宇野は目指す。ネットコミュニティに可能性を見出すのも、父を殺しかつ家父長制そのものを否定できるからだ。
    しかし、そこに拘るのはあまりにも個人的に過ぎるし、それ以上の根拠も十分ではない。叶わない父殺しを希求し堂々巡りを続けていて、それはとても生産的なこととは思われない。

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著者プロフィール

1978年生まれ。評論家。批評誌「PLANETS」「モノノメ」編集長。主著に『ゼロ年代の想像力』『母性のディストピア』(早川書房刊)、『リトル・ピープルの時代』『遅いインターネット』『水曜日は働かない』『砂漠と異人たち』。

「2023年 『2020年代のまちづくり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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